第五章第二話(一)約束
――崩壊歴六百三十四年六月十八日午後五時半
「いらっしゃいませ……、ってジュニア、ずいぶんと久しぶりね」
サマサは定食屋のドアを開けて入ってきた客、ジュニアに笑いかける。
「やあ、サマサ、久しぶり。
ちょっと長旅をしていてね、やっと落ち着いたところ。
今日のお勧め定食は……」
ジュニアは店の中を見渡す。
陽は未だ落ちていない。
サルナトに限った話ではないが人々は日没まで働くものが多い。
夕食の時間にはやや早い。
客は二組しかいない。
アルンが四人掛けテーブルで一人、食事をしている。
店の入り口右を背に座っているため、料理が見て取れる。
「チキンか、いいね、お勧め定食でよろしく」
ジュニアはサマサの誘導を待たずにアルンのテーブルに向かう。
「アルン、相席、いい?」
アルンはジュニアを見上げる。
「ジュニア、やっと戻ってきたのか?」
アルンはジュニアの問いに応えずに問い返す。
「少し前に戻っていたんだけれどね。
仕事が山積みになっていて、やっと片付いたんだよ」
ジュニアは少し疲れた様子でアルンと対面して座る。
「ふうん? 色々忙しくて何よりだな」
アルンは特段感情の籠もらない口調で言う。
ジュニアは、あはは、と笑う。
「エール、人数分貰うよ!」
ジュニアはサマサに向き、注文する。
はーい、とサマサは応え、厨房に消える。
「なんだ? 高くつきそうだな」
アルンは警戒する。
「単なるお礼だよ、ソニアの無茶、聞いてくれた」
ジュニアは笑う。
「それはお互い様だけれどな……。
ラビナは今どうしているんだ?」
アルンはチキンをフォークで突き、口に運ぶ。
「光の谷とサルナトを行ったり来たりかな。
サルナト、ナイ・マイカ、光の谷には道を通したから今では楽に行き来できるよ。
っと、ありがとう」
ジュニアはサマサから二杯のエールを受け取る。
「正直、お前さんたちは大したもんだと思うね。
夢幻郷を変える一大事件を目の当たりにしてしまった」
アルンは表情を変えずに呟く。
口調は褒めているようには聞こえない。
「ふうん? あまり夢幻郷を変えるべきではないと?」
ジュニアはアルンの顔を見ながら訊く。
「ん? ……まあ俺はそう思う。
夢幻郷の変化は常に非可逆的だ。
変化が良いものかどうかは誰にも分からない。
致命的なものでないと誰が保証する?」
アルンはジュニアの目を見て言う。
ジュニアはアルンの視線を受け止めながらエールを飲む。
「しかもお前さんは夢幻郷から立ち去ってしまった」
アルンは続ける。
「変化を与えながら立ち去るのは無責任かな?」
ジュニアの声は落ち着いている。
「無責任は無責任だな……。
とは言え、夢幻郷の変化は無責任な輩により行われ続けた歴史でもある。
傍迷惑な変化を与えた直後に惨殺されるなんてザラだ。
所詮人間は自分の行動のすべてに責任を負うなどできない。
お前さんがすべての責任を負えなくても仕方がないことだ」
アルンはジュニアを見ずに言う。
そして、それに、と続ける。
「今回に関して言えば俺の行動も大きな変化の一部かも知れないしな」
アルンはやや自虐的な笑みを浮かべる。
暫く会話が止まる。
二人はエールを呷る。
「ナブーがね、夢幻郷で会った蕃神なんだけれど、ムナールを再び五千万の人間を抱く大ポリスにしろ、って言うんだよ。
現実世界の人間は地球外に活路を見出せば良いとも言っていた」
ジュニアはそこまで言ってエールを呷る。
アルンは黙ったままだ。
ジュニアの顔を見、言葉の続きを待つ。
「……俺はね、その言葉に揺さぶられてしまったんだ。
ああ、地球に拘らなくても良いんだ、って気付いてしまったんだよ」
かなり経ってジュニアは続ける。
しかしその後の言葉を続けない。
アルンはエールを飲まずにジュニアの顔を見ている。
ジュニアは店の窓の外を見ている。
夕方の柔らかな日差しが屋外を照らしている。
「お前さんはお前さんの家族と友人だけを宇宙に逃がすつもりなのか?」
続きが無いのでアルンは訊いてみる。
どこの星に移住するかはともかく、現在の地球の人口、推定六千万人全員を宇宙に疎開させることは非現実的だ。
ジュニアの視線はゆっくりとアルンに向く。
「俺はね、宇宙に行くよ――」
「――お待たせ」
ジュニアが口を開いたとき、サマサがお盆を持って現れる。
サマサが香辛料の効いたチキンソテーとスープ、パンをジュニアの前に配膳する。
そして、よっと、と言いながらジュニアの右、アルンの左の席に腰かける。
目の前には自分用と思われるエールのグラスが置かれている。
「え? サマサ、君、仕事中じゃないの?」
ジュニアは慌てるように訊く。
「まあ、他のお客さん、居ないしね、休憩よ。
陽が沈んだらお客さん、来るだろうからそれまでね」
サマサは店の中を振り返る。
結わえられたサマサの暗い金髪が頭の後ろで揺れる。
先ほどまで居たもう一組の客は帰ったようだ。
「いや、それでも仕事中にアルコールはないんじゃないの?
君、そんなに酒、強くないだろう?」
ジュニアは咎めるように言う。
サマサの頭は再びクルリと周り、ジュニアに向く。
「あら、だって折角ジュニアが奢ってくれるのに断ったら悪いじゃない」
サマサは悪い笑顔で言う。
「え? ってさっきの、人数分、てやつ?」
ジュニアは言い淀み、天井を見る。
サマサは勝ち誇ったように笑う。
アルンも視線を落とし、声を噛み殺して笑う。
「いや、いいよいいよ。
いつも世話になっているからね、好きなだけ飲んでよ」
ジュニアは笑顔を作り、応じる。
「ふうん? お酒が弱いって知っている女に酒をいくらでも飲めと言うのね?
責任とってもらうわよ?
……でも、今日は一杯でいいわ、残りはお休みの日に奢ってもらうわね」
サマサは艶やかな笑顔を作る。
「まあ、私のことは気にしないで話を続けて」
「え? なんのこと?」
「何のことって、宇宙に行く話よ。
『俺はね、宇宙に行くよ』って誇らしげに語っていたじゃない。
それとも私に聞かれたら困るお話?」
サマサは軽やかに笑う。
特に悪意があるようには見えない。
アルンは視線を動かし、サマサとジュニアの顔を見比べる。
「そんなことはないけれど……。
天垂の糸は知っているよね?
上にある人工衛星がね、メンテナンスが必要なんだ。
何か不思議な壊れ方をしていてね、修理を頼まれた。
来週から基地に行って準備して、それから天垂の糸に昇らなくちゃなんない」
「また旅に出るの? お忙しいことね。
あの三人の娘たちと一緒?」
「え? 三人ってソニアとアムリタのこと?
なんで彼女らを知っているの?」
ジュニアは驚いて訊く。
エリーはともかくソニアとアムリタは知らないはず、ジュニアはそう思っていたのだ。
「なんでって、うちのお得意様よ?
週二で通ってくれているわ」
サマサは、ねえ? とアルンに同意を求める。
アルンは面白くなさそうな表情で頷く。
「――いつの間に!」
ジュニアは絶句する。
「あの三人をコントロールできると思っているんだから、存外お前さんも抜けているよな」
アルンは冷たく言い放つ。
ジュニアは、うーん、返す言葉もないかも、と悄気る。
「一人ひとりでも強烈だけれど、三人で組まれたらほぼほぼ勝てる人は居ないわよね」
サマサはカラカラと笑う。
「でも、貴方の重要なスタッフなんでしょう?」
サマサはジュニアを見て言う。
「まあね……、っていうか仲間だよ」
ジュニアは応える。
サマサは、仲間かあ、と笑う。
「少し羨ましわね。
今の私には仲間が居ないから……。
で、ジュニア、貴方、今度は宇宙に行くの?」
サマサは左手で頬杖をついて訊く。
「え? ああうん、宇宙と言っても静止衛星軌道までだけれどね」
ジュニアは言い訳するように言う。
「忙しいことね……。
それっていつか言っていた北極の神さま関連?」
サマサは一口エールを含む。
ジュニアを見るサマサの目は笑っていない。
アルンもジュニアを見る。
「えーと……、今回は直接は関係ないかな……。
静止衛星軌道上の人工衛星、通称空中庭園っていうのだけれど、大きな居住区になっているんだ。
これがね、軌道を外れてロストしかねないんだよ。
だから結構急ぎなんだ」
ジュニアが説明している間にアルンは席を立つ。
「悪いが俺は時間だ。
エール、ご馳走さま」
アルンは定食の代金をテーブルに置き、立ち去ろうとする。
「アルン、誘いに来たんだ。
一緒に行かないか?」
ジュニアは慌ててアルンに声をかける。
アルンは少し驚いたような顔をするがすぐに無表情に戻る。
「誘ってくれてありがとう。
でも俺はラビナが戻るのを待たなくてはならない」
アルンは右手を軽く振り、店を出てゆく。
ジュニアは力なく座る。
「なにか悪いわね、邪魔してしまったようで」
サマサは済まなさそうに謝る。
「君は悪くないんだけれどね……」
ジュニアはサマサに笑いかける。
「男の子にモーションかけて、振られてしまったことは黙っておいてあげるわね」
サマサは悪い顔で笑う。
「違った、君の性格は悪いんだった」
ジュニアは呟く。
サマサは、軽やかに笑う。
そして真顔になる。
「夢幻郷の次は宇宙かあ」
サマサは寂しそうに呟く。
ジュニアはサマサの顔を見る。
「二年前よね、貴方がここに来たのは」
「そうだっけ?
うちの道具屋そのものはもう少し前から在ったんだけれど……」
「いつの間にか現れて、そしていつのまにか居なくなってしまうのでしょうね……。
そんな気がするわ、貴方」
サマサはエールのグラスを見ながら言う。
ジュニアは応えられず、黙っている。
「約束だからね」
サマサの視線はジュニアに向く。
「え?」
「いつか休みの日に、私に奢りなさい。
貴方たち親子の未来を少し教えてあげるわ」
サマサは笑う。
「はい?」
ジュニアは面食らう。
その時、店のドアが、カラン、と音をたてて開き、数人の客が入ってくる。
店の外はいつの間にか夕暮れとなっている。
「いらっしゃーい」
サマサは立ち上がり、客を迎えるべくドアに向かう。
ジュニアは一人、テーブルに残る。




