第四章第二話(二)昼食のお誘い
――崩壊歴六百三十四年六月五日午前八時
「ナイアス回廊って上からみるとこうなっているのね」
アムリタは外の光景を見ながら呟く。
アムリタの操縦する飛空機はフォルデンの森上空を抜け、ナイアス回廊の上を飛ぶ。
「私も初めて見るな」
地面を歩く場合は単に盆地に見える。
しかしある程度の高さから見ると確かに回廊であることが判る。
幅十数キロ、長さ百二十キロに渡って左右に湾曲する天然の回廊。
両側は切り立った山が連なっている。
上空は曇天。
雨の気配は無いが青空は一切見えない。
「緩やかなカーブなのにこの速度だと急峻に感じるわね」
飛空機は右に左に旋回しながら、回廊を谷沿いに飛ぶ。
「速度を落としてくれ。
そろそろ左に山が切れるはず。
その谷の上が古代遺跡だ」
「了解」
アムリタは飛空機の速度を落とし、回廊の谷の左側を添うように飛ぶ。
左の山は途切れる。
そこは谷となっている。
アムリタは飛空機を左に回頭し、谷に入る。
谷はなだらかな上り坂になっている。
飛空機は狭い谷を駆け上がる。
「もうすぐ抜けるわ!」
アムリタは叫ぶ。
飛空機は谷の坂を登りきり、視界が開ける。
飛空機は山の上、岩棚の上に抜ける。
「ここが古代遺跡?」
アムリタは飛空機を左に旋回させながら訊く。
眼下には丸い沼が、少し離れて二つある。
一つの沼の周囲には低木が茂っている。
他方の沼からは立ち枯れした木のような何かが生えている。
沼の周囲には幾つかの高さの異なる岩棚が見て取れる。
エリーは副操縦席で左の窓に張り付きながら下を眺める。
「そうだ。
その昔、あの沼に一つずつ双子の塔が建っていたらしい」
エリーは応えながら右手で窓に文章を綴る。
文章は銀色に輝き、そのまま窓を突き抜けて地上へと落ちてゆく。
エリーは次々に文章を綴る。
文章は何かを探すように地面に降り注いでゆく。
「どこに停めようか?」
「あの岩棚の縁に石の扉がある。
その前に降りられるか?」
エリーは比較的広い岩棚を指差す。
「任せて!」
アムリタは嬉しそうに応える。
飛空機は姿勢を整えながら緩やかに高度を落とし、着地する。
暫くそのままのエンジン音が響くが静かになる。
「来たわー!
私たち古代文明遺跡の探索に来たのよー!」
アムリタは飛空機の機首左側のドアを開け飛び降りる。
続いてエリーも降りる。
「そして今日のお昼はバーベキューよ!
エリー特製の漬けダレよ!」
アムリタは嬉しそうに大声で叫ぶ。
二人共背負袋を背負っている。
エリーの背負袋からはフルートのケースが見える。
「一応お酒も持ってきたわ!
私たちは飲まないけれど!」
エリーも大きな声で言う。
エリーの口調が少女らしいものに変わっている。
アムリタは耳を澄ます。
エリーは空中に文章を綴る。
銀色の文字が輝きながら岩棚を漂う。
「これで大丈夫?」
アムリタは小声でエリーに問う。
「ええ、恐らく」
エリーは空中に文章を綴りながら小声で応える。
「誰か居る?」
「人間は居ないようね」
「また?
ロボットは居るということ?」
「さあ?
居たとしてもスリープになっているとよく分からなくなるの」
エリーの応えにアムリタは、ふうん? そうなんだ、と返す。
そして岩棚の縁にある石の扉の前に立つ。
風の谷の神殿や超高層ピラミッドの九千メートルテラスで見たような扉だ。
比較的綺麗に維持されている。
「さすがに鍵がかかっているわよね?」
アムリタは石の扉を押すが動かない。
「扉よ、開け」
アムリタは扉の前で声をかける。
なんの変化もない。
エリーも声をかけるが同様に石の扉は沈黙を守る。
「どうしよう?
エリーの魔法で中に入る?」
アムリタは大きな声で訊く。
「そうね。
昼食を食べてやることが無くなったら中を探索しましょう」
エリーも大きな声で応える。
二人は微笑み合う。
「で、それまでどうしようか?」
アムリタが普通の声の大きさで訊く。
「うん、沼近くの岩棚にも気になるものがあるわ。
行ってみましょう」
エリーの声も普通の大きさになっている。
二人は岩棚を降りてゆく。
エリーは歩きながら右手で空中に文章を綴る。
エリーの綴った文章は銀色に輝きながら先へさきへと走っていき、やがて消える。
「どうかな?
私の口調?
違和感あった?」
エリーは照れた表情をして小声でアムリタに訊く。
「パーフェクトよ、エリー。
今日はそのまま貫きましょう」
アムリタはエリーの背中を軽く叩く。
そして、練習、れんしゅう、と歌う。
「ところで、あの沼から生えているものは何なのかしら?」
アムリタは立ち枯れになった木のようなものを指差し訊く。
「塔の残骸と言われているわね。
本当の所はよく分からないのだけれど」
二人は沼の辺りを歩きながら赤茶けた塔の残骸を見る。
確かに鉄塔の残骸のように見える。
「二百年前には塔はまだ一つ建っていたはずよ。
伝え聞くかぎりでは鉄塔なんかじゃなくてもっと立派な塔だったみたいだけれど……」
アムリタは腑に落ちないといったように呟く。
「そうなの?
確かに見るかぎり二つの沼ができた時代が違うようね」
エリーは二つの沼を見比べる。
鉄塔が無いほうの沼は周囲の低木により輪郭が所々削られ、水も深い緑色をしている。
一方鉄塔のある沼はまだ形が真円に近く水は黄緑に濁っている。
「古いほうの沼にも朽ちた鉄塔のようなものが沈んでいるわ。
双子の塔は時間を置いて別の時代で朽ちたということなのでしょうね」
エリーは空中に文章を綴りながら言う。
「今までの古代遺跡って、どれも凄い素材で造られていたわ。
双子の塔って、数千年も形を保っていたのでしょう?
それがたかだか数百年で相次いで朽ちてしまうものなのかしら?
そもそも鉄で出来ていたら数千年も保たないし」
アムリタは沼に生えている鉄塔を見ながら言う。
「そうね、確かに不自然ね。
しかも塔が有った場所が丸く抉られて沼になっているのも不自然極まりないわ。
多分塔は何者かにより撤去されたのでしょうね」
「撤去?
古代遺跡の大きな塔を?
時代を置いて二つとも?」
「ええ。
目的は判らないけれど塔は消えるものだったのでしょう」
エリーは古いほうの沼の辺りを歩きながら応える。
アムリタもそれに続く。
湿気た風が二人を撫でる。
「それはそうとエリー、気になるものって何かしら?」
アムリタの問いにエリーは、そこよ、と数メートル高くなっている岩棚の縁の崖を指差す。
「単なる岩の壁に見えるのだけれど……、うおうっと?」
アムリタの岩の壁に触ろうとする手が岩の壁に吸い込まれる。
「なにこれ?」
アムリタは慌てて手を引っ込めながらエリーに訊く。
「偽装魔法よ。
そこは本当は窪みになっていてその先に扉があるの」
エリーは躊躇なく岩の壁に向かって歩を進める。
岩の壁にはぶつからず、エリーは吸い込まれるように消える。
「なんと!」
アムリタは嬉しそうに微笑み、両手を前に伸ばしながらゆっくりとエリーの後を追う。
岩の壁はまるでそこに無いが如く、アムリタを吸い込んでゆく。
岩の中は大きな窪みになっていて石の扉がある。
アムリタが振り返ると沼のある風景が普通に見える。
「これが偽装魔法?」
「ええ、おかあさんが得意としていた魔法よ。
光学迷彩と音響迷彩を施して、見た目や超音波による地形調査を騙すの。
偶然見破られることもあるけれど、それなりに有効よ」
「これはエリーのおかあさんが施したものなの?」
「さあ?
どうでしょう?
偽装魔法は別におかあさんが編み出した魔法というわけでもないと思うわ」
エリーはそう言いながら扉を調べる。
「この扉は数百年開けられていないわね」
扉には塵が積り、確かに長期間この扉が隠されていたことを証明している。
「ということは誰に気兼ねなく調査できるということね!」
アムリタは大声で宣言し、嬉しそうに胸の前で合掌する。
「ええ、そのとおりよ!」
エリーも大声で応え、空中に文章を綴る。
エリーは背負袋からランプを取り出す。
「で、どんな感じ?」
「危険は無さそうね。
入りましょう」
エリーは空間を開く。
アムリタは、ラジャー、と言ってランプに灯りを灯す。
二人は空間を跳ぶ。




