第四章第一話(七)二百光年を超えて
――崩壊歴二百二十二年の四月二十四日午後八時
トマスは恒星船を建造している。
二百光年先のプルケリマを目指す宇宙船だ。
大まかな基本設計は頭の中にある。
一から作っているのではない。
一から設計したのではトマスでも実現を夢見ることはできない。
トマスは古代文明遺跡の中に宇宙船を見つけた。
多分使用されたことは無いものだ。
最初トマスはそれを塔だと思った。
少し離れた所に建つ二つの塔が地面から生えている。
入り口の無い双子の塔。
調べていくうちにそれが塔ではないことに気付く。
大部分が地面に埋まっているが、それは紛れもなく宇宙船。
それも恒星間の移動を企図して造られた恒星船だ。
「偉大な先人たちよ。
貴方たちのテクノロジと情熱を尊敬します」
トマスはナイアス回廊を抜けた更にその先にある、古代文明遺跡にある塔のような建造物、その前に立って右手を胸に当て、見上げる。
光の谷や風の谷の思考機械、超高層ピラミッド、そして天垂の糸に空中庭園。
古代の人たちのテクノロジは凄まじい。
きっと楽しい時代だったんだろうなぁ、とトマスは憧れを感じる。
ただ、今のトマスは単なるロマンチストではない。
古代人の残した古代文明遺跡、それがトマスの目的にどう有効活用できるのか?
それだけが今のトマスの感心ごとであり着眼点である。
――トンカントンカン
宇宙船の周囲は深く地面が抉られ、宇宙船の全体がかなり大きいものであることが判る。
その穴の中では宇宙船を支えるように足場が組まれ、くすんだ銀色をしたトマスのヘルパーロボットたちが忙しそうに働いている。
周囲にはロボットたちの槌音が、トンカントンカン、と響き渡る。
古代文明遺跡であるこの宇宙船は性能的には亜光速まで出すことができるだろう。
しかし、恐らく亜光速にまで達することを考えて建造されているわけではない。
比較的近い恒星系、つまり数光年から数十光年を数百年かけて旅するために設計された船だ。
「太古の昔、これと同型機が宇宙に旅立っていったのかなあ?」
だとしたら、その行方はどこだろう?
今も彼らや彼らの子孫は宇宙を旅しているのだろうか?
目的地に辿り着けたのだろうか?
トマスは知りたいと思う。
トマスが調べたかぎりでは、そんな近くには知的生命がいる星は見つからなかった。
人間が住めそうな星さえも見つからなかった。
だからトマスはもっと遠くへ行けるようにこの船を改造している。
――亜光速で飛ぶって危ないことなのよ?
――宇宙に漂う塵にでさえ、亜光速でぶつかればもの凄い衝撃を受けることになるわ
パイパイ・アスラの言葉だ。
トマスはそれを聞いて内心で驚愕した。
宇宙塵との衝突の問題。
まさにトマスが解決できないでいる最大の問題点だからだ。
エンジンの問題は古代文明遺跡のこの宇宙船で既に解決している。
燃料の問題は時間と手間がかかるが解決できるかもしれない。
食料や酸素の問題、居住環境の問題も、多少体を加工する必要があるかもしれないが、なんとかするつもりだ。
その他、幾つもの、幾千もの問題点を検討し解を与え続けている。
しかし宇宙塵との衝突の問題は未だ解決できていない。
宇宙船の前方投影面積を仮に百平方メートルとして、地球からプルケリマまでの二百光年の距離との積。
その体積に存在する物体の質量の総和。
その多くは塵であるがその質量の総和は確率論ではなく、宇宙空間の密度の話になる。
その質量に亜光速でぶつかることの意味。
質量は特殊相対論的運動エネルギーへの換算により宇宙船に衝撃を与える。
パイパイ・アスラは賢い。
まさに女神のように聡明だ。
お互いの共通概念が無い所から会話を始めて、トマスの思考に直ぐに追いついて追い越してゆく。
想像力があり、見ぬものを実感として捉える感性と、それを正しいものとして解を導く理性を持つ。
それでいて少女らしく、思いやりに満ちた人格を持っている。
尊敬に値する。
彼女の優しさ、聡明さ、無邪気さ、意表をつく反応、ユーモア。
そしてなんと言ってもミステリアスで愛らしいところ、トマスの知らぬ世界の豊富な知識、こんなに会話して楽しい女性は初めてだ。
「僕の理想の女性。
パイが僕のお嫁さんになってくれた」
トマスは至福と悲しみを同時に感じる。
パイパイ・アスラが素敵だから、素敵過ぎるから、トマスの妻になってくれたから、それは僥倖なことである。
そしてそれ故に感じる悲しみが湧きでてくる。
「僕はパイに会いたい。
この目でパイを見たい。
この手でパイを抱きしめたい。
僕はパイにキスをしたいんだ」
トマスとパイパイ・アスラは六十二パーセクの距離を跨ぐ遠距離夫婦だ。
一度も触れ合ったことがない。
二百光年離れているから想いは募る。
「僕も業が深いものだよね。
パイに会うまでは、地球外の知的生命を見つけるだけで死んでも良いと思っていたのに。
どんどん欲が出てくる」
トマスは自嘲気味に笑う。
僕はパイに何をしてあげられるのだろう?
僕はパイにどんな責任を果たせるのだろう?
トマスは泣きたくなる。
――私がそっちに行こうか?
――流石に二百年では行けないけれど、四百年くらいで辿り着けると思うの
パイパイ・アスラはトマスにそう言ってくれた。
トマスは旅程を三百五十年として計算する。
最初一Gで加速し続けて光速の半分の速度に達したとき加速を終了する。
その後慣性航行を行い、旅程の終段で一Gの減速を行って旅程最後で速度ゼロとする。
最高速度が減る分、確かに宇宙塵からの被曝エネルギーの総量は減る。
これなら現実的かもしれない。
しかし別の大きな問題点が幾つも浮上する。
最大の問題としてトマスの体が保たない。
トマスは三百五十年も生きられない。
この方法ではダメだ。
加速し続けることに意味がある。
そして減速し続けることで速度をゼロにしなければならない。
「三百五十年は長すぎるんだよね。
コールドスリープでも使うかな」
トマスは幾度も検討し、尽く却下したプランをまた蒸し返す。
しかし結論は変わらない。
ただでさえ旅程の向こう側九十五パーセントは未知の領域。
計算機による自動航行だけで二百光年を旅できるんだっけ?
コールドスリープから復帰するのも自動じゃあなぁ、トマスは首を横に振る。
トマスにですら勝ち目のまったくない博打に思える。
それに賭けるくらいなら宇宙塵に一度もぶつからずにプルケリマに辿り着くことに賭けたほうが断然確率が高い。
トマスの好みにも合う。
それはそれで勝ち目のまったくない博打であるのだが。
とはいえ、地球上でコールドスリープに入って四百年後にパイパイ・アスラに起こしてもらうという方法は最も現実的かもしれない。
「最後の手段はそれだな」
トマスはそのことを認める。
でもまだこちらから行くことを諦めきれない。
「検討は続けるよ。
燃料の問題と宇宙塵の問題をどうするかだなあ」
トマスは頭の後ろで手を組み、椅子にもたれかかる。
椅子が、キィ、となく。




