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第五話

え?




いま、なんて?



「南美」


きゅ、と、高木さんの腕が力を込めて、私は苦しくはないけどきつく抱きしめられた。


「え?好きな娘、って」

「南美のことに決まってんだろ」


高木さんの大きな手がそっと私の髪を梳く。それがやけに心地良ぃ。


「うそ」

「うそじゃないよ」


抱きしめられる腕が少し緩んで、高木さんの頭が私の頭の上にコツン、と乗せられた。


「お茶淹れてもらうの、いつの間にかその時間をものすごく楽しみにしてる自分がいてさ。気がついたら、好きになってた」


ストレートな言葉がストレートに響いてくる。ちょっと緊張したような囁く声にぞくっとする。


でも…



私はそっと高木さんから離れた。



「ごめんなさい」

「南美?」

「ごめんなさい、ダメなんです、私」


それだけ言って、車のドアを開けて降りた。


「南美!」


呼び止められて、足が止まる。でも、振り返れなかった。


そのまま小走りに逃げてしまった。




♦♦♦♦♦


夜の街をトボトボ歩きながら、バッグからスマホを出して電話をかける。

相手はコール4回で出てくれた。


《もしもし、南美?》

「…優?わたし」


電話の向こうの親友は、その一言で何かあったと察してくれたらしい。


《南美、今すぐそこに行くから待ってて》

「ごめんね…」

《すぐ行くからね!》


そう言って電話が切れた。

スマホを握ったまま、私はそこに立ち尽くしてしまった。




優は本当にすぐに来てくれた。

駅前で立ち尽くしていた私の顔を見て、何も聞かずに駅ビルに入ってるコーヒーショップに連れて行かれた。

私を席に座らせておいて、自分はカウンターへいってホットのカフェオレを二つ買って戻ってきて、そのひとつを私の前に置いて、それから言った。


「なにがあったの?」

「・・・うん・・・」


聞いてほしかったのに、なんだか言葉が出ない。

それでも優は辛抱強く私が話すのを待ってくれている。


「・・・やっぱ、だめだよ、私」

「何が?」

「いい人だと思ってたし、もちろん嫌いなんかじゃないけど、・・・どうしても信じられないの」


優がちょっと目を見開いて、それから穏やかな表情で少し前に乗り出した。


「それ、こないだの人?車の」


答える代わりに小さく首をたてに振った。


「好きだって言われたんだね」

「だって、社内でも一番人気のある人だよ?なんで私なんかに」

「南美は、その人のこと嫌いじゃないんでしょう?告白されて、迷惑に感じてるわけでもなさそうだし」

「迷惑だなんて・・・」


そんなことない。

でも、高嶺の花に好きだって言われて、びっくりはしたけど。


「・・・南美、その人のこと、好きなの?」


好き?

私が、高木さんを?


「だって、どうでもいい相手ならそんなに悩まないでしょ。なんて答えてきたの?」

「・・・だめなんです、って」


そう、ダメだ。だって。


「だって、そんなわけないもん。高木さんが私なんかを好きになるわけ、ないもん。今はよくても、きっとすぐ飽きちゃうよ。やなの、もう。あんな思いするの」

「…南美」


自分でも臆病だってわかってる。

でも、あの時のショックはそうそう忘れられるものじゃない。


私の事情をよく知っている優は、それ以上言わず、ただ一緒にいてくれた。





♦♦♦♦♦


次の日。


私はいつもより能率の悪い仕事をしていた。

ああ、こんなことじゃいけない!

きちっと切り替えていかなくちゃ!



・・・でも、あれ、本気なのかなあ。

本気だったら悪いことしたけど、でも、男の人の「好き」が信用できないから。


やっぱり、そんなこと考えられない。


「・・・ん」


なのに、どうして泣いちゃったりしたんだろう。逃げたりしたんだろう。


「・・・ちゃん」


優にも謝らなきゃ。仕事が終わったら電話して・・・


「モモちゃん!」

「は、はいっ!」


呼ばれてはっと気が付くと、長崎さんが横に立って、不思議なものを見る目つきでこちらを見ていた。


「珍しいねえ、モモちゃんがぼーっとしてるなんて」

「す、すみません・・・」

「もう退社時間だよ。今日は心ここにあらず、ってな感じだし、切りがついてるなら帰りなよ」

「・・・はい、すみません」


ああああ、仕事中だったのに!


おもいっきり自己嫌悪しながらいつもの流れで着替えて社員通用口へ向かい・・・


そこで立ち止まった。


「モモちゃん」


そこにいたのは、いつもどおり優しく微笑む、今現在私を悩ませている人。


「一緒に来て」


固まってしまった私の手をとって会社から出てしまった。

無言で手を引いたま夜の街をどんどん歩いていく。


・・・高木さん、怒ってる?


「た、高木さん、待ってください。その、どこに…」


そう声をかけたら、高木さんはぴたりと足を止めた。それから大きくため息をついてがっくりと項垂れる。

それでも手は繋いだままだ。

そうしてふっと私を振り返って、苦笑しながら言った。


「ごめん、ちょっとテンパってたみたいだ。その…ちゃんと話したくて。昨日の南美の言葉、どうしても納得できなくて。だから、ごめん、ちょっと付き合って?」


そりゃそうだと自分でも思う。私は高木さんに何も話していない。納得できなくても当たり前だろう。

だから私は素直に頷いて、高木さんに手を引かれたまま夜の街を歩いて行った。




高木さんに連れて行かれたのは、こぢんまりした小料理屋さんだった。白い暖簾に紺で染め抜かれて「てまり」と屋号が書いてあり、それを潜ると、こざっぱりとした店内にちらほらと客がいるのが見えた。まだ早い時間だし、平日ど真ん中だ。客足が鈍いのは仕方がないだろう。


小上がりの座敷を借りて鎌倉彫らしい座卓に向かい合わせに座ると、ビールと突き出しが出てくるまで、私は何をどう話すべきかぐるぐると考えていた。


すると、高木さんが困ったように苦笑して口を開いた。


「昨日はごめん。びっくりさせちゃった?」

「いえ、その…驚きはしましたけど、もちろん」

「俺、本気だから。すぐに返事ほしいとかいう気はないけど、知っておいてほしい」


私は、どんどん居た堪れなくなってきた。

だって、私は男の人のことを信じられないから。

だから、お付き合いなんてできないから。


私は膝の上の両手をぎゅうっと握りしめた。


「高木さん、私、無理なんです。」

「何が?」

「私、男の人を信用できないから。

 …きっといつか私に飽きて離れてくのがわかってるから。

 だから、お付き合いなんてできません」


痛いほど握りしめた手、下ろしたまま上げることのできない顔。

それでもわかる。高木さん、私に呆れてる。その証拠に、言葉も出ないじゃない。


けれど程なく、高木さんの静かな声が聞こえてきた。


「いつか飽きるかどうかなんて、南美が今から気にする事じゃないと思うけど・・・詳しく聞いても、いい?」


あまりに穏やかなその声色に驚いて顔を上げると、高木さんは真剣な目で私を見ていた。


私は心を決めた。


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