第五章第二話(七)天垂(てんすい)の糸の下で
標高四千メートルの台地。
天候は良く風も少ない。
しかし涼し過ぎる。
ルークとフィーは不織布素材の防寒着を着ている。
フィーには大きすぎて上着が歩いているように見える。
ソニアとアムリタは飛行服を着ている。
一同は空を見上げている。
アムリタとソニアの口は半開きになっている。
ルークとフィーの口は酸素マスクに塞がれていて見えないが、同様なのだろう。
ソニアとアムリタは夫々酸素ボンベを背負っている。
アムリタは酸素マスクを着用していない。
ソニアは酸素マスクを緩めて、顎の下に垂らしている。
ルークたちの酸素マスクはアムリタが背負っているボンベから管が伸びている。
ソニアの足下には大きな背負い袋が置かれている。
頭上には大きなおおきな石灰色の浮島があり太陽の光を隠している。
浮島からは無数の大きな鎖が周囲に向かって垂れ下がっている。
「あれが落ちてきたら私たち終わりね」
アムリタは嬉しそうに言う。
アムリタの言葉はルークが考えていたことを代弁している。
しかしなにがそんなに嬉しいのか理解できない。
石灰色の巨大な塊が、ゆっくりと頭上で揺れている。
もしあれが落ちてきたら、ルークは強迫観念に襲われる。
「ルーク、忘れないで。
アムリタの近くが一番安全よ。
アムリタはフォルトゥーナだから」
ソニアはルークも見て、にっこりと笑う。
フォルトゥーナは古代の女神で幸運を司る。
ルークは昨日の出来事、巨大な飛蝗を踏み抜いたアムリタを思い出す。
「たしかに助けてもらった……。
僕には戦いの女神に見えたよ」
ルークはソニアを見上げ、言う。
「あは、戦いの女神かー……、だって。
なら、ベローナを名乗る? アムリタ」
ソニアは茶化すようにアムリタに言う。
「あら、女神さまの名前をかたるなんて畏れ多いわ。
でもそうね、どうせならば愛の女神のほうがいいかな、なんて」
アムリタは首を傾げ、ウインクをしながら微笑む。
「愛の女神? それならウェヌスね。
金星の女神」
ソニアも笑う。
「女神様って?」
フィーが酸素マスク越しに訊く。
「あ、ごめんなさい。
悪巫山戯が過ぎたわね」
ソニアは膝を曲げ、フィーの目線に合わせて屈み、笑う。
「アムリタはね、少し先の未来が見えるときがあるんだって。
だから危険なときは近くにいれば助けてくれるかも知れないってことなの」
ソニアは説明する。
「未来が見えるの?」
フィーはアムリタを見上げる。
「ソニアも空から見えるんだよね?
ソニアも女神さまなの?」
フィーは訊く。
ソニアは少し顎を引く。
そしてバツの悪そうな顔でアムリタを見る。
「ほらー、ソニーが変なことを言うから……」
アムリタも膝を落としてフィーの目線に合わせる。
「私たちは単なる人間よ。
女神って言ったのは単なる言葉遊び、本気にしちゃ駄目よ。
ほら、神さまって私たち人間を超越した存在だから」
アムリタはフィーの目を見ながら説明する。
「アムリタが単なる人間って……、それはどうなのかなー」
ソニアは小声で呟く。
「それはそうと、ソニー、どうやって上がるのかしら?」
「え? ああ、ちょっと待って」
ソニアは地面に置いた背負い袋から片手で持てるほどの箱を取り出す。
箱には上向き、下向きの三角ボタンが上下に並んでいる。
ソニアは箱を両手に持ち、天に向かって差し上げる。
そして下三角のボタンを両方の親指で押す。
――ガラガラガラガラッ
ソニアの持つ箱はゴンドラのリモートコントローラーであるらしい。
垂れ下がる黒い鎖に紛れ、気にならなかった鎖が徐々に下がってくる。
鎖には直方体の箱がぶら下がっている。
直方体は速い速度で降りてきて、地面付近で速度を落とし着地する。
ソニアは直方体に向かって歩を進める。
「これはチェーンブロックで操作するゴンドラエレベーターよ」
ソニアは後ろを振り向き、皆に説明する。
直方体は一辺が三メートル、高さが四メートルほどの大きなものだ。
金属の骨組でできていて、同じく金属のメッシュでできた扉、壁がある。
ソニアは扉を開ける。
「どう? 上がってみる?」
ソニアはアムリタの顔を見る。
「モチロン!」
「あははは、訊くまでも無いか」
ソニアは笑う。
「君らはどうする?
風にゆられて凄いことになるけれど……。
バギーで待っていてもらっても良いよ」
ソニアは屈みながらルークとフィーに訊く。
「僕はモチロン上に上がるよ」
フィーは酸素マスク越しに応える。
ソニアは、あらま、と言いながらルークを見る。
ルークは仕方なしに、じゃ僕も行くよ、と応える。
「じゃ、決まりね、皆でいきましょう」
アムリタは嬉しそうにルークとフィーの肩を後ろから掌で包み、ゴンドラに向かって押す。
ゴンドラに付いている三段の金属メッシュの階段を昇る。
ルークはゴンドラの中で上を見る。
天井も金属のメッシュになっていて、四隅に黒いワイヤーが上に伸びているのが分かる。
ワイヤーは連結器具を介して黒いチェーンに繋がっている。
黒いチェーンは遥か上空まで伸びていて、同様のチェーンに紛れて先を追うことは難しい。
それらチェーンは非現実的な天井、天の浮島から垂れ下がっている。
ソニアはゴンドラの扉を閉め、閂をかける。
「みんな中央に寄ってね。
アムリタには座ってもらったほうがいいかな」
ソニアは自らゴンドラの中央に立つ。
アムリタはルークとフィーの背中を後ろから両手で包むようにして誘導する。
フィーとルークの酸素ボンベはアムリタが背負っているので、アムリタは二人から距離をとることができないのだ。
ゴンドラの中央には金属の大きな箱がある。
箱には所々に金属のバーが付いていて、手摺にできる。
「ここに座れば良いのかしら?」
「ええそう。
アンカーボックスの上に腰かけて。
二人はその両隣にね」
アムリタは金属の箱に腰を落とす。
ルークとフィーも座る。
ルークとフィーは片手で金属のバーを掴み、反対の手でアムリタの袖を掴む。
アムリタはそんな二人の腰をそれぞれの手で後ろから支える。
アムリタは嬉しそうだ。
「準備は良い? いくよ?」
ソニアはリモートコントローラーの上向きの三角ボタンを押す。
――ジャラジャラ……、ドウゥン! ギリギリギリッ……、グオゥゥ……
弛んでいたワイヤーがピンッと張り、異音を発する。
ゴンドラは宙に浮く。
然して風は無いと思っていたのに、浮き上がったゴンドラは、スーッ、と横に流れてゆく。
「うわぁぁ」
ルークは声を上げてしまう。
ゴンドラの横滑りは止まり、一時期吊り合いを保つ。
しばらく後、今度は逆側に流れてゆく。
そうしている間にも、ゴンドラはどんどん高度を上げてゆく。
「ルーク、下界が見えるよ!」
ソニアは嬉しそうに言う。
ルークは真下に向けていた視線を水平やや下にする。
薄い雲、視界を二分する青い空、空の色を映す青い海。
高地の縁から続く斜面。
斜面は多数の川が網の目のように広がって、黄土色、茶色、緑から灰色のグラデーションに彩られている。
「絶景ね!」
アムリタは感嘆する。
風は緩く激しく断続的に向きを変えて吹き、ゴンドラを揺らす。
ルークも同感する。
ありえない風景をありえない高さから俯瞰する。
この眺望は確かに絶景だ。
今では冷たい風も気にならない、
下を見ていたときの恐怖は薄らいだ。
ルークはキョロキョロと周囲を見渡すフィーを見る。
フィーはルークの視線に気付き、ニコリ、と笑う。
ルークも笑い返す。




