第一章第二話(二)アムリタの醜聞
「後見人って言葉の定義が必要だね」
ジュニアは両手を頭の後ろに組み、天井を見上げる。
「ジャックはここ二か月ほど行方不明で俺らはジャックを探しているんだ」
ジュニアは天井を見たままそう言う。
予想はしていたが、ここに来たからと言ってジャックに会えるわけではなさそうだ。
アムリタは少し落胆する。
「ジャックに会ったのはいつ?
どこ?」
「三日前の夕方、ナイアス回廊に続くフォルデンの森の入り口」
「三日前?
それはまたずいぶんと前だね」
ジュニアの言葉には反応せずアムリタは続ける。
「森の入り口付近に私は時渡りの魔法で二百九年前から飛ばされてきたらしいの」
ジュニアは動きを止め、二百九……、と呟き、アムリタの言葉の続きを待つ。
「私はそこでジャックに出会い、ジャックはそこに現れた古きものから私を逃がしてくれた。
ジャックには追っ手がいたようで、その人たちは古きものの災禍に巻き込まれてしまったの。
ジャックは空からの光の筋で、その人たちを救ったわ」
アムリタは説明する。
こんな話を信じてくれるのだろうか? アムリタは心配であった。
しかし、ジュニアはアムリタの顔を真剣そうな表情で見ている。
エリーの表情は相変わらず変化がない。
「十六連の珠を使ったのか……」
ジュニアは呟く。
「その後、空賊の女の人が現れ、飛空機でジャックを探しまわっていた。
ジャックと私は真夜中冷たい川の中に逃れてやり過ごしたわ」
そりゃ災難な、と言いながらジュニアは顔に手をあてる。
エリーは無表情のままパチパチと軽く拍手をする。
「そして焚火を焚いて、暖をとっている最中にジャックは消えたの」
ジュニアは、うわー、と言いながら両手で顔を覆い、俯く。
エリーは、ジャックらしい、と呟く。
「いや、会って一時間で裸に剥かれた経験は初めてだったわ」
アムリタはジャックに言った苦情をここでも言ってみる。
「わかった、わかった」
ジュニアはアムリタの言葉を制止する。
アムリタはジャックのマントとかつては白かったハンカチをテーブルの上に置く。
どちらも薄汚れている。
「ジャックに借りたものよ。
洗濯していないけれど」
ジュニアは汚物を見るような眼差しでジャックのマントとハンカチを見る。
エリーはそれを見て、洗濯しておく、といって持ち上げる。
そしてマントのポケットをまさぐり、布を取り出す。
「これは?」
「あ、あ、それは私の……!」
アムリタは慌てて布を回収し、自分のマントの中に隠し、愛想笑いをする。
三日前の晩、履かずにいた濡れた下着のなれの果てだ。
ジュニアはそれを見て、いよいよ項垂れる。
「ジャックは何をやっているんだ……」
そう呟くジュニアの声がアムリタにも聞こえる。
ジュニアを落胆させる結果にはなってしまったが、アムリタの説明は受け入れられたようだ。
「うん、判ったよ、アムリタ。
ジャックは確かに君の後見人になったんだね?」
えへへ、とアムリタは愛想笑いで応える。
「俺はジュニア。
この店のオーナー、兼番頭、兼丁稚だよ」
ジュニアは自分をそう紹介する。
「そしてこの娘がエリー、この店の雇われ店主、兼売り子、兼看板娘だ。
腕利きの料理人でもある」
エリーは表情を変えず、軽く頷く。
アムリタはよろしくと笑う。
「色々気になることを言っていたが、おいおい教えておくれ。
君はここでエリーと住むと良いよ。
エリーと相部屋になるけどね」
ジュニアはエリーに、良いよね? と訊く。
エリーは表情を変えず、問題無い、と短く応える。
「僕は近くに住んでいるんだ。
ここを切り回しているのはエリーなので手伝ってやっておくれ。
と言ってもここは小売りもしているけど大口顧客への商品の配送がメインなんだ。
だから店自体はそれほど手がかからない」
ジュニアはアムリタに説明する。
エリーは黙ってジュニアのほうを見ている。
「衣類、日用雑貨、生活用具を揃えなければならないね。
エリー、買い物に付き合ってやってくれ」
ジュニアはエリーに依頼する。
エリーは黙って頷く。
ジュニアは助かるよ、とエリーに微笑む。
「お金は――」
「――お金ならジャックに渡されたものがあるわ」
ジュニアが言いかけるのをアムリタは言葉を被せる。
アムリタはジャックに渡された小袋をジュニアに渡す。
ジュニアは中を見て驚きながら、エリーに中身を見せる。
エリーは中をチラリと覗き込むが特に表情は変わらない。
仲の良いカップル、ジュニアとエリーのやり取りを見て、アムリタには思える。
もしくは熟年夫婦か。
例えば多弁で気の難しい夫と寡黙だが夫を良く支える妻のような。
「ジャックの有り金全部だね、これは」
ジュニアはあきれながら呟く。
「うん、どうも額が多すぎるようで、どうしたものかと」
アムリタは三日前の晩、ラビナとアルンと酒場で飲み食いをした際に、ラビナにジャックに預けられたお金の貨幣価値に関して教えてもらった。
少額貨幣もあるものの、高額金貨が数多く入っていて普通に持ち歩く額ではないらしい。
ラビナはジャックのお金だからと容赦なく飲み続けた。
「まぁ、貰っておけば?」
ジュニアはあきれたように言いながら、小袋をアムリタに返す。
「あのさ、アムリタ、君、ジャックと……」
そこまで言いかけて、いやなんでもない、と言葉を飲み込む。
ああまたか、とアムリタは思う。
ラビナとアルンもそうだが、どうも皆アムリタとジャックの関係を疑っているようだ。
ラビナとアルンには面白いから誤解させたまま放置した。
しかし、これから世話になる人達にははっきりさせておく必要があるだろう。
アムリタはそう思う。
「別に私、ジャックと肉体関係があるわけではないのよ」
アムリタはこれだけは言っておかなければとばかりに主張する。
ジュニアは、へ? へぇ? そう? と小声で呟き、エリーはアムリタのほうに顔を向ける。
アムリタに向けられたエリーの切れ長な目は薄く開かれている。
その非現実的なまでに整った小さい、人形のような白い顔からは何の表情も読み取れない。
「と、とにかく。
ジャックはオケラだから何かしらアクションを起こすよ、エリー」
ジュニアはエリーに話を振る。
エリーは、確かに、と小声で応える。
「アムリタ、自分のものは自分で買うと良いよ。
生活費と日当は店から出そう。
話の続きは夕食以降でいいよね?
まずは二人で買い物に行きなよ」
片付けは俺がやっておくから、と言いながらジュニアはアムリタとエリーを追い出すように送り出す。




