第一章第二話(三)公衆浴場
アムリタはエリーの傍らを歩きながらエリーに付いてゆく。
エリーは黒灰色の髪を隠すように黒いベールを頭に被せている。
「エリーさん、色々有難うございます」
アムリタは傍らに歩くエリーに向かい、礼を言う。
「エリーでいい。
ジュニアも慇懃なものいいは嫌う。
私も君をアムリタと呼ばせてもらうよ。
それに私に礼は不要だ」
エリーは相変わらず装飾の無い硬い言葉で応える。
「私自身、ジャックとジュニアにさんざん世話になっている身だ。
我々は似たもの同士なのだよ」
エリーは言葉を続ける。
アムリタはエリーのことを無口なのだと思っていたので、言葉を続けるエリーに少し驚く。
「二人はご夫婦なの?」
アムリタはさっきから気になっていたことを訊く。
エリーは表情を全く変えず、いいや、と応える。
「さっきの君の言ではないが、私とジュニアには婚姻関係も肉体関係もない」
エリーはいっそさばさばと言い切る。
アムリタは狼狽え、へ? へぇ? そう? と呟く。
自分で言っていたときは気にしていなかったが他人から訊くと確かに反応に困る言葉だな、とアムリタは反省する。
「元々あの店にジュニアが一人で住んでいた。
私が転がり込んでジュニアを押し出す形になっている。
アムリタ、君が来てくれるのなら多少私の罪悪感も薄まるというものだ」
エリーは言う。
アムリタは、そうなんだ、と応える。
エリーが罪悪感を持っていることは多少意外に感じられた。
話をするかぎりエリーは、独特の言葉遣いに反して、気さくな気遣いのできる人物であることが判ってくる。
「ジャックから、エリーのおかあさんがジャックの師匠筋で、偉大な魔法使いだと聞いたわ」
アムリタは話題を変えるべく、ジャックに訊いたエリーの母のことを持ち出す。
エリーは歩みを止めず、顔をアムリタに向ける。
アムリタはエリーの表情に珍しく微かに感情のようなものを感じ取れた気がする。
「そうだ、少なくとも私にとりおかあさんは偉大な魔法使いであり師匠であり唯一の家族だ」
エリーは相変わらず抑揚の無い調子で応える。
しかし、アムリタにはエリーのその言葉が、必死で感情を抑制しているように感じられる。
「しかし、今は行方が分からなくなっている」
エリーは前方やや上に視線を戻し、言葉を続ける。
アムリタはたしかにジャックもそう言っていたことを思い出す。
「だから、私はおかあさんを探しているのだよ。
ジュニアにも協力してもらっている」
エリーの言葉には感情は感じられなかったが、アムリタにはそういうエリーの雰囲気が少し幼い少女のように感じられる。
「私は今、何をするべきか判っていないの。
だからエリー、貴方のおかあさんを探すお手伝いをさせてくれないかな?」
アムリタはエリーにそう切り出す。
「ありがとう、アムリタ。
そうだな、おかあさんなら君に有用な助言ができると思うよ」
私と違ってね、とエリーはアムリタのほうを見て、相変わらず無表情のままそう応える。
アムリタはエリーの表情からその言葉に込められた真意を読み取ることができない。
「ただ、今後どうするかは夕食以降、ジュニアを交えて決めよう。
ジュニアは世事に通じているし私などよりも賢い。
独自のネットワークも持っている。
彼の助言を聴くことを勧める」
エリーは淡々とアムリタに説く。
それにだ、とエリーは言葉を続ける。
「事情としは気の毒に思うし、気を悪くして貰いたくないのだが、アムリタ、君が先ずやるべきは着替えを揃え、身を清めることだよ」
アムリタは自分でも気付いていたことをエリーに指摘され恥じ、ははは、まったくです、と笑ってごまかす。
水浴びしたのは三日前の川が最後だ。
着替えもしていないし髪もべとついている。
アムリタとエリーは表通りの市場に行き、アムリタの衣類、布袋、タオルなどを買い揃え、浴場に向かう。
「アムリタ、君の荷物は私が見ていよう。
君は浴場で旅の疲れを流すと良い」
エリーはアムリタにそう勧める。
しかしアムリタは公衆浴場に入ったことがなく不安だ。
「できれば一緒に入ってもらえない?
私、こういうところ、初めてで不安で……」
アムリタはエリーに懇願する。
エリーは浴場の従業員に訊けばよいだけなのだが、といいながらも、ふむ、まぁ良い、一緒に入ろう、と応諾する。
アムリタはエリーの頼もしさに感謝する。
「私もそう何回も来たことがあるわけではないのだが、先ずあの店の者に料金を払う。
追加のお金を払うことで荷物の番もして貰える。
君は財布を出すな。
あれは目立つ。
ここは私が立て替えよう」
なんでもエリーは普段店の奥で水浴びをしているとのこと。
エリーは水しか出ないので君には勧めないが、とアムリタに言う。
浴場に入るとエリーは先導する。
エリーは屈強そうな店の番人に料金を払い、籠を受け取る。
そこにアムリタが買った荷物とアムリタの金の入った小袋を押し込む。
そして小袋を店の番人に渡し、着替えとタオルを持って奥に進む。
「中は男女が別になっていて、ここが脱衣所、この先は浴場だ。
中には垢すりのものが居て金を払えば体を洗ってくれる。
もっとも女湯ではそれほど需要が無いと聞く。
この時間帯ならば客は少ないはずだ」
エリーは頭に被っていた黒いベールを取り、襟の付いた細身の黒いワンピースを脱ぐ。
エリーのウエストは細く形の良い乳房が細い肩の下に膨らみを主張している。
二の腕は細いが華奢な感じはしない。
黒灰色に輝く肩甲骨まで隠すその髪は真白な裸体に対比して幻想的な美しさを浮かび上がらせる。
アムリタもエリーに倣い、汚れた着衣を脱ぎ、持ってきた布袋に押し込む。
黄金の髪が血色の良い白い肌に揺れる。
二人は体と髪を洗い、髪を結い上げ湯船に浸かる。
「生き返るわー」
アムリタは湯船に浸かりながら、たまらん、というように声を絞り出す。
「災難だったようだからな」
エリーもアムリタの右隣に湯船に浸かり、アムリタに相槌を打つ。
「それはそうと、なぜここに来るのに三日もかかっているのだ?」
エリーは素朴な疑問をアムリタに向ける。
「いや、初日以上に酷い目にあってね」
アムリタは二日目、三日目に起きた出来事をエリーに語って聞かせる。
長い物語である。
「よく無事だったな。
君は物語の主人公かもしれない」
エリーはアムリタの話に珍しく感心したように応える。
アムリタとエリーは石造りの湯船の縁に腰かけ、足だけを湯船に浸けている。
「よくもまぁ、それだけトラブルを抱え込むものだ。
私も君に注意することにした」
エリーは薄く笑いながら感想を述べる。
トラブルメーカー認定をされてしまったことはやや不本意ではあったが、アムリタは生きていることの実感を表明せずにはいられない。
「でもまぁ、私は生きている。
雄々しく図々しく生きるんだ」
アムリタはエリーに宣言する。
エリーは細めた切れ長の目だけをアムリタに向け、その意気やよし、と微かに微笑みながら応える。
二人は湯から上がり、着衣し髪を乾かす。
アムリタは新しい服を着てさっぱりした気分になれたことを嬉しく感じる。
次からは一人でこれそうだ、エリーが付き合ってくれない日は。
アムリタとエリーは再び市場に行き、生活用品と食材を買う。
ジュニアの道具屋に戻ったときは夕刻となっていた。
次回もカルザスのジュニアの道具屋。
次回(四)涙の理由 お楽しみに!




