第一章第二話(一)フライヤー商会
――崩壊歴六百三十四年の五月十一日十一時半
アムリタがジュニアとエリーのいる道具屋を訪れたのはジャックと別れてから三日目である。
道具屋はカルザスの街の目貫通りにある市場から路地に入り、再度横道に入った中程にある。
小さな看板には「フライヤー商会」とあり、木製のドアが入り口となっている。
アムリタは店のドアにあるベルを鳴らす。
カラン、という音が鳴り、ドアが内側から開く。
中から二十歳前と思われる少年が現れる。
少年はウェーブのかかった栗色の髪、背は百七十五センチ程度であろうか、茶色い目と賢そうな顔は不機嫌そうに見える。
「こんにちは。
ジュニアさんいらっしゃいますか?」
アムリタはできるだけ余所行きの顔と声を作り、少年に尋ねる。
しかしアムリタの服は薄汚れ、髪は乱れているので怪しいことこの上ない。
「ジュニアは俺だよ」
少年はまっすぐアムリタの目を見ながら応える。
「ああよかった。
私はアムリタというの。
ジャックの紹介でここに来ました」
アムリタはできるだけ愛想笑いをしつつ、ジュニアに挨拶をする。
アムリタにはジャックの言葉がどこまで本気なのか正直なところ判らない。
普通、紹介状を書いてくれそうなものなのだが、ジャックは地図と住所しかアムリタに渡していない。
アムリタはジュニアとエリーとに自分で交渉する必要がある。
「ジャックの?」
ジュニアはあまり興味が無さそうに生返事をしつつも、入って、といいながら店にアムリタを招き入れる。
店の中は、左半分が外周と二つの島が商品の陳列棚となったスペースになっている。
残り半分はカウンターと四人掛けのテーブルが二脚ある作りになっている。
カウンターの向こうには背の高い少女が姿勢良く立っている。
「エリー、お客様」
ジュニアはカウンターの少女に声をかける。
カウンターの少女の瞳は青みがかった水色をしている。
彫は深く鼻筋の通った美しい容貌だ。
なによりも驚くのは背まで伸ばした黒灰色に輝く髪だ。
その髪は見る角度により暗い灰色から真珠の輝きまで色を変える。
アムリタはこのような髪の色を今まで見たことがない。
程よく丸みを帯びた頬はどこまでも白い。
細身の体にぴったりとした襟のある黒いワンピースとのコントラストで白磁の人形のように見える。
身長は百六十五センチのアムリタよりも高く感じる。
アムリタはカウンターの少女にしばし見とれてしまう。
この娘がエリーか、アムリタは偉大な魔法使いの娘であると言ったジャックの言葉を思い出す。
「まあ、座ってよ」
ジュニアはテーブルの席を引き、アムリタに着席を勧める。
「何を用意しようか?」
ジュニアは注文を取る。
エリーはお茶を淹れているようだ。
「私はアムリタといいます」
アムリタはできるだけ丁寧に聞こえるように自己紹介をする。
「客というわけでは無く……、ジャックには後見人になってもらいました」
アムリタは言葉を選びながら説明する。
「直接面倒は見られないからここで世話になれとジャックが……」
そこまで言い、アムリタはできるだけ愛想よく微笑む。
ジュニアはエリーのほうを見る。
エリーはチラリとジュニアを見ながらも、カチャカチャとお茶を淹れる作業を続ける。
カップを二つお盆に載せ、エリーはカウンターから出てくる。
ポッドから空のカップにお茶を注ぎ、どうぞ、と言いながらお茶の入ったカップをアムリタの前に置く。
周囲は爽やかなお茶の香りに包まれる。
「ありがとう」
アムリタはにっこりと微笑みながらお礼を言う。
エリーは無言でアムリタを見ながらコクリと頷き、視線を外した後ジュニアの前にもカップを置く。
その後、エリーはお盆を胸に抱きかかえてアムリタの横に立つ。
「昼食は?」
エリーは女性にしてはやや低い声で短く、しかし口調は優しくアムリタに尋ねる。
昼食は既に済んでいるのかと訊いているらしい。
「いいえ、未だ」
「何かリクエストはあるか?」
「特に……、できればお肉が……、良いかな」
アムリタは強烈な空腹であったのでそう言ってしまったが、図々しいかなと思い自省する。
ジュニアは、肉が食べられないと言うのかと思った、と言いながら少し笑う。
「お肉……。
善処しよう」
そう言いながらエリーはカウンターの奥にある部屋に引っ込む。
「男前な言葉遣いの女の子ね」
アムリタは小声でジュニアに話しかける。
「エリーは外見と中身が別人だからね。
最初はギャップに戸惑うかもしれない」
常々(つねづね)思っていることをアムリタに指摘されたせいか、ジュニアは、うーん、といいながら囁き声でそう応える。
「まあ、お茶をどうぞ。
エリーの淹れるお茶は美味しいよ」
ジュニアはアムリタにお茶を勧める。
アムリタはカップを持ち上げ、お茶を啜る。
「本当、美味しい」
アムリタはお世辞抜きにそう思う。
しばらく無言で二人はお茶を啜る。
そうしているうちにエリーが料理の載ったお盆を持ってテーブルにやってくる。
料理、スープ、パンを三人分配膳するべく、何回か奥の部屋とテーブルを往復する。
「今は大した肉が無い。
ソーセージにベーコン、卵、それに野菜のスープとパンだ。
肉は夕食に用意しよう」
ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、かなり面倒見の良い言葉だったのでアムリタは可笑しくなり微笑んだ。
「楽しみにしているわ」
アムリタは図々しさついでで、そう言う。
「エリー、ありがとう。
いただくよ」
ジュニアはエリーに声をかけて食べ始める。
アムリタもそれに続き、いただきますと言って食べ始める。
エリーは無言で頷きながら自分もナイフとフォークをとる。
アムリタは肉汁の迸るスパイスの利いたソーセージ、カリカリに焼けたベーコンを堪能する。
美味い、美味すぎる。
ダッカの街で食べた料理も不味くはなかったが、ダッカは何故か魚介類の干物や塩漬けが盛んな街だ。
ソーセージやベーコン、卵、エリーのこの昼食はアムリタの舌を満足させて余りあるものである。
美味い食事を食べながら、今まであまり美味しい食事を食べてこなかったんだな、あの子たちにこの食事を食べさせてやりたかったな、とアムリタは考える。
「すごく美味しいわ」
アムリタはエリーに語り掛ける。
エリーはアムリタの目を無言で見つめ返す。
「泣くほど美味しかったの?」
ジュニアはアムリタに向けて優しく語りかける。
そしてエリーに向かい、良かったね、と付け足す。
エリーは微かに頷く。
あれ、私は泣いているのか? アムリタは目に手をあて濡れていることを確認し、少し驚く。
「ははは、朝から何も食べていないから」
変に思われないようにアムリタは言い訳をする。
アムリタは食事を終えたころ、ジュニアも食べ終えている。
二人はエリーがもぞもぞと食べているのを待つ。
「ジャックは俺たちのこと、何て言っていたの?」
エリーが食べ終わるのを待ってジュニアが切り出す。
「んー、協力者?」
アムリタは語尾を上げ、愛想良く応える。
ジュニアは、だってさ、と言いながらエリーの顔を見る。
「間違ってはいない」
エリーは布のナプキンで口の周りを拭きながら短く言う。
「ジャックは私の後見人でもある」
一緒だね、というようにエリーはアムリタを見る。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
遅まきながらジュニアとエリーが登場しました。




