第四章第一話(十二)君を連れて行こう
――崩壊歴二百二十二年の四月二十七日午後六時半
真っ赤な夕焼けが二つの塔を金色に染める。
濃紺の空を背景に、大きな銀色に光るゲートが空中に浮かぶ。
「パイー!」
トマスはあらんかぎりの声を振り絞り、妻の名を呼ぶ。
古代遺跡の二つの塔、その間に大きな六芒星が描かれている。
その上空に浮かぶ大きな銀色に輝くゲートから、巨大な軟体動物のようななにかがゲートを押し広げるように這い出てくる。
『トマスー!
私、来たわ!』
パイパイ・アスラの巨体は垂れ下がるように地面に着く。
パイパイ・アスラの巨体は地面の落ち、地面の六芒星は削られていく。
それに合わせるようにゲートの円は半径を縮める。
その代わりに銀色に輝く六芒星が天空に顕現する。
しかしすぐに六芒星を形作る正三角形が立て続けに砕け散る。
後には霧が夕焼け染まり、金色に輝く。
そしてそれも直ぐに消える。
トマスはパイパイ・アスラの伸ばす大きな触手を抱く。
「パイ!
本当に来てくれたんだね。
ありがとう!
本当にありがとう!」
トマスは嬉しそうに大声で言う。
パイパイ・アスラも別の触手を伸ばし、トマスを優しく包む。
傍らにパイパイ・アスラのインターフェース、少女が本を抱えて立つ。
少女の髪もまた夕焼けに染まり、金色に輝く。
インターフェースはトマスの破れたシャツを着ている。
シャツの破れ目から少女の白い肌が覗く。
「ああ、そうだ、着替え、着替え」
トマスは岩棚を登り、パイパイ・アスラを手招きする。
パイパイ・アスラはインターフェースを抱え、トマスに付いてゆく。
岩棚にはくすんだ銀色をしたロボットが畳んだ衣類を持って佇んでいる。
トマスのヘルパーロボットだ。
トマスはヘルパーロボットから衣類を受け取り、順番に広げる。
「インターフェースはヒトと同じなんだよね?
ヒトは寒いのにも暑いのにも耐えられないんだ。
僕の服だから大きいけれど暖かくなるはずだよ。
余った袖や裾はピンで留めよう」
これが肌着、これがズボン、と説明しながらトマスはパイパイ・アスラのインターフェースに衣類を着せてゆく。
「うん、これで寒くないかな?」
トマスはぶかぶかの服を着たパイパイ・アスラのインターフェースを見て満足そうに言う。
『有難う、トマス。
寒くないわ』
パイパイ・アスラのインターフェースはにこやかな笑みをトマスに向ける。
「ここはね、人里離れた古代遺跡なんだ。
あの二つは君に会いに行くために作っていた恒星船」
未完成だけれどね、とトマスは手前の塔を指差して言う。
夕焼けは既に陰り、辺りは急速に暗くなってゆく。
代わりに黄色いナトリウムランプの光が岩棚の上に灯される。
黄色い光は忙しそうに働くロボットたちを照らす。
「今、ここには僕ら二人きりさ。
今夜はここで寝ようよ。
二人の初めての夜だよ」
トマスは両腕を広げて周囲を指し示す。
『トマスはいつもはどこに住んでいるの?』
パイパイ・アスラは触手を大きな体の上にあて、どれどれ、というように周囲を窺う。
「えっと、ここから百キロほど離れたダッカという街に住んでいるんだ。
人口は十万人くらい」
『どれくらいの大きさだったら私はそこに住めるかしら?』
パイパイ・アスラの巨体の一部から四、五メートルほどの部分が縊れて分離する。
「凄い。
君は分裂できるの?」
『そうよ。
一つに戻ることもできるわ。
インターフェースを含めて、すべてが同じ私、パイパイ・アスラなの』
パイパイ・アスラは明るい声でトマスの頭に直接語りかける。
「君を迎えるために、共同住宅を一棟、丸ごと買い上げたんだ。
でも残念だけれど君の全体は入らないかもしれない」
トマスは申し訳なさそうに言う。
『大丈夫よ。
私の大部分は海で漂うことにするわ。
私は少々距離が離れていてもへっちゃらだから』
「凄いんだね!
どれ位の距離、離れていても大丈夫なの?」
『そうねぇ、二天文単位くらいなら余裕よ。
数も六桁くらいなら別々に動かせるわ』
パイパイ・アスラは得意そうに言う。
天文単位は距離の単位で、一天文単位は太陽と地球の距離である。
「凄い!
本当に女神さまだね、君は!」
トマスは憧れるような眼差しでパイパイ・アスラを見る。
「でも、分裂するのは苦しくないの?」
トマスは少し心配そうに訊く。
『全然。
私この星の海に凄く興味があるの。
トマスのいう海の魚さんたち、とっても綺麗だって言うし』
パイパイ・アスラは朗らかに返す。
しかし直ぐに、あの、少しなら食べても良いのよね? と小声で訊く。
「あはは、きっと海の魚、美味しいと思うよ!
海には魚だけでなく、海老や烏賊や蛸や貝や、僕の知らない色々な生き物がいるんだ!
種を維持するのに十分な数を残せば、食べて良いはずだよ!
多分だけど!」
トマスは朗らかに返す。
しかし直ぐに表情が崩れる。
「ごめんよパイ。
気を遣わせてしまって。
僕は君の全体が笑って暮らせる場所を作りたかったのに」
トマスはパイパイ・アスラの一番大きな部分に抱きつく。
パイパイ・アスラも触手でトマスに応える。
『気にしないで、トマス。
トマスの予想より、私がちょっとばかり大きかっただけだから。
ねぇトマス、私、海が見たい』
パイパイ・アスラは歌うように言う。
「ええ?
でも、海は遠いよ?
歩いて行くと何日もかかるよ?」
トマスは諭すように言う。
『でも、トマスは空を飛べるんでしょう?』
パイパイ・アスラは触手で飛空機を指差す。
「そのとおりだけれど、君の全体を乗せて飛ぶことはできないよ?」
トマスは申し訳なさそうに言う。
『いいのいいの。
インターフェースと一部分だけを乗せてくれれば。
私たちの初めての旅行ね』
パイパイ・アスラの小さな部分が更に小さな部分に分かれる。
パイパイ・アスラの小さな部分はスッと伸び上がり、二メートル程度の細長い姿に形を変える。
そして、どう? というようにやや右に姿勢を曲げる。
「うん、分かった。
君を連れて海に行こう。
夜の空の旅も素敵だと思うよ」
トマスはロボットたちに、作業の終了を合図する。
ロボットたちは工具や材料を片付け始める。
さして時間がかからず、辺りは片付く。
ロボットたちはナトリウムランプを消してゆく。
残っている灯りは飛空機の周りだけとなる。
トマスは飛空機を飛ばす準備を行う。
――ゴゴゴゴゴッ……
飛空機のエンジンが起動する。
「さあ、乗って」
トマスはパイパイ・アスラのインターフェースを副操縦士席に、二メートルほどのパイパイ・アスラの部分を操縦席の後ろに座らせ、シートベルトを装着させる。
周囲は急速に暗くなってゆく。
「それじゃ、出発するよ!
お留守番お願いねー!」
トマスは風防越しにパイパイ・アスラの本体に手を振る。
飛空機はフワリと浮き上がる。
パイパイ・アスラの本体は触手をブンブンと振って見送る。
飛空機は高度を増し、機首を既に濃紺に染まる東の空に向け、速度を上げてゆく。
そして瞬く間に消えてゆく。




