第一章第二話(八)ラビナの過失
少し前、ラビナはアムリタ達を追跡するべく、山道を登っていた。
手に持っているのは小銃の入った筒状の布袋だけである。
ラビナの荷物はアルンが持ち、少し遅れて追跡しているはずだ。
ダッカの街でアムリタと別れてから、ラビナ達はアムリタを追跡している。
アムリタを泳がせていたらジャックの元に辿りつけると考えたからだ。
しかし、数日監視していても一向にジャックの気配さえもしない。
いい加減諦めようとしていたところ、アムリタ達が旅に出る準備を始めた。
行き先はグリース草原の先、川の上流の山であるという。
慌てて旅の支度を整え、先回りをした。
距離を十分とってアムリタ達に悟られないように後をつける。
気をつけているはずだった。
ラビナはアムリタ達からはギリギリ見えない距離で相手の行動を監視する。
アムリタ達は楽しそうに下界を指さしながら歩いている。
気楽なもんだ、と思いつつ自分も下界を見る。
たしかに爽やかな風景である。
視線をアムリタ達に戻すと曲がり角を曲がったらしく、姿が見えなくなっていた。
ラビナは歩を早め、曲がり角を目指す。
曲がり角を曲がってもアムリタ達は見えない。
さらに歩を進める。
しかしいくら先を急いでもアムリタ達に追いつけない。
流石におかしいとラビナは気付く。
先ほどから曲がる向きが同じなのだ。
風景も変わっていない。
同じ道を二回歩み、これで三回めである。
ラビナは小銃を細長い布袋から取り出し構えながら歩を進める。
空間が弄られている、そうラビナは予想する。
何者かがラビナの進路を後方に繋げて同じ処を繰り返し歩ませようとしているのだ。
ラビナは前方を凝視し、空間の歪を探す。
あった、ラビナは前方の空間に微かな歪を見つける。
空間の歪の前で立ち止まり、小銃を構えて左からすばやく回り込む。
しかしそこには誰も居ない。
ラビナは警戒しながら進行方向に振り向く。
そこに深いフード付きの黒いローブを頭から被った少女が至近距離でラビナのほうを向き、立っている。
「何故我らを追う?」
黒いフードの少女は暗く低い声でラビナに問う。
少女の表情は暗く、綺麗に整った顔にある灰色がかった水色の目はラビナを冷たく見つめる。
「ひぃ!」
ラビナ驚き思わず小銃を黒いフードの少女に向け、発砲してしまう。
――ダーン!
小銃は大きな銃声を発し、銃弾は少女の黒いローブの腹のあたりに命中する。
しまった、殺してしまった、ラビナは後悔に包まれる。
しかし、黒いローブの少女は何事も無かったかのようにその場に立ち続けている。
ただ黒いローブの腹の部分に銃弾の跡が残っている。
たしかに銃弾は命中したのだ。
黒いローブの少女はゆらりと前に進み、ラビナとの距離を更に詰め寄る。
「銃を置いてきた道を去れ」
黒いローブの少女はローブから顔と右手の先だけを出し、ラビナに命じるように言う。
少女の右手は禍々しい黒い煙のようなものを纏っていて異様である。
ラビナ後方に跳び、距離を取ろうとする。
その瞬間、黒いローブの少女は消え、ラビナのすぐ左に現れる。
黒いローブの少女は左手でラビナの小銃の銃口付近を掴む。
同じタイミングで右手はラビナの左手を掴む。
ラビナは左手に激痛を感じる。
黒いローブの少女に掴まれたラビナの左手は瞬く間に腫れあがる。
「大人しく去るのならば治してやろう」
あまりの激痛に、ラビナは右手に持っている小銃を手放す。
そして左手を黒いローブの少女の手から逃れさせようと右手で少女の右手を振り放そうとする。
しかし黒いローブの少女はラビナの左手を握ったまま離さない。
ラビナの左手の腫れは広がってゆく。
ラビナは自分のマントの下、腰に佩いている短刀を右手で抜きはらい、黒い少女の右手を切り上げる。
黒いローブの少女の右手から鮮血が迸り流れる。
しかし黒いローブの少女は切られた右手を一顧もしない。
黒いローブの少女の禍々しく黒い煙のようなものを放つ左手はラビナの首を捉える。
――ガクン!
ラビナは世界が暗転するのを感じる。
何が起きたのか判らない。
力が全く入らなくなり、意識も急激に薄れてゆく。
まずい、殺される、ラビナは断ち切られそうになる意識で感じる。
立っていられない。
ラビナは力なく膝を折り、地面に右手をつく。
何だ?
この魔法は?
体を弄られてしまったのか?
ラビナは薄れゆく意識の中、目の前に立つ黒いローブを纏う、どこまでも禍々しい魔女にしか見えない少女を見上げる。
黒いローブのフードの下に見え隠れする少女の整った顔にはなんの表情も読み取れない。
ただ、ラビナをじっと観察するように見つめている。
ラビナの目は焦点を失い、世界が回る。
何でこんな化け物に喧嘩を売ってしまったのか?
会った瞬間逃げるべきだった、ラビナは後悔する。
そして崩れ落ち、右の頬に冷たく硬い地面があたるのを感じる。
黒いローブの少女は握っていたラビナの左手を放す。
逃げなければ!
――タタッ!
ラビナは渾身の力を振り絞り、山道から崖に向かって跳ぶ。
ラビナの体は藪の深い崖下に落ち、消える。
黒いローブの少女は無言で山道から崖下を窺う。
ラビナは意識が朦朧とする理由が高熱を発しているせいであることを自覚する。
あの魔女は触れることにより相手の体の中を弄れるのだろう。
左手は激しく腫れあがり、全身は高熱で満足に動けなくなっている。
崖から落ちたときに右足も折れているようだ。
ラビナはボロボロになった体で転がり落ち、這いながら移動し、藪の中に身を隠す。
黒いローブの少女は、ラビナを諦めてはくれないようである。
ラビナはブラックアウトしつつある視界の中に、空中に黒いフードを被った少女の顔が浮かぶのを見る。
顔は、崖をつぶさに探っている。
私を探している、怖い、怖い、こわい。
ラビナは黒いフードの少女が、ただひたすら怖かった。
見れば見つかりそうで目を閉じた。
ラビナはそのまま気を失った。




