第九話
翌日。
久しぶりに高木さんに会うのに、心が重たいままだった。
終業後に会う約束をしていたのに、帰り支度をしていたら珍しく長崎さんに面倒な仕事を頼まれて、どうしても残業しなければならなくなってしまった。作成を頼まれた資料のディスクを開きながら、高木さんにメールを送る。
<急な残業になってしまいました。1時間ほどで終わると思うので、「てまり」で待っていてください>
この間連れて行ってもらった小料理屋さんの名前を挙げてメールすると、ほどなくして「了解。のんびり待ってるから、あせらず仕事がんばって」と返事が返ってきた。
少しだけほっとして、急いで仕事を終わらせようと仕事を始めた。
長崎さんに頼まれた資料は、以前にもやったことのあったものだったので、予想以上に早く終わった。
一時間はかかると思ってたんだけどな。
私は急いで着替えると、社員カードを通して通用口を出た。
「てまり」は会社の最寄り駅から地下鉄に乗って3駅ほどいったところにある。
「そ、そうだ、SUIKA!チャージしなきゃ」
なんか私、あわててますね。絶対どっかでものを落としたり、つまづいて転んだりするパターンだ。こういうときって、絶対なんか悪いことが起こるんだ。
そう思いながらも地下鉄の駅に向かってせかせか歩いた。
途中、ショートカットするためにビルの中を通っているときだった。
ふと、ビルに入っているカフェに目が行った。ただの偶然だったかもしれない、あるいは目の端がその人を捉えたのかもしれない。
カフェに向かい合わせに座っている男女。女性はこちらを向いていて、男性はこちらに背を向けて座ってる。でも、ちらっと横を向いた時に顔が見えた。
・・・高木さんと、曽根さん?
じっとお互いの目をみながら、何かを話している。真剣な顔をしてるけど、時折曽根さんが笑顔を見せているのが見えた。
あれ?
高木さん、「てまり」で待っていてくれるんじゃなかったの?
私が遅くなったから、曽根さんと会うことにしたの?
なんだかすうっと世界が暗くなった気がして、気がついたら私は走り出していた。
*****
どこをどういったかわからないけど、気がついたら自分のアパートに帰ってきていた。
玄関の鍵を締めるのももどかしく部屋に入ると、電気もつけないでのろのろと部屋着に着替えた。それで、そのままベッドに倒れ込んだ。スマホを取って、「今日は行けません。ごめんなさい」だけメールを打って、枕元のサイドテーブルにスマホを放り投げた。
けど、すぐに電話がかかってきた。
高木さん・・・かな?
恐る恐る表示を見ると、高木さんじゃなかった。
「・・・もしもし」
≪南美!私≫
「優。どうしたの?」
≪それはこっちの台詞だよ。どうしたの?・・・いいや、今すぐ行くよ≫
いつものことながら、優はすぐに来てくれた。
私の顔を見て驚いてたけど、すぐに側に来てにっこりと笑ってくれた。
「大丈夫…じゃなさそうだよね。何があったか、聞いていい?」
うまく話をまとめられなくてつっかえつっかえだったけど、事のあらましを説明している間、優は辛抱強く聞いていてくれた。
「それで、高木さんが曽根さんと2人で会ってるところを見ちゃって…」
「そっか。悲しくなっちゃったんだね」
「悲しい…のかな、なんかね、苦しいの。胸の奥が」
自分の口でそう言った途端に、はらはらと涙が溢れた。
あれ?泣くはずじゃなかったのに。
でも、苦しい。胸の奥に何か黒くて熱い塊があって、マグマのように膨れて破裂しそうだ。
自分の心を持て余して、収集がつかない。
「南美…」
泣き出した私の頭を優がぎゅっと掻き抱いてくれた。そうして泣いてるうちに疲れてしまったのか、私はそのまま眠ってしまった。
♦♦♦♦♦
朝、目が覚めると優はもう起きていた。
「ごめんね!私、寝ちゃったんだ…優はどこで寝たの?」
「大丈夫だよ、一平さんにおふとん持ってきてもらったから」
優が何やら料理をしながらにっこりと笑った。一平さん、というのは優の婚約者の麻生一平さんのことだ。
料理上手な優は、見る間に素敵な朝食を作ってくれた。エッグベネディクト、スープはコンソメ、サラダにヨーグルト。
…同じ材料なのに、何でこんなに美味しく作れるんでしょうか?
前の晩にご飯を食べそこねたこともあり、それなりの量をぺろりと平らげてしまった。まあ、朝だからいいか。
おなかがいっぱいになったら、なんだか頭もすっきりした。現金なものだなあ・・・我ながら。夕べは頭の中もぐっちゃぐちゃで、まともにものを考えられていなかったって今更ながら気がつかされるよ。
幸い今日は土曜日、朝はのんびりできるね。
「優、今日はなんか予定とかあったんじゃないの?」
「ううん、別にないよ。南美は?」
「私もない~」
優とテーブル挟んで顔を見合わせて、ニッと笑いあった。
「どっか行こうか?」
「麻生さんはいいの?」
「うん、大丈夫ー」
さて、そうしたらどこに行こうか?
…と、相談していたら。
ピリリりり、と私のスマホが鳴った。
げ。
高木さんからだ。
ま、まだ心の準備がっ!
「南美、取りなよ。それで、昨日のことちゃんと聞いたほうがいいよ」
優に言われて、しぶしぶ通話ボタンを押した。
「もしもし…」
《南美?おはよ。もう起きてた?》
「あ、はい、おはようございます。もう朝ごはん食べて…」
《分かった。じゃあ、今そっちに行くから》
「はい…………って、ええっ?!」
有無をいわさず、電話は切れてしまった。
余談ですが、南美ちゃんは一人暮らしです。両親は健在ですが、パパの仕事の関係で海外にいます。




