第五章第二話(二)高速輸送船
――崩壊歴六百三十四年六月二十八日午前九時
「いい風ね」
アムリタは船のデッキで空を見上げながら言う。
外洋を走破する双胴の高速輸送船の上だ。
陸地は見えない。
どこまでも大海原が続く。
空は青く、遠くに入道雲が見える。
「天気は持ちそうね」
エリーも空を見上げながら応える。
エリーは右手で空中に銀色の文章を綴っている。
銀色に輝く文章は空中に吸い上げられ、消えてゆく。
船のエンジン音は大きい。
しかし風の音がエンジン音をマスクし、気にならないものとする。
ただ会話をするにはあまり適していない。
もとよりデッキに会話をしに出てきているわけではない。
風にあたりにきているのだ。
船は三十二ノット(時速約五十九キロメートル)の速さで南進している。
南からの風はアムリタとエリーの髪を忙し気に巻き上げる。
「私は船乗りとしてもやっていけそうな気がするわ」
アムリタの大声は辛うじてエリーに届く。
「遊牧民、飛空機乗りに船乗り、宇宙船のパイロット、適性が広くて良いわね」
エリーは笑いながら返す。
アムリタには聞こえていない。
しかし二人は唇の動きを読める。
声が聞こえなくとも会話は問題なく成立する。
アムリタは、うんうん、とデッキの中央に積まれた物資の様々を眺める。
物資は燃料の入ったドラム缶、多数のコンテナ、重機の類である。
荷室に収まり切れない貨物がデッキ上に積まれているのだ。
大量の重量物があるので空輸は非現実的である。
だから輸送船を使っている。
船はこれら大量の物資を赤道直下、天垂の糸付近の港まで運搬する予定だ。
「それにしてもソニアって働き者よね」
アムリタは気持ちよさそうに風を背に受ける。
「そうね、船酔いが心配ね」
エリーも同意し、デッキの下、見えない船室のほうを見る。
ソニアは航海中に設計しなければならないものがあるらしく、狭い船室に一人で籠っている。
厳密には一人ではない。
ジャックから強引に奪ったサポートロボットの一台と一緒だ。
「ジュニアもそうだけれど、何かを作り出すって素敵よね」
アムリタは髪を抑えながら言う。
「あの二人のやっていることは単なるモノ作りではないけれどね。
なかなか余人にマネのできることではないと思うわ」
風がエリーの黒灰色の髪を煽る。
ジュニアはこの船に乗っていない。
遅れてくる予定だ。
ジュニアはジュニアで何かを工作してから来るらしい。
「確かに天垂の糸に昇るって言ってみたものの、宇宙って空気、無いのよね?
何日も滞在するのならば準備って大変そうよね」
アムリタはデッキ最先頭の手摺にもたれ、呟く。
背後からの風が心地よさそうだ。
「そうねぇ、宇宙服に船外活動に必要な機材、燃料、食糧に水、酸素、窒素、その他色々……。
例え天垂の糸が有ると言っても、宇宙旅行は一大事業ね」
エリーは応える。
「そうそう、食糧ってミドリムシとか昆虫になるの?」
アムリタは心配げに訊く。
「え? ああ、それは大丈夫。
宇宙食担当は私だから。
シチューやスープ、クッキーにパン……。
それに麦やコメを煮炊きしたものを滅菌処理してパック詰めにするわ。
ちゃんとお肉も用意するから安心して」
エリーの返事にアムリタは、なんて素敵なの、と心底嬉しそうに笑う。
「今から宇宙に行くのが楽しみね。
それはそうとソニーは何を作っているの?」
「天垂の糸はリフトと呼ばれる自走式の乗り物に乗っていくらしいのだけれど、今回はそれを再設計するんですって。
宇宙服に船外活動に必要な機材、その他色々人数分用意するのが結構大変みたいね」
エリーは流れる髪を抑えながら応える。
「そういうものって、簡単に作れるものなのかしら?」
アムリタには不思議でしかたがない。
「基本設計はサプリの中に記憶されているらしいわよ。
もともとはジャックのサポートロボットの記憶なんだって。
あまり良くは知らないけれど」
エリーは首を傾げながら説明する。
ソニアはジャックのサポートロボットを一台、強引に借り受けている。
「あの親子三人、資源さえあれば殆ど万能よね。
魔法使い以外のなにものでもないわ」
アムリタは感心するように言う。
親子三人とはジャック、ジュニア、ソニアのことだ。
「そうねぇ、もう少し自由になる資源があれば良いのでしょうけれど。
でも、ヘルパが居るから、アムリタ、貴女もその力を使えるんじゃなくて?」
エリーは笑う。
理由は不明であるが、アムリタはかつてトマスのものであったと思われるヘルパーロボットの主人だ。
そのヘルパーロボットはジュニアのサプリメントロボットと記憶の交換をした。
ジュニアのサプリメントロボットとほぼ同じことができるのかも知れない。
「うーん、でも私はヘルパちゃんとそれほど意思疎通できているわけではないのよ」
アムリタは特に残念という風でもなく言う。
アムリタのヘルパーロボットはアムリタの言うことを訊いてくれる。
アムリタに必要そうなことを先回りしてやってくれさえする。
それだけでアムリタは十分満足だ。
しかしアムリタはヘルパーロボットのできることの全貌はまるで知らない。
ヘルパーロボットから情報を引き出す方法を知らないからだ。
――対話していくしかないわね
ヘルパーロボットが何をできるかを知る方法に関してのソニアの言葉だ。
ヘルパーロボットは人の言葉や感情表現を解釈する。
そして光信号や、表情、ジェスチャーで意思表示を行う。
アムリタはソニアに光信号を習った。
今ではヘルパーロボットの意思をある程度、汲み取れるようになった。
「ヘルパちゃんが何をできるかってこと、よく分かっていないのよね」
アムリタは、たはは、と頭を掻く。
どれだけヘルパーロボットと意思疎通ができようが、結局、ヘルパーロボットにやって欲しいことのイメージを伝えられなければ能力を発現させることはできない。
「そうねぇ、できることを知っていて、なおかつ材料を揃えてあげなければジュニアやソニアみたいに物を作り出すことはできないのかしら?
確かに難易度、高いわね」
エリーは、さもありなん、と頷く。
「そう、そうなの。
それにソニーとジュニアって、自分たちの工夫とかも指示しているんでしょう?
軌道エレベータのリフトを作るのに何が必要か、宇宙服の場合は、なんて私にはチンプンカンプンだから。
そういうのはソニーとジュニアにお任せよね。
ヘルパちゃんは私に笑いかけてくれるだけで充分だから」
アムリタは何も乗っていない右掌を揺らす。
エリーは、ふふふ、と笑う。
「噂をすれば……」
エリーは船室に降りる階段のほうに振り向く。
階下から、ソニアがフラフラと登ってくる。
「ふー、気持ちいいわね、風。
窓の無い小部屋で揺られていると三半規管がおかしなことになるわ」
ソニアは伸びをする。
顔が心持ちいつもより白い。
「よく船酔いしないわね、と言っていたところよ」
アムリタはソニアに言う。
「そうねぇ、私、自分は乗り物酔いしない体質だと思っていたんだけれど……、貴女の運転するバギーに乗って以来、自信無くなってしまったわ」
ソニアは、あはは、と笑う。
「それはごめんなさい。
でも、そうなら細かい作業は止めたほうが良いのではなくて?」
アムリタは然して済まなさそうでもない顔で言う。
「そうね、交代要員も来るようだから作業は中止するわ」
ソニアが意味ありげに笑う。
「交代要員?」
エリーが反応する。
「今無線が入ったわよ。
ジュニアがもう少しで到着するって」
ソニアはエリーに言う。
「よかったじゃない、エリー」
アムリタはエリーの手を取り、笑う。
エリーは嬉しそうだ。
「で、私たちは入れ違いで、出発よね?」
アムリタはソニアに確かめるように問う。
ジュニアは飛空機で追加物資を運んできて、船に下す。
アムリタとソニアは給油した飛空機に重機を積んで、天垂の糸に向かう。
そういう算段だ。
先行して天垂の糸に昇る準備をするとともに、トラックを港に回す。
荷下ろしした物資の運搬を行うためだ。
「そうそう、私たちはお先に失礼、エリーとジュニアの時間を作ってあげるねー」
ソニアは満面の笑みをエリーに向ける。
エリーは、そんなそんな、と両掌を正面に向けて上下に動かす。
しかし口調は嬉しそうだ。
「来たわよ!
あれ、ジュニアじゃない?」
アムリタは船尾側の空を指さす。
音は風とエンジン音にマスクされて聞こえない。
しかし黒い小さな点が遥か後方の空に見える。
ソニアはデッキに飛空機が着艦できる空きスペースがあるのを確かめる。
「ジュニア、この強風の中、高速航行着艦とかできるかなー?
下手くそだから心配だよねー。
船を止めてもらうよう、船長にお願いしてくるね」
ソニアは嬉しそうに言いながら再びデッキの下に降りてゆく。




