第一章第二話(十二)魔法構成
ラビナは一人、山小屋の小部屋で横になっている。
竈には薪が焚かれ、小屋の中は部屋の明り取りの窓を開けていても暖かい。
ラビナは最近、自分が正気を保てているか心配になる。
目を閉じると森で化け物に襲われた記憶が蘇り、叫びだしそうになる。
空賊の娘も得体の知れない恐ろしさがあった。
更にエリーのあの禍々しい戦い方はラビナの悪夢のレパートリーを増やすことになるだろう。
エリーを撃ってしまったことも崖から跳んだことも今から考えると正気の沙汰ではない。
エリーに余裕があったから殺されずに済んでいたが、普通ならば死んでいるところだ。
だからと言ってラビナは、エリーに感謝する気にもなれない。
そもそもあの魔女が禍々しい幻術でラビナを誑かしていたのが原因だ。
善意の第三者を気取られても鼻白むだけだ。
ラビナは思う、最近本当に神経を削られるような出来事ばかりが続くと。
元はと言えば……。
「ジャックのせいだ」
ラビナは泣きそうになるのをグッと堪える。
ラビナは最近涙腺が緩い。
――コン、コン
山小屋の扉からノックの音がする。
ラビナは応えない。
返事を待たず扉は開く。
エリーが帰ってきたのだ。
エリーは先ほどから何回か、山小屋を出たり帰ってきたりを繰り返している。
山小屋にあった調理器具や食器を川で洗ったり食材を調達してきたりしている。
エリーはラビナが起きているのをチラリと見るが特に声をかけたりはしない。
エリーは短刀を取り出し、調理台に向かう。
周囲に血の匂いが漂う。
鳥を解体しているようだ。
ラビナは恐ろしかったので明り取りの窓のほうを見る。
外はすでに薄暗く、山の早い夕暮れ時となっている。
――コン、コン、コン
またもノックの音がする。
どうぞ、とエリーが応じる。
扉が開き、アルンが入ってくる。
「湯を沸かした。
使ってくれ」
アルンはエリーに声をかける。
エリーは、わかった、と言いながら器を持って、ラビナの寝ている部屋入る。
アルンもそれに続く。
「食事の前だが、小腹が減っただろう。
食べてくれ」
エリーはラビナの横に器を置く。
「山菜か……。
もらうよ」
アルンは一つ摘まんで口に運ぶ。
「適度に苦みがあって旨いな」
アルンはもう一つ啄む。
「茹でてあく抜きをして塩と香辛料で味付けをし、鳥の油で揚げた」
エリーは説明をする。
「これは酒が進みそうだな」
アルンは酒が無いのが残念そうだ。
ラビナも一つ口に運ぶ。
ほこほこした食感に苦みと塩味、香辛料の辛さがマッチして確かに旨い。
改めてラビナは自分が空腹であることに気が付く。
「美味しいわ。
確かにお酒が飲みたくなるわね」
ラビナもアルンと同じ思いのようだ。
「酒か……。
残念ながら無い」
エリーは真面目に応える。
アルンは、そりゃそうだろうな、と言って笑う。
エリーも薄く笑う。
「ラビナ、湯が沸いたそうだから、入れてやろう」
エリーはラビナに言う。
「え?
湯?
私はいいよ」
ラビナはかぶりを振って断ろうとする。
「しかし、ラビナ、君は崖から落ちて泥だらけ、砂まみれ、おまけに血塗れだぞ。
化粧も激しく崩れている。
湯で流したほうが良い」
エリーは洗ってやるから来い、と言ってラビナを立ち上がらせる。
「足の骨は継いである。
未だ一人では歩けないだろうから肩を貸そう」
エリーはラビナの反応を全く意に介さず、ラビナを横から抱え、歩き出す。
体格差があるのでラビナの抵抗は虚しい。
ラビナは観念したように引きずられ、歩く。
湯場は木の柵で目隠しをした区画の中にある。
柵の中は石が敷き詰められていて、奥に人が二人ほど入れそうな木製の樽がある。
その樽には水が張ってあり湯気がでていて浴槽であるらしい。
樽の下部は竈のようになっていて、薪がくべられている。
横には少し小さめの樽がおいてあり、そこにも水が張られているが湯気はでていない。
エリーは湯場の床にラビナをゆっくり下ろす。
そして裂かれたワンピースの右の袖を捲り、湯に右手を突っ込む。
「熱いな」
エリーは桶を使い、湯加減を調整する。
こんなものかな、と言い、ラビナの服を脱がそうとする。
ラビナは自分で脱げるから、と言ってしゃがんだまま自ら脱衣する。
右足は黒い塊で固定されている。
小柄な体の割にたわわに膨らんだ二つの乳房から白く細い腹にかけて黒い網目状のものが覆っている。
手足には無数の擦過傷と打撲の跡がある。
「右足が治るには明日までかかるが、胸の根瘤はもう取れるはずだ」
エリーはラビナが脱いだ衣類を壁の棚にの除けると、桶に湯を汲み、ラビナの背を洗う。
ラビナは自分でも体の全面を湯で洗う。
なるほど、ラビナの体についていた黒い網状のものはポロポロと崩れ剥がれ落ちてゆく。
その下にピンク色の地肌が現れ、元の肌の色にピンク色の網目が浮き上がる。
「そのうち色の差はなくなり、跡は見えなくなる」
エリーはラビナをお辞儀させるように頭を押し下げ、髪の毛を洗い出す。
ラビナは流れ落ちる湯で顔を洗う。
崩れた化粧が落ち、下から小さく丸くやたら幼い印象の素顔が現れる。
「ラビナ、君がきつめの化粧をする理由は若年者に見られたくないからか?」
エリーはラビナの素顔を見て尋ねる。
「ご名答、スッピンでは酒場でお酒を出してくれないのよ」
ラビナは吐き捨てるように言う。
「それは難儀だな。
持ち上げるぞ」
エリーも相槌をうちつつ、裸のラビナを抱え上げ、湯を張った桶に入れる。
湯は溢れ出し、床に流れる。
ラビナは湯が傷に沁みたのか顔をしかめるが、すぐに慣れる。
「ラビナ、君の魔法構成は夢に関するものか?」
エリーはラビナの裸体を見ながら話題を魔法に移す。
やはり見えるのか?
侮れない指摘にラビナは警戒する。
「面白い構成だな。
夢幻郷に関係するものか」
ラビナはエリーの言葉に応えない。
「貴方も湯に入れば?」
ラビナは話題を変える。
この魔女に全てを見透かされてしまっているようで怖かったのだ。
「そうだな。
入るか」
エリーは簡単に同意する。
エリーは服を脱ぎ、壁の棚に押し込む。
黒灰色の髪の毛が、不自然なまでに白く形の良い二つの乳房の横で揺れる。
ラビナはエリーの腹を見るが、銃創は見られない。
真っ白な腹には滑らかな肌に小さな臍があるだけであった。
エリーは水の入った樽から手桶に汲み、体を洗う。
「その髪の色、地毛なの?」
ラビナは気になっていたことを訊く。
「そうだ。
染めてはいない」
エリーは体を洗いながらラビナを見ずに応える。
エリーの右手には黒い大きな瘡蓋のようなものが張り付いている。
ラビナが短刀で切り上げた傷だ。
ラビナはエリーの腹を見る。
「貴女の魔法と関係しているの?」
ラビナは重ねて尋ねる。
「さあ?
べつに髪の色と魔法構成は関係ないと思う」
エリーはあくまでも淡々と応える。
エリーが右手に湯をかけこすると、黒いものもポロポロと剥がれ落ち、下にはピンク色の地肌が見える。
エリーはその跡をしばらく眺める。
「私なんかよりもよっぽど珍しいのではなくて?
あり得ない複数の系統の混成だなんて」
ラビナは食い下がる。
「そうか?
私と同じ魔法構成の者は私以外にも居るぞ?」
エリーはラビナを見ずに応える。
ラビナは、なるほどそういう門派か家系なのかなと考える。
自分の一族が皆同じような魔法構成であるように。
「貴女のような魔法構成は、少なくとも私は見たことが無い」
ラビナはそう呟く。
「そうだな、我々は未だ見聞が浅いのかもしれない」
エリーは薄く笑い、浴槽に入る。
ザーッと湯がこぼれ、二人は肩を寄せて並ぶ。
「心地よいが、あまり長湯はできない。
腹を空かした少年少女が帰ってくるからな」
エリーはそう言って、空を見上げる。
周囲の暗さに比べ、空は未だ明るく青く、白い雲は速い速度で流れている。




