第三章第三話(五)魔の荒野ステーション
大きな空洞の、様々な色の光で修飾される入り口の一つを潜ると鍾乳洞となっている。
下にはかなりの水量の流れがあり、小型のボートがある。
パールはボートの最後尾に立ち、竿を持つ。
そしてアルンとソニアがボートに乗り込むのを待つ。
アルンはボートに乗り込み、背負袋と鞘に入っている両手剣を席の前に置き、ロープで固定する。
ソニアもアルンの後ろに座る。
パールは二人が座るのを待ち、竿を手繰り、ボートを流れに乗せる。
シメントも竿を持って船首に立っている。
周囲に流れる曲は、ドラマチックな交響曲に変わっている。
「先程はお見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
パールはソニアの背後から謝罪する。
「いいよいいよ。
弟を愛するが故だよね?
私もちょっと抜けてる兄を見捨てられなくて、助けに行く羽目になっているんだ。
判る判る」
ソニアは振り向きながら応える。
「ちょっと抜けているって、英雄のジュニアが?
サルナトを僅かな時間で復興させた神のような人ですよ?」
パールは意味が判らないというようにソニアを見る。
ボートは角度の有る流れを落ちる。
水飛沫が周囲に舞う。
ソニアは、わお! と笑いながら叫ぶ。
「もっと砕けた口調でお願い!
旅の仲間だから!」
ソニアはパールに言う。
パールは、え? ええ、そうします、と応える。
「それで、この船が重力列車なの?
ちょっとイメージが違うんだけれど」
「重力列車のステーションはこの先よ。
アルンのリクエストで準備してたの」
パールはソニアの質問に応える。
「アルンの用事って、やっぱりサルナトに行くことだったの?」
ソニアはアルンに振り向き、訊く。
「ああ。
恐らくサルナトは四度目の滅びを迎えつつある。
俺が行ってどうなるものでも無いと思うが、ラビナが無茶をすること必至だからな」
アルンは前を見たまま応える。
ソニアは、ふうん、と呟く。
「優しいんだ!」
ソニアは満面の笑みで言う。
アルンは、そんなんじゃないよ、と口ごもる。
「じゃ、愛?」
ソニアは悪い笑みを顔に貼り付ける。
「できるときにやれることをやっておかないと後悔するからな」
アルンはニコリともせずに応える。
ソニアも、天井を見上げ、そうだね、そのとおりだね、と相槌をうつ。
再びボートは急角度で落下する。
船首のシメントが器用に竿でボートを落ち着かせる。
「あれが重力列車のステーション」
パールが前方を指差す。
品行方向先の水流右側に平たい岸があり、それがステーションなのだろう。
その反対側に近代的なフォルムの乗り物がある。
乗り物の近くには五人の地下鼠が忙しそうに作業をしている。
「そしてあれが重力列車。
地下鼠の科学技術の真髄」
パールは乗り物を指差し誇らしげに言う。
重力列車は三両編成であり前後の車両はノーズが伸び空気を切り裂くような流線型をしている。
三つの車両は上部にある透明な風防が跳ね上げられている。
前後の車両には小さな座席が幾つか見える。
中央の車両は円筒形で中には殆ど寝転がるように座るバケットシートが一つだけある。
左右は狭く、座席の左右にバーが設置されている。
「スティール!
待たせて済まない」
アルンは地下鼠の一人に声をかける。
「おう、アルン!
丁度良かった。
今整備が終わったところだよ」
スティールと呼ばれた口髭を生やした地下鼠がニヤリと笑いながら応える。
「重力列車って、重力でサイクロイド曲線を描くトンネルを落下し、速度を上げて再び上昇して距離を稼ぐ列車だよね?」
ソニアはパールに訊く。
「おや、よく知っているな。
内サイクロイド曲線の軌道だ。
列車は落下中、リニアモーターで浮上して摩擦を軽減させるとともにロスした運動エネルギーを補填する。
通過中のエリアは希薄空気になるよう制御され、数百キロを僅かな時間で駆け抜けるぞ」
スティールが、右手を横に、ビューン、というように動かす。
サイクロイド曲線とは円を線上に沿って転がした時に円上の一点が描く軌跡である。
地球の断面を大円とし、出発点から目的地までの距離を円周とする小円を考える。
小円を大円に内接するように転がした時、小円上の出発点が目的地まで描く曲線、これを内サイクロイド曲線といい、最速降下曲線となる。
つまり列車のように軌跡に縛られる運動で、地球の重力を用いて落下しながら速度を上げ、その速度により再び上昇して目的地に行く場合、最も早く到着する。
その曲線が重力列車の軌道の形となっているとスティールは言っている。
「それは凄いね!
地下鼠の科学技術の真髄と言うだけあるわ!」
ソニアは素直に感嘆する。
スティールは満更でもなさそうに照れ笑いをする。
しかしこれは現実の地球では実現不可能だ。
仮に三百キロを進むためには百キロ程度の深さが要る。
地殻の厚さは大陸で精々四十キロ、百キロの深さは上部マントルに行き着く。
百キロの深さまで穴を掘ると上昇する温度との戦いになる。
ソニアは知っている。
夢幻郷の地球は球ではないことを。
そして高温の核もマントルも存在しないことを。
「この列車はナイ・マイカまで行くのよね?」
ソニアは目的地を確認する。
「ナイ・マイカ近郊だ。
正確にはコスザイル山の地下ステーション」
スティールが応える。
「そこからムナールまで行けるのよね?」
ソニアは重ねて確認する。
「行けると言えば行ける。
コスザイル山ステーションはナイ・マイカの北五キロの地下にある。
コスザイルの山脈を北に抜けるとムナールだ」
「コスザイル山脈……、湖の南に東西に走っている山脈ね。
結構険しそう……」
スティールの説明に、ソニアは、ふうん、と応えながら言う。
「おや?
お姐ちゃん、地理に詳しいのかい?」
スティールは意外そうに訊く。
「地理と言うか地形には詳しいわよ?
それで一つある問題ってなんなの?」
ソニアは笑いながらアルンに訊く。
「人間用の座席は一つしかないということだ。
前後の車両は狭すぎる。
人間は真中の車両にしか乗れない。
俺が先に乗るから、お前さんはこの列車が戻ってきて、再整備してから来てくれ」
アルンが応える。
「え?
一人しか乗れないの?」
ソニアは不満そうに訊き返す。
「そのとおりだ、元々地下鼠用の乗り物だからな」
スティールが返事をする。
「アルンが移動するために特別に改造した車両が一つだけあるんだが座席が一つしかねぇ。
重力列車は一回使うと整備と酸素の詰め替え、それに軌道の希薄空気を作るために三時間は必要だ。
今回は一度アルンを送って、向こうで整備する。
その後戻ってきてから整備してお姐ちゃんを送ることになるな」
スティールは説明を続ける。
ソニアは、えー! と不満そうに大声をあげる。
「そんな、六時間も待ってられないわ。
夜中になってしまうじゃない。
私が先では駄目かな?」
「悪いな、俺が先約だ。
諦めてくれ」
ソニアの懇願をアルンは冷たく突き放す。
ソニアは諦めきれないように、真ん中の車両を凝視する。
「二人は乗れないの?」
ソニアはスティールに訊く。
「小柄な人間だったら乗れなくもないんだがな。
だが、席は一つだからなぁ。
アルンの膝の上にでも乗るかね?」
スティールは後半、がははは、と大笑いしながら言う。
アルンが、おい! 余計なことを言うな! と怒気をこめて言う。
「重力列車なら、あまり重量に関しては問題にならないんだよね?」
ソニアは訊く。
「厳密には重すぎるとリニアモーターの推力に影響を与えるから駄目だな。
だが、今回は三両編成だからお姐ちゃんの体重が増えても、まあ問題ない」
スティールは応える。
ふうん、とソニアは呟く。




