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第四話

 週があけて、月曜日。


 いつもの通りの時間に出社して、通勤に使っている自転車を駐輪場に止めた。

 うちは会社まで自転車で20分ほどの距離だ。デスクワークは運動不足になりやすいので、できるだけ自転車通勤をするようにしている。


 更衣室に入って着替えていると、なにやらロッカーの隣の列が騒がしい。


「ええ!高木さんが?!」

「そうなのよ、週末、女の子乗せて車で帰っていったって!」

「ええ~、彼女かなあ。ショック・・・」


 げげ。それ、私のことだよねえ。

 もうそんな話に?!

 まあ、でも今の話だと、それが私だとはバレてないみたいだ。


 無関心を装って、自分の課に行った。だって、高木ファンの女性陣に変な誤解で取り囲まれるの、嫌だし。



 でも、改めて高木さんに金曜のお礼は言わなきゃ、と考えてオフィスに戻ってふと隣の課を見ると、隣の課のスケジュールを書き込むホワイトボードに、高木さんは朝から立ち寄りで出社は午後になっていた。

 ひとまず、ホッとした。




 …のもつかの間。


 長崎さんが、デスクに座った私の肩を叩いた。


「よっ!おはよう、モモちゃん!高木の奴、あのあとちゃんと送った?送り狼にならなかった?」



 な~が~さ~き〜さんっ!!!



 ♦♦♦♦♦


 あっという間に噂が駆け巡り、その日の午後には私は動物園の檻の中の珍獣の気分だった。

 ドアからこちらを覗いては、ぼそぼそと喋る女子社員が続出したのだ。

 すんごく気になるけど、集中しなきゃ。伝票の計算中なんですけど~!


「モ、モモちゃん?あのね、お茶・・・」

「はいっ!」


 おずおずとした声に勢いよく返事をすると、声をかけてきた長崎さんがびく!っと一歩引いた。え、私、そんな怖い顔してました?

 すると、長崎さんがこそこそと耳打ちしてきた。


「・・・ごめん、つい余計なこと言っちゃったみたいで。今日はお茶俺が淹れるからさ。給湯室行くと囲まれそうな勢いじゃん。でも、あの子たちもここまでは入ってこないだろ」


 どうやら長崎さんは自分が噂の出所になってしまったことを申し訳なく思っているらしい。


「大丈夫ですよ、別に何があったわけでもないし。実際、ついでに乗っけてもらっただけですからね」

「・・・おお、そうか」


 あれ?なんか、哀れみを込めた目で見てません?長崎さん。



 *****


 そして事は帰りの更衣室で起こった。


「藤田さん」


 着替えていると声をかけられた。

 あ、秘書課のオネエサマだ。美人でスタイルもよくて、いつもビシッと隙のない女子力の塊。あ、嫌味じゃないよ?たしか、曽根さんっていったかな。


「ねえ、金曜に高木さんの車に乗って出て行ったって本当?」


 うわぁ、来ました、どストレート!まさかこんな直球勝負でくると思わなかった。


「あ、はい、あれは・・・」

「どこに行ったの?」

「あ、新宿のセンチュリーホテルまで・・・」

「ホテル?!」


 とたんに、ロッカーの隣の列から一斉に女性社員が数名顔を出した。

 ありゃ、複数いるなとは気配でわかってたけど、みんな聞いてたんだ。っていうか、曽根さんが代表して聞きに来たのか。世話焼きオネエサマって有名だからな。


「ちょ、ちょっと待ってください!高木さんと行ったわけじゃありません!」

「でも車に乗って行ったんでしょ?!」


 うわ怖っ!


「車には乗りましたけど、たまたま私の行き先がそこだっただけで、送ってもらっただけです!」


 と弁明したものの、みんな「車に乗りました」あたりまで聞いて悲鳴を上げ始めたので、最後までは聞いてもらえなかった。


「なんでっ!こんなおちびちゃんなの!曽根さんならわかるわよ、でも、とりたてて美人でもなくて、目立たなくて、メガネちゃんで、お化粧だってろくにしてないのに!」

「そうよそうよ」


 ひとり言い始めたら、他の人たちも便乗するように悪口を言い始めた。

 えっと…こういうの、よく少女マンガとかでみたんですけど。


「ちょ。ちょっと待ちなさいよ」


 止めてくれたのは曽根さんだ。

 姉御肌で優しい人、っていうのは伊達じゃないんだね!

 と、思ってたら。


「だめよ、そんな面と向かって言っちゃ」


 …さり気に一番ひどいこと言われた気がするのは、気のせいでしょうか?



 ♦♦♦♦♦


 結局、そんな集中砲火とヒソヒソ、クスクス笑いをなんとかやり過ごして会社を出た頃には、すっかりブルーな気分になってしまっていた。


 いや~、地味に効きますね!

 こうかはばつぐんだ!




 会社を出て、裏に回って駐輪場に入る。駐輪場は、駐車場の入り口の1区画だ。そんなにたくさん止めてあるわけじゃないけど、まばらというほどでもない。その中から自分の水色の自転車を引っ張り出そうとした。

 でも、隣の自転車にハンドルが引っかかったみたいで、なかなか出てこない。


「んもう」


 ガシャガシャやってたら、不意に引っかかってた自転車がぐらりと倒れた。


「あっ!」


 止める間もなく、倒れた自転車がまたその隣を倒し、次々将棋倒しになっていく。

 幸い、倒れた自転車は、端から5,6台目だったので、倒れる波もすぐに止まったけど、私はその様子をただ見てるしか出来なかった。


 あれ、無理矢理引き出そうとした私が悪かったんだよね。

 人の自転車に、悪いことしちゃった。傷とか、ついてないといいけど。

 これ、片さなきゃ。


 のろのろと手を伸ばし、最初に倒れた自転車を立てる。2台目を立てようとしたとき、後ろに立てておいた自分の自転車におしりをぶつけ、今度は私のが倒れてしまった。


「…も、やだぁ」


 あれ、なんか急に、涙が出てきた。

 一度溢れてしまった涙は、まるで栓がとれてしまった水道管のように、止めどなく溢れてくる。こんなことで泣くなんて、子供っぽすぎる。


 あんな子供並みの悪口くらいで。


 誰も来ないのをいいことに、私はしばらくそこに立ち尽くして、声を立てずに泣いていた。










「…モモちゃん?」


 やがて聞こえた声に、びくっ!と肩が震えた。

 聞き覚えのある声。


「どうしたの?…ないてるの?」


 高木さんだった。

 わたしは泣き顔を見せたくなくて、後ろを向いてしまった。が、高木さんはお構いなしに私の肩に手を置くと、ぐいっと引いて振り向かせた。


 顔なんて上げられない。両手で顔を覆って、見られないようにするのが精一杯だ。


 またぐいっと体を引かれて前に倒れ込むと、すぐに暖かい壁に当たった。そのまま、腕が背中にまわり、ぎゅっと締め付けられた。


 …抱きしめられてる?


 すぐにそう気がついたけど、目の前の高木さんの胸という大きなハンカチが離れ難くて、私はそのまま高木さんの腕の中にすっぽりおさまったままになっていた。






 ♦♦♦♦♦


「少し落ち着いてから帰った方がいい」と、高木さんに半ば無理矢理車に乗せられた。自転車は高木さんが片付けてくれて、私の自転車も駐輪場にもう一度片付けられてしまった。


 私は思わず辺りを見回してしまった。また誰かに見られてたら嫌だなあ、って瞬間的に思ったから。


「今日さ、立ち寄りが長引いて、ちょっと前に戻ってきたところなんだ」


 運転席に座って、エンジンをかけないまま高木さんが言った。


「急ぎの仕事は全部片付いてたから、早めに帰ろうと思ってよかった」


 私はその頃にはだいぶ泣き止んでて、少ししゃくり上げる程度には落ち着いてた。

 泣いてる間中、高木さんは私を抱きしめてくれていた。暖かくて、おかげで落ち着くことができました。


「で、何があったの?」


 やっぱり、聞くよね。

 私は首を横に振った。


「何でもないです。ホントに」

「あんなに泣いてたのに?モモちゃん、隠すの下手だよね」


 だって、言えないでしょ。

 貴方のことを好きな女の子達に囲まれて、難癖付けられた、なんて。

 私がただただ黙っていると、ちょっと高木さんが困ったような顔をした。


「誰かに何か言われた?」

「…!」


 そう言われて、うわっと更衣室でのことが頭の中に浮かび上がってしまった。

 ダメだ、泣いちゃ。

 一生懸命我慢したけど、目には涙が浮かんでしまった。

 すると、高木さんはふう、とひとつ息を吐いて、ポツリと言った。


「ホントは知ってるんだ。聞いちゃったんだよ」

「…え」


 さっきの更衣室での会話を?

 やっと顔を上げて高木さんと目を合わせると、高木さんはハンドルに寄りかかるようにしてこちらを向き、私の目をまっすぐに見ていた。

 私はついに口を開いた。


「…慣れてるつもりだったんです。地味、とかちまっこい、とか、鈍くさいとか。でも、あんなふうに囲まれて全員から言われると、さすがにちょっとキツかったっていうか…子供みたいですよね?こんなことで泣くなんて」


 高木さんが眉をひそめたのが目に入った。


「あの人たち、誤解してるんです。だって、高木さんは誰にでも優しいから、私みたいなのにも親切にしてくれただけなのに」

「モモちゃん」

「だから、あんまり構わないでいいですよ。高木さんのこと好きな女の子達に悪いから。それも、私みたいな冴えない娘じゃあね」

「モモちゃん、待って」

「知ってます?なんで私がモモって呼ばれてるか。本名じゃないんです。…私、自転車通勤してるでしょ?雨の日に、レインポンチョ着て来たのを見られて、まるでモモンガみたいだって。私、チビだし、レインポンチョ広げたらまさにそんな感じだったんでしょうね。それで、いつの間にかモモちゃん、って呼ばれるようになったんです。社内のほとんどの人は、私の本名、藤田モモとかモモコとかだと思ってるみたいですよね」

「……」

「チビで、お子ちゃまみたいで、とりたててかわいいわけでもなくて、おまけにあだ名はモモンガ。ほら、高木さんとなんて噂になっただけで悪いみたい」

「南美!」


 え?

 一瞬で固まってしまった。

 高木さん、今、何て?


「南美。言えよ。誰だよ、そんな真似したの」

「たか…ぎ、さん?」


 高木さんの腕が伸びてきて、助手席に座っている私の頭を抱きかかえるように引き寄せた。さっき、散々お世話になった広い胸がまた頬に押し付けられる。さっきは泣いて真っ赤になった目元が、今度は違う理由で紅くなってるのがわかる。


「高木さん…あの…名前」

「なに?南美って呼ばれるの、嫌か?」

「嫌じゃない…けど、知ってたんですね、私の名前」

「そこ?」


 抱きしめられた頭の上からくすりと苦笑が聞こえる。だって、最初から「モモちゃん」って呼んでたよね、高木さん?


「当たり前だろ、知ってるよ、好きな娘の名前くらい」

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