第五章第一話(一)星に願いを
――崩壊歴六百十五年の八月一日午後八時
「綺麗な夜空ね」
マリアは呟く。
マリアは歳の頃十八歳、飛空機の三列ある座席の最後列に腰かけている。
二列目の席は背もたれが倒され、オットマン代わりになっている。
飛空機の中は暗く、操縦席の計器類のみが淡く光っている。
窓の外には空一面の銀河が眩く輝いている。
マリアは肘置きに頬杖をついて、飛空機の窓の外、夜空を見上げている。
マリアは防寒着を兼ねた飛行服を着て、酸素ボンベを傍らに置いている。
飛空機の高度は約一万メートル。
飛空機は短い両翼の後ろにジェットエンジンがある。
更に胴体後方側面に大きなロケットエンジンと思しき円筒形の機械が取り付けられている。
機内の酸素分圧はかなり下がっているが、マリアは酸素マスクを使っていない。
「そうか、良かったな、マリア。
こっちは赤外線ゴーグルを着けているんで、いまいち綺麗な星空には見えないけれどな」
操縦士席に座るマリアの二つ下のおとうと、ヨシュアが応える。
ヨシュアも飛行服を着ている。
ヨシュアの首には酸素マスクがかかっていて、そこから、シュー、という音が聞こえる。
「あ! 流れ星」
操縦士席の左、副操縦士席に座る少女、リリィが右前方を指さす。
ツゥー、と一筋の光が流れる。
マリアも同じ方角を見ている。
マリアの手が動き、腰の上で指を組んで合掌の形を作る。
「マリア! マリア!
今の綺麗だったね。
私はマリアとヨシュアといつまでも一緒に居られますようにってお願いしたよ!」
リリィはマリアに振り返り、興奮気味に報告する。
「有り難う、リリィ。
相変わらず可愛いことを言ってくれるのね、大好きよ」
マリアはリリィに微笑む。
リリィは嬉しそうに破顔する。
リリィは年齢、十にも満たない。
しかし身長が高いため、幼くは見えない。
リリィは雪山登山用の格好をしている。
酸素マスクを口に装備して、喋るたびに、シュコー、と音がする。
「綺麗な星空だね、マリア。
さっきから沢山の流れ星が流れているね。
ねぇねぇマリア、マリアは何をお願いしたの?」
リリィは副操縦士席の背もたれ越しにマリアに訊く。
「素敵なボーイフレンドができますように、ってお願いしたのよ」
マリアは小さないもうと、正確には従妹に笑顔で応える。
「へー! ボーイフレンドかー! いいなー!」
リリィは無邪気に笑う。
「そうね、この素敵な星空をボーイフレンドと二人で見られたらとてもロマンティックじゃない?
おとうとやいもうととじゃなくて」
マリアは悪い笑顔で言う。
「俺は別にマリアと見るので十分満足だけれどな」
ヨシュアは操縦士席から振り向きもせずに応える。
「そうだよそうだよ!
私だってマリアとヨシュアと一緒にこんなに綺麗な星空を見ることができて大満足だよ!」
リリィは副操縦士席の背もたれを抱きかかえながら力説する。
「あなたたち、本当に可愛いわね、大好きよ。
でもあなたたちには、ボーイフレンドが何たるかを教えてあげる必要があるわね。
単なる男友だちじゃないのよ?
彼氏のこと、カ・レ・シ」
マリアは笑みを浮かべながら呟く。
リリィはキョトンとした顔で、何が違うの? と訊く。
「まあ、ボーイフレンドに関するマリアのレクチャーは今度、改めて訊くとして、そろそろ指定の時間、指定の位置だぞ」
ヨシュアは計器を見ながら言う。
リリィは慌てて副操縦士席に座り直す。
「オーケー! いよいよね! ヨシュア! リリィ! 手筈どおりにお願いね!」
マリアは嬉しそうに笑う。
「了解、進路を真東にとる」
機体は傾き、方向を変える。
進行方向右にアルタイル、左にデネブが競うように輝く。
「夏の夜空は賑やかでいいわね」
マリアは満足そうに笑う。
機首は引き上げられ、進行方向にはベガが輝いて見える。
「ロケットエンジン点火!」
ヨシュアはマリアの言葉を無視するように言う。
リリィは六点式シートベルトを掴み、衝撃に備える。
胴体後方部から激しい音が聞こえ、機体に猛烈な加速Gが加わる。
「高度一万五千!」
リリィが高度をカウントする。
加速は尚も続く。
「高度二万!」
加速に窓の外、飛空機の主翼が激しく撓む。
マリアは窓の外を見ている。
「高度二万三千!
ロケット燃料残り僅か!」
リリィのカウントは続く。
ヨシュアは操縦桿を押し下げる。
機体はやや機首を戻す。
「来たわ!」
マリアの声と呼応するように大量の光の筋が扇型に広がり、飛空機の頭上を追い越してゆく。
「うひゃあー! あれ当たったらお終いだよね?
えっと、二万五千!」
リリィは、情けない声をあげながらもカウントを続ける。
「ロケット燃料カット、慣性飛行に移行」
ヨシュアは冷静な声で言う。
「緯度、経度、高度、速度、進行方向、すべて予定通り」
リリィも応える。
「シグナルは?」
マリアは短く訊く。
「電波では拾えないが、後方上空に点滅しているのがそうなんじゃないか?」
ヨシュアは前を見たまま応える。
マリアは窓の外を見るも、マリアの位置からは真後ろは見えない。
「ううん? じゃあ、ちょっと行ってくるわね。
位置合わせよろしく」
マリアは酸素ボンベを担ぎ、首にチューブをぶら下げて立ち上がる。
ヨシュアとリリィは酸素マスクを被りなおす。
「外気を導入するわ。
注意して」
マリアは後部ハッチを操作する。
機内の空気は流れ出てゆき、外気と同様に著しく気圧が下がる。
マリアの顔から血の気が失せ、死人のように白くなる。
しかし、マリアは何事もなかったように操作を続ける。
後部ハッチに手をかけ、留め金を外す。
そして後部ハッチを押し上げる。
後方頭上に眩しく輝く光点が見える。
光点はよく見ると周期的に点滅する灯りが随伴している。
リリィがマリアに駆け寄る。
「ロープの捌き、お願いね」
マリアは後部機内壁面に用意してあったロープの端、カラビナをリリィの腰ベルトに引っかける。
続いて別の長いロープの端のカラビナを自分の腰ベルトに装着する。
「分かった、任せて」
リリィは酸素マスク越しに応える。
「マリア! 光点から分離した!
ターゲットだ!
出てくれ! 二十秒後に軌道がクロスする!」
ヨシュアが叫ぶ。
飛空機の機首は下がり、白色の光点は頭上を越えてゆく。
白色の光点の後ろに、赤と緑に交互に光る暗い光点が見える。
「オッケー! じゃ行きますかー!」
マリアは明るく応え、後部ハッチから空中に飛び出す。
マリアは進行方向逆側に体を広げる。
風の抵抗を受け、マリアは飛空機の機体から遠ざかる。
リリィはロープを送り出してゆく。
マリアは酸素マスクをしていない。
酸素マスクは酸素ボンベから伸びるチューブから揺れる。
マリアは酸素ボンベから伸びているもう一本のチューブを直接咥えている。
マリアは空気抵抗を受け、ロープを引きずりながら飛空機から離れてゆく。
そして赤と緑に点滅するターゲットに近付いてゆく。
マリアは明るい夜空に落ちてくるターゲットを目視する。
ターゲットは人だ。
銀色のスーツ、宇宙服のようなものを着た人だ。
大の字になって、風の抵抗を受けながら自由落下してくる人だ。
マリアは彼我の速度差を計る。
相手は想定よりやや早い。
しかし何とかなる。
マリアは風の抵抗を少なくして速度を合わせる。
そして降ってくる人物を抱き締めるように捕まえる。
宇宙服の人物は両手でマリアを優しく抱擁する。
マリアは銀色のスーツの頭部、ヘルメットバイザーの中を覗き込む。
バイザーの中には少年の顔が見える。
少年の顔は笑っている。
少年はヘルメットのロックを外す。
ヘルメットは投げ捨てられ、少年の貌が顕わになる。
豊かな髪、精悍な顔をした少年の貌。
「やっと会えた! やっと君に会えた!」
激しい風切り音の中、少年の声は辛うじてマリアに届く。
マリアは少年の体を両手で支えるように、背面に向かって落下している。
「マリア、初めまして。
僕はジャックと言います。
マリア、僕は君が好きです。
僕のガールフレンドになってください」
激しい風切り音の中、少年は満面の笑みを浮かべて言う。
マリアは口に咥えていたチューブを離す。
「ええ、喜んで」
マリアは落下しながらにっこりと微笑んで応える。




