第一章第二話(六)高いところが好き
――崩壊歴六百三十四年の五月十四日十時
アムリタとジュニア、エリーの三人は山を沢伝いに歩いている。
「アムリタはこの道、詳しいんだよね?」
ジュニアはアムリタに問いかける。
ジュニアは大きなキャリバッグを背負っている。
「うんうん、まかせて」
アムリタは布袋を背負い、先頭を鼻歌交じりに歩きながら応える。
「沢の流れとか、随分変わって面影が無いけれど、方向的には合っているはずよ」
「面影が無いんだ……」
ジュニアは、大丈夫かな、と心配そうに呟きながらもアムリタに続く。
その後ろにエリーもついてゆく。
エリーは黒い襟付きのワンピースの上に黒いローブのフードを深く頭から被り、アムリタ同様布袋を背負っている。
エリーは歩きながら右手の人差し指で空中に文字を描いてゆく。
その文字は一瞬銀色に光り、文章らしきものを綴るがすぐに消える。
エリーはなにか魔法の修行でもしているかのようである。
「大丈夫、山の形は変わっていないから」
アムリタは朗らかに言い、先へと進む。
目指すは風の谷、二千五百メートル級の山系の中。
山々の間の標高千六百メートル付近の渓谷である。
「前は道が有ったのだけど鉄砲水とかで道らしい道が消えてしまったようね。
この勾配を上ると、山道に出られるはずよ」
アムリタは気軽に言っているが、三人は勾配と言うには急過ぎる斜面を登る。
アムリタとエリーも大きな背負い袋を持っているが、ジュニアのキャリバッグは一際大きいので大変そうだ。
「ほら、山道に出たでしょう?
って、荒れているわね」
三人は右側が山、左側が谷となっている斜面の山道に登りつく。
アムリタの記憶にある風景からはずいぶん荒れ果てているらしい。
「最近では、誰もここを通っていないのかなぁ」
アムリタは少し寂しそうである。
「ところで、ジュニアの荷物ってやたら大きいのね。
それって重いの?」
アムリタは気の毒そうにジュニアに尋ねる。
「見かけほど重くないよ。
十五キロくらいかな?」
ジュニアは応える。
「十五キロ!
流石山の男ね」
アムリタは呆れる。
なんでそんなに荷物が要るのだろう?
自分の荷物と見比べてアムリタは不思議に思う。
「代わろうか?」
エリーは殊勝にもそう申し出る。
「ありがとう。
でもいいよ。
この道なら自走できるから」
ジュニアはそう言って、キャリバッグを地面に置く。
するとキャリバッグの四つの角の垂直辺の金属棒がキャリバッグから分離する。
カバンの下側四隅をそれぞれの関節に金属棒が上側に伸びる。
キャリバッグの高さにあったそれぞれの関節で折れ曲がった金属棒が今度は下側に伸びる脚となって四本脚で自立する。
キャリバッグは四本の足でわしゃわしゃと三人を先導して歩き出す。
「わ、凄い、なにこれ?」
アムリタは驚き追いかける。
「自走キャリアだよ。
二人ともキャリアの上に荷物を置くと楽ができるよ」
ジュニアは不機嫌そうな顔で穏やかに言う。
「おお!
ではお言葉に甘えて」
アムリタは自分の荷物をジュニアのキャリバッグの上に置く。
キャリバッグはしばらくヨタヨタと左右にぶれる。
だがそのうち安定して歩き出す。
エリーは荷物を背負ったままである。
キャリバッグに預けるつもりはないようだ。
「これは魔法なの?」
アムリタはジュニアに尋ねる。
「単なる機械さ。
僕に魔法は使えない」
ジュニアはそう応えるが、アムリタには魔法にしか見えない。
「高度に発達した科学文明は魔法と見分けがつかないという例のアレね」
アムリタは感心して唸る。
「アレなんかに比べると全然魔法じゃないだろう?」
ジュニアは左側に開けた下界のさらに遥か向こうの山里の上を指さす。
指し示す指の先にはスッと定規で縦に引いたように見える一本の細い光の筋が見える。
「天垂の糸ね。
なんでも宇宙から垂れ下がっていると言われている」
アムリタは目を細めながらかすかに見える垂直の線を見る。
「そう、天垂の糸。
今日は条件が良いから珍しく光って見えるね。
あれは古代文明の遺跡の一つで別名静止衛星軌道エレベータという。
宇宙に行くためのロープさ。
今の技術ではあれを作ることはできない。
失った古代科学文明はまさに魔法だよ」
ジュニアは歩みを止めて感慨深げにアムリタに語りかける。
「へぇ、あれ宇宙に行けるんだ。
行ってみたいなぁ」
アムリタはポケッと口を空けながら憧れの目で遥か彼方の天垂の糸を見る。
「そうだな、私も行きたい」
エリーも無表情に呟く。
「二人とも冒険者だね」
ジュニアは優しい口調で呟く。
三人とも足を止め、風景を見ている。
「魔法と言えば、アレもそうだね」
ジュニアは、今度はやや東の方向遠くを指さす。
その先には直角の角を天に向けた薄く灰色に見える直角二等辺三角形がある。
「超高層ピラミッドね」
アムリタは遥か遠く山に見えるそのなにかを見ながら応える。
「あれが人工建造物というのは脅威以外のなにものでもない。
直径二万四千メートル、高さ一万二千メートルの円錐状の多目的ビルディング。
多くの場所からの風景眺望を変えてしまったアレを、設計するだけならともかく、実際に作ってしまった文明はやっぱり滅びるべくして滅んだんだろうなぁ」
ジュニアは悪態をついているようで、口調は尊敬してやまないといった感じである。
「一万二千メートル。
そんなに高いんだ。
登ってみたいなぁ」
アムリタはまたも、ポケッと口をあけ、憧れの目で超高層ピラミッドを眺める。
「アムリタ、君は本当に高い所が好きなんだね」
ジュニアは呆れながら笑う。
「標高一万二千メートルの世界は、気温零下七十度、酸素分圧は地上の四分の一という極限状態なんだ。
耐寒服と酸素ボンベ無しでは人間は生きていけない。
でも、人が作ったものだから登れないわけではないんだろうね」
ジュニアも標高一万二千メートルの世界がまんざら嫌いであるわけではないようだ。
それよりも、とジュニアは続ける。
「やはり天垂の糸のほうが凄い。
天垂の糸の先、赤道から垂直に高さ約三万六千キロメートルにある静止衛星軌道に空中庭園、大きな居住区、スペースコロニーと呼んで良い人工衛星がある。
「その先約一万キロメートルにバランサーがある。
バランサーが遠心力で地球から離れようとする力と天垂の糸が地球に落ちてこようとする重力が釣り合いを保っているんだ。
「バランサーは逆さまになった大きなクラゲのような形をしているんだよ。
無数の巻取り式のロープと巨大な分銅があって長さを調節することにより常に空中庭園が静止衛星軌道に留まるように自動調整されているらしい。
「天垂の糸は地球の遠心力でブンブンと振り回されて、ピンと伸びている一本の紐なんだよ。
この紐は軽くて強靭でしなやかでなければならない。
「単層カーボンナノチューブの繊維と複層カーボンナノチューブの繊維で編んだリボンが芯素材。
それを超々高分子量ポリエチレンで固め、ハニカム構造の中空成形素材としている。
比重ゼロコンマゼロゼロゼロゼロ一以下という超軽量、超強度の構造材だ。
「そんな謎構造材を作り出す古代文明とはやはり滅びてしかるべきだね。
今となってはどうやって作ったかなんて皆目判らない」
ジュニアは尊敬してやまない古代文明に関して嬉しそうに語る。
「ジャックは昔空中庭園に仲間とともに行ったことがあるんだって。
そこからポンポンポンと十六の人工衛星を低周回衛星軌道に放り込んだそうだよ。
アムリタ、君が話してくれたジャックの光の筋の出どころさ。
ジャックの最大の切り札」
ジュニアはアムリタを見ながら笑う。
アムリタはフォルデンの森に降り注いだ光の筋を思い出す。




