第四章最終話(十一)姉夫婦
「まあアルン、貴方が彼女を連れてくるなんて晴天の霹靂ね。
何々? 二人で来るなんて結婚の報告?」
ニーナはアルンとその隣に立つ赤毛の少女を見て、満面の笑みで言う。
ここはメルロイの邑にあるニーナと彼女の夫の家だ。
アルンとソニアはバイクでニーナの家の前に乗り付け、ドアをノックしたのだ。
「あのー、ここにも居るんですけれど」
パールが見上げるようにニーナに向かって手を挙げる。
その後ろのシメントも軽く手を挙げる。
「あら? 二人きりじゃないのね?
ちょっとがっかり。
っていうか地下鼠のお友達?
この邑にも地球猫が居るわよ。
食べられないように気を付けてね」
ニーナは真顔で言う。
「ヨルもギンも地下鼠を食べたりしないだろう」
部屋の奥、ソファーに座った男性が笑いながら言う。
ニーナは舌を出し、自分の頭を拳で叩くジェスチャをする。
「ああ、久しぶり、ニーナ、レオ。
この人はソニア、あのジャックの娘さんだ。
そしてこの二人は地下鼠のパールとシメントの姉弟。
光の谷の開放を手伝ってくれている」
アルンはニーナにソニアを紹介する。
「彼女が俺の姉のニーナだ。
そして彼がニーナの旦那のレオ」
アルンは続いてニーナ夫妻をソニアたちに紹介する。
家の中、ソファーに座った髭面の男性がにこやかに手を振る。
「やるじゃない、アルン。
おねえさんはね、貴方が一生ラビナの下僕として生きていくんじゃないかと心配していたのよ」
ニーナはアルンに意味ありげに微笑む。
そしてソニア、パール、シメントをリビングに誘う。
ソニアたちは勧められるままにソファーに腰かける。
「お二人はこの邑で暮らしているんですか?」
ソニアは微笑みながら訊く。
「そうそう、ほぼここで暮らしているわね」
「現実世界と行ったり来たり?」
「ううん、彼はネイティブだから」
ニーナは笑う。
ソニアは、ネイティブ? と訊き返す。
「夢幻郷で生まれた者のことだよ」
レオは笑いながら応える。
なるほどネイティブ……、とソニアは驚いた顔で言う。
「私は夢幻郷の常識をもっと知るべきですね……。
夢幻郷に来たのも二回目、ほぼほぼ初めてなのです」
「でも僕の彼女は普通じゃないぞ、っと?」
ニーナは意味ありげに笑いながらアルンを見て訊く。
二人がバイクで乗り付けたことからソニアを只者とは思っていないのだ。
「ソニアには兄が居るんだがサルナトの王だ。
この兄妹は夢幻郷に様々なものを持ち込んでいる逸材だ。
ソニアはジャックの人工衛星がそのまま使えるらしい」
ニーナは、ふうん? と呟く。
アルンは話を続ける。
「大きな変化が起きている。
多分前回、ジャックの騒動の続きだ。
サルナトの街が復興し、天空に現実世界との間のゲートが開いた。
そこから巨大なシャイガ・メールの幼体が降ってきた。
シャイガ・メールは暫くサルナトの街に留まっていたが、ラビナを乗せたまま消えた」
ニーナはアルンを見てじっと見る。
アルンは自分の知る顛末をニーナとレオに語り聞かせる。
ニーナは終始、目をキラキラさせてアルンの話を聞く。
「で何? 二人はサルナトの王に先んじて光の谷に行くのね?」
ニーナは前のめりになってアルンに訊く。
「あのー、私たちも行くんですが……」
パールは背伸びをしながら右手を挙げ、アピールする。
シメントもコクコクと頷く。
「あ、ああ、そう……、四人で行くのね……?」
ニーナのテンションがやや落ちる。
「できればそうしたいと思っている。
なるべく穏便にシャイガ・メールを光の谷に戻してラビナたちの安全を確保したい」
アルンは応える。
「違うでしょ?
ラビナはどうでも良くて、彼女さんのため、そうでしょ?」
ニーナは再び前のめりになってアルンに訊く。
凄く嬉しそうだ。
アルンは黙る。
「ニーナ、アルンが困っているぞ。
あんまり虐めると、また暫く来てくれなくなるぞ」
レオは苦笑しながらとりなす。
ニーナは再び舌を出し、自分の頭を拳で叩くジェスチャをする。
「知ってのとおり、光の谷の二つある道、そのどちらも通るのは無理だ」
レオはアルンに言う。
アルンは黙って頷く。
レオは立ち上がり、奥の部屋に行く。
そしてすぐに大きなスクロール(紙の巻物)を手に戻ってくる。
レオは低いテーブルの上にスクロールを広げ、皆に見せる。
スクロールは夢見山脈を網羅する地図であるらしい。
等高線は異常に細く込み入っていて、険しい地形であることを示している。
ソニアは地図を凝視する。
「こことここが光の谷の入口。
しかし二つとも堰で封鎖さえていて通行できない。
あまつさえ、上から見るとこのとおり、路があるようにはまったく見えない」
レオは地図を指さしながら説明する。
「目があるとしたら光の谷の上からだな。
光の谷は隠されている。
上からではまったくどこにあるか見えない」
レオはアルンを見て言う。
アルンはソニアを見る。
ソニアはアルンの眼を見、軽く首を左右に振る。
「俺らのご先祖様は代々、夢見の山脈を調べてきた。
そして大体この辺りに光の谷があることを突き止めている」
レオは地図の上、夢見の山脈の中央部、東西に走る破線部分を指さす。
「確かに上からはまったく分からないのね」
ソニアは呟く。
「ふん? やっぱり上からは見えないか。
細い稜線の下、幅約二キロ、長さ約五キロくらいの裂け目になっているんだが、見た目は周囲と区別がつかない。
しかし降りてゆくと谷底は突き抜けていて更に降ると霧の中になる。
霧の中は暗く非常に危険だ。
以前は霧の中は非常に明るかったらしいんだが、例の事件以降、光が無くなって久しい。
今では真っ暗だ」
「光がなくなった?」
アルンは不思議そうに呟く。
「ああ、そうだ。
何かが光の谷で起こったのだろうな。
今の光の谷は光の谷ではない。
存外、ジャックは中から外を守るために道を封鎖したのではないかと話している」
レオの言葉にニーナは、うんうん、と頷く。
「なるほど……、ありそうな話だ。
どうする?」
アルンはソニアに向き、訊く。
「それでも私は行くわ」
ソニアは毅然と返す。
アルンは暫くソニアを見る。
そしてレオに向き直る。
「レオ、道具を貸して欲しい。
夢見の山脈を上から攻略する」
アルンはレオに頭を下げる。
レオは、ピュゥ、と口笛を吹く。
「恰好良いな、アルン。
男の見せ場というわけだ?
いいぞ、そういうの大好きだ。
俺の登山グッズを貸してやろう」
レオは微笑みながら言い、付いてくるように促す。
一同は家を出て、納屋に向かう。
「ハンマー、ハーケン(登攀用のくさび)、カラビナ、エイト環(大小二つの輪でできた金属製の登山用の器具)、カム(使い捨てではない中間支点器具)。
ナイロンザイル五十メートルを四本。
十メートルも六本。
ランプ付きのヘルメット。
後、今回はこれも役にたつんじゃないか?」
レオは次々に物品を取り出し、最後に釣り用のテグスを巻いたボビン(糸を巻くための筒)数個をアルンに渡す。
「光の谷は深い。
俺は降りたことがないが、訊くところによると千五百メートル近くあるらしい。
だからザイルは使いまわす必要がある。
相当技術が要るが、お前さんのパーティーなら降りることができるかもな」
レオはアルンに向かってにやりと笑う。




