第四章最終話(四)悍(おぞ)ましき預言
エリーが空間を跳び、アムリタの前に現れ、右手を女、蕃神に向ける。
「私たちを禁止者リストから外して頂いて有難うございました」
アムリタはエリーを後ろから抱き締めながら自分の後ろに誘導する。
「なに、礼には及ばない、金星の女王よ。
我らは協力しあえる関係にあるのだから」
蕃神はエリーの動きを気にせず、アムリタに言う。
アムリタは返事をできないでいる。
蕃神も言葉を続けない。
「私たちはシャイガ・メールを光の谷に戻さなければならないの」
アムリタは気力を振り絞り、会話を続ける。
「それはお前たちの都合。
興味はないな」
蕃神は唇の端を吊り上げる。
「でもその為にも、シャンタク鳥を貸して頂きたいのだけれど」
「いいとも、約束だからな。
好きに使え。
お前の付けた名で呼べば、お前の元に現れるだろう」
蕃神は微笑む。
アムリタは、マーヤ! マーヤ、来て頂戴! と叫ぶ。
紫色の空に黒点が現れ、みるみるうちに大きくなる。
そして黒点はシャンタク鳥の禍々しい造形となる。
馬の頭、鱗に覆われた体、蝙蝠の羽を持つ巨大な鳥。
シャンタク鳥は地面に激しい音とともに降り立つ。
そして足を折って座り、首を下げる。
「マーヤ、会いたかったわ」
アムリタは微笑みながらシャンタク鳥、マーヤの首を撫でる。
「それで私たちは、どんな協力をすれば良いのかしら?」
アムリタは蕃神に訊く。
アムリタの顔には爽やかな笑顔が張り付いている。
「お前たちの協力?
ははは、逆だよ。
私はね、お前たちに協力をしに来たのだよ。
私はお前たちに預言を与えよう」
蕃神は長い首を横にしてアムリタの顔を覗き込む。
アムリタは、お手柔らかに、と呟く。
「お前たちは友人の死を目の当たりにするだろう。
友人はお前たちの前で斬殺される。
お前たちはその緩やかな惨たらしい死にざまをただ見ているだろう。
お前たちの心は削られ、ここに来たことを後悔するだろう」
蕃神は美しい笑みを浮かべて呪いの言葉を吐く。
アムリタはその言葉を微笑んだまま受けとめる。
「それを回避する方法はあるのかしら?」
アムリタは問い返す。
「もちろんあるとも。
このまま、夢幻郷を立ち去れ。
さすれば惨事は回避される」
蕃神は満足げに微笑む。
「帰ることが貴女への協力になるのかしら?」
アムリタは重ねて問う。
「ふふふ、私としてはお前たちにその経験を乗り越えて欲しいと思っているよ。
なに、死に然程の意味はない。
気にしなければ良いだけだ」
蕃神は、ご随意に、というようにアムリタを見たままシャンタク鳥を掌で指し示す。
「ご助言、どうも有難う。
私たちは先に進むわ」
アムリタは微笑みながらシャンタク鳥の上に足をかける。
エリーは暫くアムリタと蕃神を交互に見るが、アムリタに倣いシャンタク鳥に乗る。
「マーヤ、お願い、飛んで」
アムリタはシャンタク鳥、マーヤに指示を出す。
マーヤは羽ばたき、黒い巨体を空中に浮かべる。
「そうだ、人々を導く明星の魔女よ。
お前はお前の過酷な道を進むが良い。
我はお前の拓く未来に期待しよう」
蕃神は立ち上がり、両手を広げる。
そのさまはシャンタク鳥に乗る二人を送り出しているかのように見える。
シャンタク鳥は高度を増してゆく。
「マーヤ! 西よ!
白い屋根の寺院のある街に連れていって頂戴!」
アムリタは叫ぶ。
――ピイィーッ
シャンタク鳥は嘶き、進路を西に変える。
風切りの音激しく、シャンタク鳥は速度を上げて飛んでゆく。
エリーは左手でアムリタの頭に手をまわし、自分のこめかみに押し当てる。
「どこまでの未来を視たの?」
エリーはアムリタに訊く。
エリーの保護魔法により飛行音は聞こえなくなっている。
そして二人の会話も周囲には聞こえないはずだ。
「なにも見えなかった……。
一切の未来が見えなかったのよ……」
アムリタは落胆したように言う。
「どういうこと?
対策されてしまったということかしら?」
「分からない。
でも多分、殺意も害意も無かったんだと思うわ。
仮に私があの人を殺そうとしてもあの人は無抵抗に殺されるのだと思う。
だから私には何も見えなかったのよ」
アムリタは応える。
「しかし物凄い呪いの預言を吐いていたわ。
あれは悪意としか思えないわよ?」
エリーは訊く。
「うん、確かにあれは悪意……。
でも私たち二人が死ぬわけではないはずよ……。
私たちの友人、私たちが出会う誰かが私たちの前でゆっくりと斬殺されるとあの人は言っている」
アムリタは考え込むように応える。
「ジュニアたちの所に行って良いものかしら?」
エリーはアムリタの目を至近距離で見る。
アムリタはエリーとは視線を合わせず黙る。
「アムリタ? 大丈夫?」
エリーはアムリタの表情が暗いので心配になって訊く。
「……私には信じられないの。
信じたくないの。
誰かが殺されかけていて、私が……、私たちが見ているだけの状況があるなんてことを……。
私は信じない、そんなこと絶対に信じない!」
アムリタの顔には悲愴な表情が浮かんでいる。
エリーはそんなアムリタを見て言葉を失う。
アムリタはゆっくりと首を回し、エリーの目を見る。
そしてぎこちなく笑う。
「でもそうね、念には念を入れたほうが良いわ。
できるだけ皆とは別行動をとりましょう。
近くに居なければ、斬殺現場に立ち会うこともないのだから」
エリーはアムリタの頭に手を回し、アムリタの頭を撫でる。
「ああ、そうね。
そうしましょう。
そして私たちは誰も見殺しになんかしない。
必ず助けてみせる。
そうよね?」
エリーはアムリタの頭を撫で続ける。
アムリタは無言で何度も頷く。
シャンタク鳥は飛び続け、眼下の嶮しい山肌は速い速度で流れてゆく。
「ところで蕃神はアムリタのことを金星の女王と呼んでいたわね?
何か心当たりはあるかしら?」
エリーは話題を変える。
「ううん、私が聞きたいわ。
金星って人が住める所なの?」
「うーん、金星はちょっとした地獄ね。
あらゆる意味で人が住むには適していないわ」
「地獄? あんなに綺麗に輝く星なのに?」
アムリタは驚く。
視等級マイナス四・七、明星の別名に相応しく金星は太陽と月、一部の人工衛星を除けば地表から見える最も明るい星だ。
その美しいイメージとは裏腹に、金星は地獄と言ってよい過酷な環境にある。
「金星が明るく輝くのは、分厚い雲が太陽の光の大部分を宇宙に反射させてしまうため。
地表近くは太陽の光が殆ど届かないうえに二酸化炭素の大気は九十気圧もあるの。
人間はぺしゃんこになってしまうわ。
それに地表温度は温室効果で摂氏四百度を超えるらしいわよ」
「四百度! さすがに行きたくはないわねぇ」
アムリタの顔に笑みが戻る。
「そうね、古代文明では火星をテラフォーミング(可住のために人為的に惑星の環境を変化させること)する計画があって、人間を送り込んだこともあるそうだけれど……。
そんな古代文明のテクノロジーをもってしても金星は人類未踏。
金星は人間が行くには過酷すぎる環境なの。
テラフォーミングにも向いていないと思うわ」
「ふうん? それならなにゆえ私は金星の女王?」
アムリタは首を捻る。
「さあ? 何かの比喩表現?
アムリタの髪の色のことかもしれないし……、それにほら、金星は美や愛の女神に例えられるから」
エリーは言う。
アムリタは、ははは、と乾いた声で笑う。
「でも、『人々を導く明星の魔女』ってフレーズはかなり気に入ったわ。
どこか素敵な星に皆を連れていくのって憧れるの」
アムリタはエリーを見て笑う。
「そうね……、アムリタは地球スケールには収まらないわね」
エリーも薄く微笑む。
「それって、良い意味でよね?」
アムリタは心配そうに訊く。
エリーは、もちろん、と言いながらアムリタの頭を撫でる。
――ピイィーッ
シャンタク鳥が再び嘶く。
前方に大きな湖が見える。
「そろそろね。
ではミッションの確認よ。
先ずはジュニアに会いに行く。
そして光の谷の奪還を裏方として手助けする。
更にはシャイガ・メールを光の谷に戻してあげる。
そのうえでジュニアに現実世界に帰るよう促す。
これで良いかしら?」
アムリタはエリーに確認する。
「ええ、完璧よ、アムリタ。
そうしましょう」
エリーは応じる。
シャンタク鳥は羽を広げ、湖に向かって岩山の斜面上空を滑るように降りてゆく。




