第三章第三話(二)眠れぬ者への贈り物
――崩壊歴六百三十四年六月二日午後二時過ぎ
飛空機はフォルデンの森の上を飛ぶ。
ソニアが操縦席に座り、その隣にアルンが座る。
「上から見たら酷いな、これは」
アルンは自分たちが追っかけまわされた痕跡を見て呟く。
ソニアはアルンから下がよく見えるようにと、飛空機を大きく左に傾けながら旋回する。
「アムリタは現れた化物が『時の猟犬』ではないと言っていたわ。
ラビナが来たから現れたものだろうって」
「ラビナが?」
アルンは問い返す。
確かに巨大な芋虫の体躯に、無数の昆虫の足を生やしたような形状のあのクリーチャーはラビナがフォルデンの森に辿り着いた瞬間に現れた。
おまけに迷うこと無くラビナを追いかけてきた。
アムリタは時を超えてきたという余りにもインパクトのある申告をした。
だからアムリタの時渡の魔法に触発されて現れたクリーチャーであると決めつけていた。
しかしラビナの到着が引き金であったとしても可怪しくはない。
しかし何故だ?
アルンは訝しむ。
「そして今回はエリーがここに来たから現れたって言っていた」
ソニアは続ける。
アルンは考える。
ラビナとエリー、生い立ちも違えば、現在の環境も違う、ある意味もの凄く相性の悪そうな二人の共通点を。
そして風の谷の思考機械の言葉を思い出す。
――お前が未来に跳ぶことは予定調和なのです
――黒灰色の魔女と夢幻郷の王女を探しなさい
風の谷の思考機械の記憶。
アムリタの師匠で叔母であるサリーのアムリタへの伝言。
「要するに、うちの姫さんとエリーは過去に跳んで、あの芋虫の化物と因縁を持つわけだな?」
アルンは言う。
ソニアは、何か知っているの? と問う。
「いや、風の谷の思考機械が黒灰色の魔女と夢幻郷の王女について語ったんだ。
二百年前の昔話として。
ジュニアはそれをエリーとうちの姫さんのことだと予想していた。
この辺に夢幻郷からのゲートが開いたのは二百年前だ。
偶然と思えないね」
「そっか、そう言えばアムリタも偶然かどうか怪しんでいたわね」
「うちの姫さんとエリーは将来なにかしらやらかすんだろうね、二百年前の過去で」
アルンは両手を頭の後ろで組み、やれやれ、と呟く。
「芋虫の化物は、アムリタとエリーに対してえらく大人しそうだった。
アムリタとエリーを乗せると消えてしまったのよ」
「ふうん?
もしかして俺たちも逃げなければ良かったのかもしれないな……。
いや、待て。
開いたゲートは見たのか?」
「ん?
見ていないよ。
暫くこの辺を探索したけれど何も見つからなかった」
ソニアは思い出すように言う。
「それじゃ、夢幻郷に行ったかどうかは分からないわけだ?
別の空間に連れ去られただけかもしれない?」
アルンは確かめるように訊く。
「そうね。
だけどアムリタは自信満々で、夢幻郷で会いましょう、と笑ったのよ?
あの子がああ言うからには夢幻郷に到着している未来が視えているんだと思うな。
そこで何かを見て、夢幻郷に行く決断をしたんだと思う」
ソニアは確信を持って言う。
ふうん? とアルンは相槌をうつも、今ひとつ腑に落ちない。
ソニアの言葉からはアムリタは予言者のように聞こえる。
エリーもそうだが、アルンにとってアムリタもまた得体のしれない魔人の一人だ。
「ここよ、この空地の形が芋虫の化物の形よ」
ソニアは森の奥にある細長い楕円状の空地をアルンに見せ、説明する。
ソニアは飛空機を空地の中央に垂直に下降させる。
飛空機は空地の縁を探索し、上空からは見えない場所に滑り込み、着地する。
「この辺でいいかしら?」
ソニアはアルンに訊く。
ああ、とアルンは肯定し、荷物を抱え地面に降り立つ。
そして抉れている空地の芋虫のクリーチャーの頭部があったと思われる場所に降りる。
「二人がここからゲートを開き夢幻郷に行ったのならば、同じ場所でゲートを開き、戻ってくる必要がある。
念のためここに目印を置いておく」
アルンはそう言い、両手剣で地面を六芒星の形に抉る。
そして背負袋から小袋を取り出し、中の銀色の砂で六芒星を埋めてゆく。
地面に一メートル程度の銀色の六芒星が描かれる。
アルンはなにやら詠唱を行う。
しばらくして作業が終わったのか穴の縁の上に立つソニアを見上げる。
「貴方も夢見の魔法を使えるの?」
ソニアは穴の中のアルンを見下ろしながら訊く。
「まあ、細やかながら。
ラビナなんかに比べると使えないも同然だがね」
アルンは卑下するようでもなく淡々と応える。
「で、二人が無事に戻るサポートをするなら、ここで眠りにつくのがお勧めだ」
アルンは言う。
「ん……、でもそれではカルザスの街まで送れないわよ?
貴方が困るんじゃないの?
用事があるんでしょう?」
ソニアは申し訳なさそうに言う。
「ああ、俺のことは気にしないで良い」
アルンは表情を変えずに応える。
「歩いて行くの?
なんか悪いね。
でも有難う。
それじゃ飛空機を隠すわ」
ソニアは飛空機の後部ハッチを開き、茶色のシートを取り出す。
アルンもソニアを手伝う。
二人は茶色いシートを飛空機に被せ、シートにロープを張り地面に固定する。
「飛空機の中で寝るので良いのかな?」
ソニアは確認するように訊く。
「温度が異常に上がったりしないか?」
「大丈夫。
空調は生かしたままにしておく」
ソニアは飛空機に乗り込みながら言う。
アルンも中に入る。
ソニアは後部座席をリクライニングさせ、その上に毛布を敷く。
さらにその上に毛布をもう一枚敷く。
足置きも置く。
「これでまあ寝れるでしょう」
ソニアは後部座席の感触を確かめながら言う。
「今更非常に言い難いんだが、俺はラビナのように魔法で他人を眠りの世界に誘導することはできない。
だからこれ飲んで寝てくれ」
アルンはソニアに小さなビンを手渡す。
何かの薬のようだ。
「なにこれ?」
ソニアは怪訝そうに訊く。
「睡眠薬。
かなり強力なものだ。
それと香を焚くことにより夢幻郷に誘う」
アルンは香炉を床に置き、香を焚く。
妖艶な香りが機内に立ち籠める。
「睡眠薬?
貴方、いつもこんなものを持ち歩いているの?」
ソニアは真顔で訊く。
「いつもではない。
今回は必要だからな。
止めるか?」
アルンは聞き返す。
「必要なら仕方がないわね。
夢幻郷に送ってくれるのならば問題ないわ。
一錠でいいの?」
ソニアの問いにアルンは無言で頷く。
ソニアは水筒を取り出し、キャップに水を汲む。
そして座席に座り、毛布を膝に掛ける。
そして薬を一錠取り出し、口に入れ、水で飲み込む。
ゆっくり水筒のキャップを締め、水筒を床に置き、毛布を肩まで被る。
「夢幻郷の入り口で待ち合わせしよう」
アルンはソニアに声をかける。
ソニアが返事をすることはなかった。
「こっちの姫さんも人の話を聞かない系だな」
アルンは眠るソニアを見て呟く。




