第三章第二話(七)天空のゲートを超えて
『エリー?
ホントに冗談だからね?
久しぶりにエリーと話せたからハイになってしまっただけなのよ?』
パイパイ・アスラはエリーを気遣うように言う。
尚もエリーは考え事をしているようだ。
視線が定まっていない。
『なんか失敗しちゃったな。
まさか十四歳だなんて、そんなの卑怯よ。
普通に考えたら余りにも昔のことだから、耄碌して私を忘れてしまったと思うじゃない?
忘れるなんてそれは酷いよーって。
私は悪くないもん』
パイパイ・アスラは拗ねるような口調になる。
「エリーはね、夢幻郷に行きたいの。
でも禁止者らしく夢幻郷の門を潜れなくて困っているの」
アムリタは助け舟を出す。
『禁止者……、奴らと敵対したのね?
エリーは武闘派だからねぇ』
パイパイ・アスラは茶化すように言う。
『でも大丈夫。
シャイガ・メールの幼体も近くに居るようだし、それを媒介にして夢幻郷への穴を開ければ良いわ。
ついでにそれを夢幻郷に戻してやれば?』
「え?
そんな事ができるのか?」
エリーは反応する。
蚕蛾のクリーチャー、シャイガ・メールの幼体がゆっくりと上下する。
『もっちろんよ!
かつて私もアウラの脳を媒介にしてよく夢幻郷への穴を開けたものよ』
おほほほ、とパイパイ・アスラは笑う。
「アウラって、パイ、貴女の息子さんじゃないのですか?」
アムリタは恐るおそる訊く。
『そうよ、アウラは私のジュニア!
愛おしき一人息子。
貴女、アウラを知っているの?
アウラは地球に辿り着いたの?』
パイパイ・アスラはアムリタの問に食いつく。
「私たちは知らないの。
風の谷の思考機械がアウラに会いたがっていたから」
アムリタは応える。
『サリーが?
そう……サリーにも会いに行っていないの。
心配ねぇ……。
ここ暫く、サリーとも連絡取れなくなってしまったし。
何やっているんだか』
パイパイ・アスラはテンションを下げて呟く。
『媒介なしでは夢幻郷への穴を開くこともできないし、今の私の力ではもう恒星の重力から抜け出ることもできないわ……。
エリー、そしてアムリタ。
アウラを見つけたら伝えて欲しいの。
おかあさんはいつも貴方を想っているって……。
お願いよ……』
パイパイ・アスラはエリーとアムリタに乞う。
アムリタとエリーは視線を交わす。
「判ったわ。
ちなみに夢幻郷への穴を作って入ってしまうと禁止者となってしまうの?」
アムリタは気になっていることを尋ねる。
『禁止者……。
私の場合は問答無用だったけれど。
貴女たちの場合は蕃神どもとの交渉次第ね』
「交渉の余地はあるのかしら?」
『あると思うわよ?
彼らも全ての情報を持っているわけではないし、強気で行けば大丈夫よ』
パイパイ・アスラは気軽に請け負う。
「殺されたりしない?」
アムリタは心配そうに訊く。
『大丈夫よー。
だってエリーはエリーの時間軸の将来で過去の私と出会うのだから。
少なくともそれまでエリーは殺されたりしないはずよ』
そう言ってパイパイ・アスラは、おほほほ、と笑う。
アムリタは、私は保証のかぎりではないってことじゃない、と言って膨れる。
「私が死なないのならば、アムリタも死なない」
エリーが口を開く。
『私もそう思うわよ。
だってそんなに酷い過去を引きずっているようには見えなかったし。
引きずっているのはジュニアのことだけね』
パイパイ・アスラは楽しそうに同意する。
アムリタは微笑む。
エリーの顔から血の気が失せる。
「教えて欲しい!
夢幻郷へのゲートの開き方を!」
エリーは乞う。
『貴女の大好きなジュニアが危険なの?』
パイパイ・アスラは宥めるように訊く。
エリーは返答に窮する。
「そうなの。
ジュニアは今、監禁されているの。
私たちが助けに行かなくちゃ」
アムリタが代わりに応える。
エリーは、ギョッ、としてアムリタの顔を凝視する。
『アムリタ、貴女は未来が見えるの?』
パイパイ・アスラは物憂げに訊く。
「ほんの少しだけ。
凄く限定された未来が見えるわ」
『そうなの。
それで未来は開けているの?』
パイパイ・アスラは重ねて訊く。
「暫くは閉じた未来を選ばなくて良いみたい」
アムリタは微笑みながら応える。
『そう……』
パイパイ・アスラは短く言い、黙る。
「アムリタ!
ジュニアは今どうなっているんだ?」
エリーはアムリタに言い募る。
「大丈夫よ、エリー。
一緒に夢幻郷に行きましょう」
アムリタはエリーの腰を支えている手をエリーの頭に回し、撫でながら応える。
『エリー、天空にできるだけ大きな六芒星を描いて』
パイパイ・アスラは優しくエリーに言う。
エリーはアムリタの顔を見つめる。
アムリタはエリーの目を見ながら軽く頷いてみせる。
エリーは空中を見上げ、右手で六芒星を描く。
図形は銀色に輝きながら拡大し、頭上に上がってゆく。
『詠唱するわ。
復唱して』
パイパイ・アスラはそう言って詠唱を始める。
発音は人のものではない。
パイパイ・アスラの詠唱には人では発音できそうもない音韻を含む。
ペチャ、ペチャ、という汁気のある悍ましい音も混じって聞こえる。
――ないある・らいあす・おる・みらく
――わいで・わいで・おる・まいす
――さいなる・ないある・おる・いざる
――わいで・わいで・いる・さらす
パイパイ・アスラの詠唱は続く。
エリーは一小節遅れながら復唱する。
エリーの復唱はパイパイ・アスラの詠唱に似ている。
しかし相違もあるように見える。
エリーはその差異を埋めるべく詠唱を音写し空中にも描く。
更には地面に幾つもの禍々しい口が生え、その口々が湿り気を含んだ復唱を行う。
六芒星の周りに複雑な図形が銀色に輝き、六芒星は眩いばかりに輝き出す。
――おるでらん・まいならん・おる・わいで
――らいあす・ないあす・いる・まいす
六芒星の輝きは異常なまでに輝き、直視できぬほどにになる。
エリーは左手で両目を隠しながらも尚も復唱を続け、空中へ文章を綴り続ける。
――ないある・さいなる・おる・わいで
――ないある・らいあす・ぱいぱい・あすら
いまや天空全体が煌々と輝き、世界を照らす。
そして ドコン! と異常な地響きのような音がし、六芒星は消え、大きな円が空中に開く。
円の内側は紫色の空が覗く。
「おお!
凄い!
本当に穴が開いた!」
アムリタが賞賛するように叫ぶ。
シャイガ・メールは仰け反るように進み、体前半分が大きく持ち上がる。
シャイガ・メールは明らかに穴に向かって伸び上がろうとしている。
「パイ!
もう一つ教えて。
エリーはどうやって過去に跳んだのかしら?」
アムリタは慌てて訊く。
『残念だけれど知らないわ』
パイパイ・アスラは朗らかに応える。
「じゃあ、じゃあ!
過去に跳ぶ方法を知っているかしら?」
アムリタは重ねて訊く。
『私は知らないけれどトマスの本に載っているかも知れないわね。
そうねぇ、私たちが残してきたものの場所を貴女たちに教えてあげるね。
そこにトマスの本もあるから』
パイパイ・アスラは、特別よー、と嬉しそうに言う。
『限定三体問題の五つある平衡解のうち、公転軌道上の正三角形解、公転方向側。
判る?』
パイパイ・アスラは歌うように言う。
うん、わからないわ、とアムリタはエリーを見る。
「どの三体だ?
太陽と地球?」
エリーが訊く。
シャイガ・メールは大きく体を伸ばし、天空に開いた穴に届こうとしている。
『地球と月よ。
そこにトマスと私は旅に不要なものを置いてきたの』
パイパイ・アスラの声は遠くなりながら続く。
アムリタとエリーを乗せたシャイガ・メールは穴をよじ登る。
『元気でねー。
トマスの本、大事にしてねー』
パイパイ・アスラの声が遠くなる。
シャイガ・メールは穴を乗り越える。
『夢幻郷、穴が閉じると普通には出られないから気を付けてねー』
パイパイ・アスラの微かな声が聞こえる。
シャイガ・メールは消える。
シャイガ・メールとともに黒い霧も晴れる。
後にはフォルデンの森の空地が元々の面積より大きくなって開けている。
空地の上にシャイガ・メールが超えた穴が浮かぶ。
時刻は夕刻。
ソニアの飛空機は空地付近の森の中に茶色のシートを被せられ、駐留している。
誰も出てこない。
森の中に風が吹く。
風は森の木々を撫で上げる。
特別なことなど何も無かったかのように。
第三章 第二話 私の頭の中に囁く声 了
続 第三章 第三話 地下世界の重力列車




