第四章第一話(二)シャイガ・メールの居る風景
トマスは夢幻郷、光の谷にある洞窟の中、石の床に寝そべっている。
祈りの間だ。
相当に広く、天井も高い。
天井の一部がガラスかクリスタルか、そういった類の光を通す素材でできている。
暗くはあるが天井一面がうっすらと光り、全くの闇ではない。
広間の奥の床に大きな穴があいている。
穴の向かい側には大きな無数のパイプが地面から生えている。
それはさながらパイプオルガンのパイプのように見える。
右側が細く低く、左に行くほど太く長い。
一番左のパイプは高い天井まで達している。
しかしトマスはそんなパイプにはそれほど興味はない。
トマスは両の掌で顔を覆い、夢の中の出来事を反芻する。
トマスは両の掌で自分の頬を叩く。
そして上体を起こす。
トマスの柔らかそうな茶色の髪が揺れる。
光の谷はトマスのお気に入りの場所の一つだ。
地上からの道は石のゴーレムに護られ、上空からは光学迷彩で隠されている不思議な谷である。
幅二キロ、長さ二十キロほどの回廊の両側が高さ二キロの急斜面で囲まれている。
地上からの入り口は二本有る。
その何れも石のゴーレムを始めとするクリーチャーで護られている。
「ここは僕らの王国」
トマスは立ち上がりながら機嫌良さげに呟く。
トマスは乱れた貫頭衣を直す。
細身の体、明るい顔の青年だ。
トマスの言う「僕ら」とは、一つは谷に居て、殆ど動かないシャイガ・メールの巨大な幼体のことである。
シャイガ・メールはおとなしい。
トマスが近付いても暴れないし嫌がらない。
寧ろ優しい。
トマスがシャイガ・メールの巨体をシャイガ・メールの脚伝いに登ろうとすると、脚を動かしトマスを誘導してくれる。
トマスはシャイガ・メールの背中に登るのが好きであった。
トマスが言う「僕ら」には更に幾つかの存在が含まれるが、トマスは彼ら、彼女らの事をよく知らない。
あまりトマスに関わってくれないからだ。
『光の谷の思考機械』や、『眠れる夢見の谷の女王』がその中に含まれる。
いや、『眠れる夢見の谷の女王』に比べたら『光の谷の思考機械』はトマスに対して能弁に接してくれる。
しかし『光の谷の思考機械』の思考速度は遅すぎる。
凄い技術であるとは思うが、人に比べて二十五分の一程度の速度でしか話ができない思考機械と話を続ける根気も時間もトマスにはない。
トマスにはもっとやるべきこと、やりたいことがあるのだ。
トマスは洞窟の中に立つ。
平たい岩の床には正三角形三つを四十度ずつずらして重ねた九芒星が描かれている。
大きな図形だ。
九芒星には九つの頂点に外接する円が描かれ、更にその周囲はトマスには読めない文字で装飾されている。
トマスはそんな九芒星の中心で寝ていた。
「彼女に会えたのはこの魔法陣のおかげなのかな?」
九芒星はトマスが古い本に載っていたものを、見よう見真似で転写した。
本はトマスが以前、アルタルの神殿から拝借してきた。
トマスが知らない言葉で書かれているその本は、トマスには難しいものであった。
しかしそれでも繰り返し眺めることにより何が記載されているのか朧気ながら判ってくる。
恐らくは全体として悍ましい内容ばかりである。
そんな中、遠くの星との通信手段に関する記載と思しき断章をトマスは発見する。
その段章は巨大な芋虫のような絵と幾つかの魔法陣が載っている。
トマスは夢幻郷を旅して光の谷を見つけた。
光の谷のシャイガ・メールは本に描かれる巨大な芋虫とそっくりであった。
「遠くの星との通信はこの九芒星、現実世界との通信はこの六芒星……、でいいんだよね?」
トマスは確認するように訊く。
無論周囲には誰もいない。
「ずっと話ができれば嬉しいのだけれど……」
トマスは寂しそうに呟く。
彼女、パイパイ・アスラとの会話は数時間しか続かず、数時間から数日に渡り話ができない時間が挟まれる。
これは星の合、位相の問題であるとトマスは理解している。
パイパイ・アスラのいる惑星は連星系であるので星の合の問題は複雑である。
トマスは緊急課題としてこの星の合の問題を解く必要性を感じている。
トマスは魔法陣からヨタヨタと出る。
そして空洞の隅に置いてあったバックパックの背負い紐を握る。
「うわ」
トマスはバックパックを持ち上げようとして落としてしまう。
バックパックがトマスには重すぎるのだ。
トマスは屈み、背負い紐に腕を通し、立ち上がる。
「こっちの問題もなんとかしなくちゃならないな」
トマスは苦笑しながら言う。
空洞の入り口を潜り、トマスは空洞に連なる狭い通路を歩く。
通路は曲がりくねり、幾つかの階段を上下して外へと続く。
トマスは眩しい外の光を浴びる。
ここは光の谷。
名前のとおり、日中は常に光で充満している。
空は雲がかかっていて青空は見えない。
しかしそんな雲は眩いばかりの光量で光り輝いている。
空だけではない。
谷の両側の大岩壁も、そして地面ですら白く輝き、光は方向性を持たず乱反射するように光の谷の中を照らす。
トマスは左腕を上げ、目を隠す。
トマスは暗い洞窟の中、陰の世界から影の無い世界に這い出たことを実感する。
そして眼前の大きなおおきな芋虫、シャイガ・メールを見上げる。
「有難う、君。
僕は宝物を見つけることができたよ」
トマスはシャイガ・メールに笑いかける。
シャイガ・メールは動かない。
ただ、圧倒的な存在感をもってそこに居る。
トマスは親指と人差し指で作った輪を咥え、指笛を吹く。
――ピィーゥッ!
指笛の音が響く。
――ゴゥゥゥ
大岩壁の中腹にある岩棚から音が聞こえる。
そこには飛空機と思しき機体が見える。
機体は浮き上がり、ゆっくりと降下してきてトマスの前に着陸する。
操縦席には誰も乗っていない。
「また直ぐにここに来るから。
よろしくね」
トマスはシャイガ・メールに向かってそう言うと、飛空機の中に乗り込み、操縦席に座る。
飛空機はエンジン音を発して宙に浮く。
そして高度を増してゆき、光の中に消える。
飛空機は光り輝く雲の中を飛ぶ。
そして唐突に視界が晴れる。
眼下は切り立った岩山の山肌になり、空は青紫色に広がる。
夢幻郷の空だ。
飛空機は高度を上げ、やがて進路を東に向ける。
そして速度をあげ、東の彼方に消えてゆく。




