第三十話
年が明けて早々の週末。
「星を見に行こうよ」と真樹人さんに誘われて車で連れてこられたのは、美代子さんのあの軽井沢の別荘だ。スキー場もある雪国の町だけど、幸いというか、ここ数日は雪が降らなかったみたいで車道は雪もなく一安心だ。今日も幸い雲ひとつない晴天、夜の星空に期待できる。
「薔薇、無事だ! 良かったぁ」
到着した別荘で、私がまずしたのは冬囲いをやった薔薇の状態を見ること。相当積もっているけど茎が折れたりしていないようでほっと胸をなでおろした。
美代子さんの別荘の庭は斜面になっていて、斜面下の道路から斜面の上の別荘までつづら折りに繋がる階段を取り囲むように花壇が作ってある。階段を上がりきったところにあるおうちはログハウスのような建物で、私は最初見たときからキュンキュン来てしまってる。美代子さんからも真樹人さんからも春になると斜面一面に花が一斉に咲いて、別荘の大きな窓からそれが見おろせて素敵だよ、と聞いていたのでいつか見てみたいな、と思ってる。
それにしても、こんなに一杯雪が積もっても、春にはまた芽吹くんだね。そっと手で雪を掘ってみても黒い土も緑の葉も見えるところまでは辿りつけないのに、地面の下ではゆっくりと眠る草花がいるんだなと思うと、雪国の人たちが春を心待ちにしている気持ちがちょっとだけわかる気がする。
「南美!」
庭を見ていたら、一足先に別荘の中へ入っていた真樹人さんの呼ぶ声がした。見上げると階段を上がりきったところに彼が立っている。
「寒いからそろそろ中に入っておいで」
「はーい」
返事をしてざくざくと階段を上がり、真樹人さんのもとへ急いだ。
別荘の中に入ると、暖房をつけてくれていたらしく室内はほんのりと温かい。でもまだコートは脱げないかな。
「真樹人さん、熱いお茶でも飲む?」
「うん、お願いしようかな」
言いながらソファーに掛けてあった大きなシーツをはずしたり、窓のシャッターを開けたりしてる。私は勝手がわからないので、とりあえずお茶を淹れてテーブルを拭くことにした。
なんか、いいな。それぞれの出来ることを自然にやって(もちろん後で真樹人さんのこと手伝うよ!)、一緒にお茶飲んで。そんな普通さが馴染むような空気。
なんか、新婚さんみたいじゃない?
「うひゃー!」
「なに? どうかした?」
「あっ、いえなんでもないですスミマセン」
やばい、つい口に出ちゃった。ああもう私ってば何てこと考えてるんだか!
顔のほてりを紅茶の湯気のせいにして、カップボードにあった青い花がらのマグカップにお茶を淹れた。
夕食は別荘から街まで出て、真樹人さんお勧めの洋食屋さんへ。真樹人さんがお店までの行き帰りの運転があるから、お酒は別荘に戻ってからだね。
真樹人さんはチキンのカツレツ、私はかにクリームコロッケをつつきながら、どちらともなくあの事件の話になった。
あの、社長を交えての話し合いの後、曽根さん・室戸さんは会社をやめてしまった。
二人とも実際は他社に情報を売るつもりはなかったようだけど、やはりよくないことをしたわけだから。上層部で相当もめたみたいだけど、解雇で決まったらしい。もっとも二人とも、すべてばれてしまった段階で会社にしがみついている気はなかったらしい。万が一解雇にならなかったとしても、プライドの高いふたりが周囲の視線に晒されながら耐えている図は確かに想像できないと思った。
「ねえ、真樹人さん。曽根さんたち、どうしてるのかな」
「なに、突然。気になる?」
「うん----まあ」
とくに曽根さんだ。彼女があんな真似をした根底には、父親である社長に対する渇望があると思ったから、あのあと社長とちょっとでも話す機会はあったのかなあ……と気になってしまう。曽根さんにはひどいことされたけど、なんだか奥底まで憎めない気がしてるんだ。もう関わり合いにはなりたくないけど。
我ながらお人好しだなあって思うよ。
「詳しくは知らないけど曽根さんは外国に行ったらしいよ。室戸さんは辞めてから全然わからないんだ。住んでたところも引っ越したらしくて」
「そうなんだ」
付け合わせのブロッコリーをぱくっと頬張って、そのままちょっとだけ二人で黙り込んだ。
「――――外国かぁ、真樹人さんはどこに行ったことがある?」
私が唐突に聞くと真樹人さんは苦笑しながら答えた。
「イギリスは何回か行ったよ。あと、スペインと」
「えー、いいなあ。私、ヨーロッパはまだ行ったことないや」
あからさまに話題を変えたのがわかったかな。ちょっと重かった空気はもう消えていた。真樹人さんも食事を再開してる。
「そっか、じゃあそのうち案内するよ、ロンドン」
「うん、嬉しいな」
そのまま穏やかな会話が続いて、夜は更けていった。
別荘に着くと、私は真樹人さんに言われるまま、庭の斜面に向かうリビングの大きな窓の前に座った。窓の外はテラスになっていて、そこに出られるような大きな窓だ。
その窓の前に真っ白くてムクムクなムートンが敷いてあって、私はその上にぺたんと座っている。真樹人さん、寒いから毛布持ってくるって言って、奥でガタガタやってる。
私は外に目をやった。
外は真っ暗だから、見えるのは窓ガラスに映った自分だ。メガネかけて目が大きくて、ちまっとしてて。うん、森によく似合うモモンガだ。否定できない。
でも、そんなことで悩むのはやめよう。
今までずっと、いろんなこと真樹人さんにおんぶに抱っこでこのままじゃいけないなって思ってた。彼の隣にいて遜色ないような容姿もしてないし、甘ったれだし。
なのに、真樹人さんはこんな私をあんなに一生懸命守ろうとしてくれた。
なら、私は今のままで真樹人さんが幸せでいられるように頑張ればいいんじゃないかな。無理に背伸びせず、無理に変わろうとしないで。
と思ってたら、急に部屋がパッと暗くなった。真樹人さんが電気を消したんだ。
「お待たせ。毛布持ってきたよ」
真っ暗だけど、穏やかな真樹人さんの声を聞くと安心できる。
「あ、ありが……」
お礼を言おうとして、ピタリと固まってしまう。
「ま、真樹人さん?」
「この方が暖かいだろ?」
ええと、今の状況を説明すると、背中に毛布を被った真樹人さんがですね、私の背中に覆いかぶさるように抱きついてですね。私は真樹人さんの足の間に座って、毛布で包み込まれて抱きしめられてて。
じんわりと甘い幸せな気持ちが胸の奥に広がっていく。
「南美、見て」
耳元で囁く真樹人さんの声にドキッとする。言われた通り窓の外を見ると。
「うわあ……!」
そこは一面の、星。
斜面の向こうは林になってるけど、ここの方が高い位置にあるらしく、林の上に雄大な星空が広がっていた。
どれが普段見ている星座なのか紛れてわからないくらいの無数の星、中空にぼんやりと白く霞んで見える天の川。
「すごい。綺麗!ねえ、真樹人さん、すごいね!」
驚きと感動で言葉が選べませんすみません。でも本当に、それぐらい感動してるの! わかってもらえるかなあ?
「よかった、喜んでもらえて」
「もちろんだよ! ね、見て、星が零れ落ちてきそう! ちっちゃい子がお星様取って欲しがる気持ちがわかっちゃうかも」
興奮してそう言ってから、しまった、お子ちゃまって言われるかな、と思ったら、真樹人さんが私の頭にキスしてから言った。
「1つ取ってあげようか」
「え?」
「見てて。ほら」
毛布の中から真樹人さんが右腕を出し、夜空の星に向かって伸ばす。そのまま、きゅっと何かを掴むような仕草をした。
「取れた。ほら、手を出して」
言われるまま私も毛布から手を出すと、真樹人さんが握った手を私の手に重ねてからそっと開いた。とたんに何かがころんと私の手のひらに落ちる。
「真樹人さん……これ」
「南美。受け取ってくれる?」
手のひらに落ちてきたのは――――小さな石のついた、星よりも輝く指輪。
さっきよりびっくりして思わず後ろの真樹人さんを見上げると、そこにあるのはとっても優しい笑顔。それがゆっくりと近づいてきて、言葉を忘れてしまったように何も言えずにいる私の唇をそっと塞ぐ。
「結婚しよう」
言いながら、私の額に頬にくすぐったいキスを繰り返す。私はただされるまま、真樹人さんの腕の中で呆然としていて---やがてゆるゆると思考が追いついてきた。
「あ……今、なんて?」
「結婚しよう」
そのまま少し身体をななめにずらして抱きしめられた。
結婚? 結婚、って言った?
彼の顔をじっと見つめる。優しい瞳、真剣な表情。それにちょびっとだけ不安そうな色を帯びてる。
私はそっと手を開いて、彼の取ってくれた星――――指輪を見た。
私なんかが貰っていいんだろうか。
一瞬そう思ったけど、やめた。さっき決めたばっかりじゃない。私は掌の上の指輪をきゅっと握りしめた。
「いいの? 本当に私でいいの?」
「当たり前。南美以外、欲しくない」
自然に顔が綻んで、勝手に笑顔になっていくのがわかる。
「うん。私も真樹人さんがいい。真樹人さんじゃなきゃ、やだ」
この上なく幸せそうな真樹人さんの笑顔に、私の心も甘い熱に占められていく。
そのまま自然に唇が重なり、あたりは星の輝く音が聞こえるんじゃないかってくらいに静かになる。
今度二人で優たちに会いに行こうね。
左手に星のような指輪をして。
長らくありがとうございます!
無事完結出来てホッとしております。たくさんのお気に入り、感想をありがとうございました。とても励みになりました。




