第一章第二話(四)涙の理由
「というわけで、何がなんだか判らないまま、未来に放逐された感じなのよ」
夕食後に語り始められた物語を終えた後、アムリタはお道化た口調で付け足す。
ジュニアとジャックは無言でアムリタの物語を聞いている。
場所はジュニアの道具屋のカウンターの奥のキッチンである。
四人掛けのテーブルがあり、片方にジュニアとエリーが座り、反対側にジュニアの向かい側にアムリタが座っている。
「家族親戚縁者、友人知人敵味方が等しく鬼籍に入っていることには、さすがに受け入れ難いものがあったわ」
アムリタはそう言いながら笑ったつもりだった。
笑い飛ばせているつもりだった。
しかしエリーはそう受け取ってはくれなかったらしい。
エリーはゆっくり立ち上がるとアムリタの傍らに立ち、アムリタを左側から自らの胸に抱擁する。
「堪える必要はない」
エリーは小声でアムリタの耳元に囁く。
「辛いときは泣くべきだ。
涙は魂を浄化する。
泣く機会を逸した悲しみは浄化されることなく魂の奥底に澱となって沈殿する」
エリーの声は相変わらず感情を抑制したものである。
アムリタはエリーの胸に抱かれた頭を上げ、エリーの顔を見る。
アムリタの涙で歪んだ視界にエリーの俯く白く整った顔が間近に見える。
その俯くエリーの頬に涙が流れている。
なんでこの娘は泣いているのだろう、アムリタは不思議に思いながらも自らの涙を止めることができない。
アムリタは嗚咽し、うわーん、と言いながら泣き始める。
「助けたかったんだよ、あの子達を。
あの子達、どうなってしまったのかな?
建物も跡形も無く消えていたんだよ。
やっぱり古きものにやられてしまったのかな?
あの化け物に食べられちゃったのかな?
あんなのが現れたら凄く怖かったよね?
あれって、私のせいだよね?
私を逃がす魔法のせいだよね?」
アムリタは一度抑制が外れると感情が吹き上がるのを止めることができない。
エリーは静かに優しくアムリタを抱擁し、ジュニアはそんな二人を黙って見守るように見つめている。
数分後、既にアムリタは、ヒック、ヒック、と泣きながらもやや落ち着きを取り戻す。
鼻水が大量に出て、エリーに渡された三枚目の布のナプキンも涙と鼻水で濡れている。
ジュニアは冷めたお茶を啜る。
エリーは新しいお茶を淹れるべく調理台に立っている。
「アムリタ、これは君の知りたいことではないのかも知れないけれど」
そう前置きしながらジュニアは語りだす。
「草原の遊牧民は確かに百年近く前までは相当数居たはずだ。
しかしその後数が急速に減ってきて、現在では存在が確認されなくなっている。
これは滅んだというわけではない。
「北の大草原は大崩壊以降砂漠化が始まったんだ。
百年前の時点で遊牧民が必要とする広大な遊牧地が失われてしまったことによる。
つまり、遊牧民は遊牧民ではない選択肢を選ばざるをえなかった。
一部は砂漠の民となり、他は定住したり他の部族に同化したり……」
アムリタの目にはジワッと涙が浮かぶ。
エリーは新しいお茶の入ったカップを三つテーブルに置く。
アムリタは勧められるまま、お茶を啜る。
エリーのお茶の香りを嗅ぐと、不思議に心が落ち着くのをアムリタは感じる。
ジュニアはアムリタの期待する話ができていないことが辛かったのか話題を探す。
「時渡りの魔法は、自分と自分の周囲のものを未来に跳ばすものであるらしい。
術者が術者自身の時を留めて第三者を未来に送るものではない。
これは以前エリーのおかあさんに聞いた話だ」
アムリタはジュニアがジャックと同じ話をするので多少興味が出てくる。
ジュニアはジャック同様、エリーのおかあさんである偉大な魔法使いと面識があるようだ。
「俺はこの話を根拠無く信じているのだけれど、この話に基づくと、時渡りの魔法は君自身の中にあるものということになる。
君を守ろうとした人たちは君の魔法の力を使って、君を今の時代に跳ばした」
ジュニアはアムリタの興味を多少引けたのが嬉しいのか能弁となる。
「時渡りの魔法は、時を跳躍するのだけれど、跳躍する先には色々制限があるらしい。
地球の公転周期、自転周期、月の位置等々。
魔法は物理法則を無視して発動しているように見えるが、完全に全ての物理法則から無縁でいられるというわけでもない。
魔法そのものの法則には厳しく縛られるものらしい。
「君は二百九年前から来たと言うけれど、二百九は十一と十九という二つの素数の積だ。
そして十一年周期と言えば太陽の活動周期が連想される。
ここ二百年の太陽活動周期の平均は十・九五太陽年。
「十九のほうは……、十九太陽年は二百三十五朔望月(満月から次の満月までの周期)に等しい。
十九年後の同じ月、同じ日は月の満ち欠けがほぼ同じになる。
誤差は僅か二時間ちょっと。
十一回分でも累積誤差は一日に収まる……。
「二百九年。
つまりは太陽、月、地球の相対位置関係、地球と月の自転位相がほぼ一致し、太陽の状態も概ね同じになるときが選ばれている。
これは偶然だろうか?
そんなはずはない。
完全に意図的なものだ。
「いずれにしろ高度な天文計算を必要とする術式だ。
それを行った人物には君をこの時代に送らなければならない強い意志や意図があったはずなんだ」
アムリタはジュニアの話の内容が殆ど理解できなかった。
だが恐らくジャックがアムリタに話したことを補完しているのだろうということは判る。
ジャックはジュニアがアムリタを導けられると考え、ここにアムリタを送り込んだのだろうか?
アムリタにはそう思える。
「そこまで強い意志と意図を持った人間ならば、君がこの時代に来たときに必要となる情報を君に残していると思うよ。
俺は魔法を使えないけれど、俺が術者ならば絶対そうする」
だから君と過去との繋がりはどこかに残されているはずだ、ジュニアはそう結ぶ。
アムリタはアムリタを時渡りの魔法で未来に送った術者が誰かを思い出そうとする。
しかし当時アムリタは子供達の元に馳せ参じることに執着していて、周囲が見えていなかった。
「だから風の谷の祭殿に行こう」
ジュニアは、それが結論だ、というように提案する。
「神託や未来予知をしていたものの正体が判るかもしれないよ」
ジュニアは楽しそうに笑う。
「何時出発する?」
エリーが尋ねる。
「そうだね、俺も色々準備したい。
三日後の朝でどう?」
ジュニアはそう応え、エリーは、私は問題無い、と言いながらアムリタを見る。
「ぜひお願いするわ」
アムリタは二人が一緒に来てくれるらしいので感謝する。
「では、俺はここで失礼するよ。
後片付けは任せた」
ジュニアは時計を気にしながらそそくさと帰宅の途につく。
どうもあまり遅い時間まで店に残っていたくないらしい。
「片付けを手伝ってくれるかな?」
エリーは立ち上がり食器を纏めながらアムリタにそう言う。
アムリタはもちろん、と言いながら片付けを手伝う。




