第一章第一話(九)旅の仲間
「さっき言った、僕の協力者なんだけれどね。
街道を川下に下りて二時間ほど歩いたところにあるダッカという街から、さらに半日歩いた先にある、カルザスという街に住んでいる」
ジャックは紙に地図を描き、説明する。
「協力者はジュニアとエリーという少年少女だ。
その町で道具屋を営んでいる。
住所を書いておくのでカルザスに着いたら誰かに訊くと良いよ」
ジャックは別の紙にサラサラと住所を書き、二枚の紙をアムリタに渡す。
「あとこれ」
ジャックは膨らんだ小ぶりの布袋をアムリタに渡す。
「これは路銀だ。
万が一逸れた場合に備えて渡しておくよ」
アムリタは恐る恐る受け取る。
予想外に重いので少々驚く。
「今日はダッカまで行き、宿屋に泊まるとしよう。
まだ、酒場が開いている時間に着けるから、何か食べられるはずだ。
さっき助けた僕の知り合いがいるかもしれない。
ひどい目に会ったあいつらに奢ってやって慰めてやろう」
ジャックは笑いながら続けて言う。
「お友達はなんという名前?」
アムリタは火に炙っているズボンをひっくり返しながら訊く。
「ラビナという女とアルンという男だ」
「ご夫婦なの?」
「さぁ?
多分違うと思う」
あまり興味が無さそうにジャックは応える。
「ジャックは時を渡る方法を知っている?」
アムリタは話題を変える。
「時渡りの魔法のこと?
そういうものがあるとは聞いたことがある。
実際に使った人を見たことは無い。
誰にでも使えるというものではないのだろうね」
ジャックは焚火に枝を放り込みながら応える。
「君を助けるために時渡りの魔法を使った人たちは何か術式を使ったのかい?」
ジャックは揺らめく炎を見ながらアムリタに尋ねる。
「さぁ?
私は時を渡るなんて夢にも思わなかったし良く判らない」
「時渡りの魔法は、他人にかけるものではないんだよ。
だから、君を未来に送るべく君の魔法を外から発動させたのだと思うよ」
ジャックは相変わらずアムリタを見ずに語る。
そうなのだろうか? アムリタは当時を思いだそうとするがよく判らない。
「なぜそんなことを?」
「そうだね、守りたかったんだろうね、君を」
ジャックは抑揚のない口調で応える。
「時渡りの魔法で元の時に戻ることはできる?」
アムリタは一番訊きたかったことを尋ねる。
ジャックは少し考えて、いいや、と否定する。
「時渡りの魔法に限らず、大抵の方法では行けるのは未来だけだ」
「そうなの?」
アムリタは少し暗い声となる。
「未来に行くことは実はそんなに難しいことではないんだ。
例えばコールドスリープという方法があって……。
いや、時間を旅する方法はいくつかあるが、僕の知るかぎり未来への移動だけで過去に行く方法は……」
ジャックは申し訳なさそうに言う。
アムリタにとって期待外れの応えであることが判っているようだ。
「いやいや、そんなことは無かった。
そうそう、さっき話したエリーのおかあさん、僕の師匠筋なのだけれどね。
かの偉大な魔法使いは直交空間を使って過去に行く方法を研究していた」
凄い魔法使いだよ、と少し懐かしそうな顔で夜空を見上げる。
「今、行方が分からなくなってしまっている。
エリーはおかあさんを探しているんだ」
一緒に探して話を訊くと良いかもしれないね、とジャックはアムリタのほうを見て微笑む。
アムリタは知らない言葉に戸惑う。
「直交空間ってなにかしら?」
アムリタは話が難しくなってきたので、訊いても多分判らないんだろうなと思いながらも一応訊いてみる。
「僕らの世界とは時間軸に相関が無い別の世界だよ。
時間軸が直交しているんだ。
だから直交空間。
時間軸直交世界とも言う。
時間軸に相関が無いから、二つの世界を行き来すると、場合によっては過去に行けるのかもしれない」
案の定、全く理解ができなかったのでアムリタは諦める。
「まぁ、過去に戻る方法が全く無いわけではないということでいいのかしら?」
「うん、そうそう」
ジャックはアムリタを元気付けるように柔らかに笑う。
アムリタはズボンの乾き具合を確かめる。
生乾きではあるが履けなくもないだろう。
ちょっと失礼、と言いながらアムリタはジャックの後ろに回り込む。
そしてジャックに背を向け生乾きのズボンをジャックのマントで隠しながら履く。
「もう少し乾かしたほうが良くはないかい?」
「ん、後は履きながら乾かすわ」
アムリタは衣類を直接肌の上に着こむ。
さすがに濡れた肌着をせっかく乾いた体に着るのは嫌だったのだ。
「いつまでも裸というわけにはいかないしね」
アムリタは再び火の前の岩に腰を下ろす。
「まったくだ」
微笑みながらジャックも同意する。
「ちょっと所用をたしてくる」
ジャックはゆらりと立ち上がると、背伸びをする。
肩をたたき、ふらりと大岩の後ろのほうに歩いてゆく。
アムリタは焚火にあたりながら考える。
いつかあの時に戻れるのだろうかと。
しばらく待っていると街道から人の声が聞こえてくる。
「あ、やっぱりあの時ジャックと一緒に居た娘よ!」
アムリタは声のほうを向く。
そちらから、二人の男女が焚火の揺れる炎の明かりに照らされて現れる。
小柄な飴色の髪を小さな丸いやたら童顔の頬に揺らせた女。
同じく飴色の髪に筋肉質な背の高い青年。
「ちょっと!
貴女、ジャックはどこ?」
飴色の髪の女は不躾にアムリタに尋ねる。
少女と思ったが、醸し出す雰囲気はアムリタより年長と思われる。
「貴女たちがジャックのお友達のラビナとアルン?」
アムリタは二人に問いかける。
「誰がお友達よ!」
憤懣やるかたないと言った体で叫ぶ。
「私はジャックの被害者よ!
どれだけあの男に酷い目にあったか!
って、なんで貴女、私たちの名前を知っているのよ!」
ラビナは捲し立てる。
「ジャックはどこに居るんだい?」
アルンはアムリタに穏やかに問いかける。
ああそうか、アムリタは悟る。
空賊の女もそうだが、この二人もまたジャックを探し追いかけてきたのだろう。
ジャックは何人の女の人に追いかけられていることやら。
アムリタは可笑しくて内心笑いだす。
「ちょっと前に所用をたすと言って席を外したわよ」
アムリタは素直に本当のことを言う。
「探してくる」
アルンはすばやくジャックを探すべく、闇の中に消える。
焚火の前にはアムリタとラビナが残る。
「なにあなた、濡れているの?
それに服も乱れているしジャックに何かされたの?
あなたは未だ若いんだからやり直しがきくよ。
狂犬に噛まれたと思って忘れなさい」
ラビナはアムリタのあまり普通ではない格好を見て心配になってくる。
明らかに半乾きのズボンに濡れた金髪。
胸の膨らみを見るかぎり上着の下には何も着ていないように見える。
この年端もいかない少女をあの中年男性が毒牙にかけたかと考えると殺意を感じるわね、とラビナはジャックに対する呪いの言葉を吐く。
アムリタはラビナに向かい、曖昧に微笑む。
ラビナのアムリタを見る目は、騙された可哀そうな小娘を憐れむ年長者のものになっている。
そこにアルンが戻ってくる。
「周囲にはジャックは居ない。
逃げられた」
やはりそうか、アムリタは驚かない。
ジャックのカバンがいつの間にか消えているのだ。
「また逃げられた!」
ラビナは悔しそうに地団太を踏む。
「ジャックは仕方がない人だね」
アムリタもラビナをあやすように微笑む。
「あなた、変な理解は示さないほうが良いわよ。
ジャックは鬼畜な奴なんだから」
ラビナは、貴女は騙されているのよ、とばかりにアムリタに忠告する。
「ジャックがどこに行くか訊いていない?」
「訊いていないわ。
訊く前に逃げられてしまったようね」
「ジャックに何か言われていない?」
「お金を渡された」
アムリタはジャックに渡された小袋を顔の前で揺らす。
手切れ金を払って逃げたのよ、とラビナは小声でアルンに囁く。
アルンも頷きながら気の毒そうにアムリタを見る。
「ラビナとアルンの二人に謝って欲しいんだって。
街で飯でも奢ってやってくれってさ」
アムリタは二人に向かってにぃーと笑う。
ラビナとアルンは絶句する。
ははは、とアムリタは笑う。
ジャックの思惑が今さらながら面白く感じられたからだ。
ジャックはラビナとアルンに謝りたかった。
しかし二人に会うつもりは無かった。
そこで焚火を焚いて二人をここに誘導し、ジャック自身は逃げる。
アムリタに謝罪の伝言を託し、二人をアムリタが安全に街に辿り着けるよう旅の道連れにする。
良くできた策だ。
「さあ、ダッカの酒場で食事しましょう。
お互い訊きたいことがあるでしょう?
早く行かないと店が閉まってしまうわよ」
アムリタはジャックのマントを畳み、自分のマントを羽織ると二人を追い立てるように街道の方向に歩き出す。
今夜は初めての酒場で社会勉強だ、この二人とあのジャックという怪人についての情報交換に励むとしよう、口止めはされていないことだし。
アムリタはこの時代も悪くないかもしれないと思った。
第一章 第一話 時渡の少女 了
続 第一章 第二話 風の谷の祭殿




