第二十四話
かちんこちん。
私の体の節々から、そんな音が聞こえてきそう。いえ、聞こえているかもしれません。
私の隣でソファーに座ってる真樹人さんが苦笑してるもん。
「そんな緊張しなくても」
「む、り、で、すぅ~」
ほぼ棒読みで言いながらふと視線を動かすと目に入ってくるのは、品の良いリビングルーム。
玄関からなかなかの豪華っぷりだったけど、通されたこのリビングルームも相当にゴージャスだ。ドアなんか、分厚い1枚ガラスにアール・デコ風の花のレリーフが彫ってあったりする。
ええと、要するに、インテリアコーディネーターが手を入れた?っていうような美しい部屋なのだ。つまり、あからさまに上流階級のお宅、それも相当の。
「まあその気持ちもわかるけどな」
そう言いながら膝で握りしめている私の手を包むようにぽんぽん、と優しく撫でてくれた。
「じゃ、帰りに飯食いにいこう。なんでも好きなもの奢るから」
「緊張で今ちょっと食欲が……」
「じゃ、ケーキなんかどう?それとも……」
「なんでそんなに食べさせたいの?太っちゃうよ」
「だってさ、南美、すごく美味しそうに食べるからな。見てるだけで……」
「見てるだけで?」
「うん、口一杯にモグモグしてるところなんか、モモンガっていうよりリスっぽいかな」
「ひどっ!」
「かわいいって言ってるんだよ」
むうっとした顔をしたら、真樹人さんがぶっと吹き出した。挙句、笑いを噛み殺しきれずに声を上げて笑い始めてしまった。
ますます、ひどっ!
それとほぼ同時に、ガラスのドアが開いた。
ドアから入ってきたのは、綺麗な女性。真っ白い髪をきっちりと結い上げ、、肌には年齢を重ねてきた名残はあるものの、なぜか若々しく感じられる。
そして、車椅子に乗っていた。
私たちはそろってソファーから立ち上がった。
「あらいいのよ、楽になさって。ほら、私も座ったまま失礼するわけだから」
そう言ってころころと笑うその女性は、「真樹くん、紹介してちょうだい」と真樹人さんを促した。
「美代子伯母さん、こちらは藤田南美さん。以前お話しした、俺の大切な人です。南美、彼女が美代子伯母さんだ」
私は「初めまして」と勢いよく頭を下げた。
メイドさんの(初めて見た!)淹れてくれた美味しい紅茶をいただきながら和やかに会話をする。もっとも、緊張ビシビシな私はひたすら聞かれたことに返事をしてるような状態。ああ情けない。
「そうそう、軽井沢の庭だけどね」
美代子さん(そう呼んでくれなきゃ拗ねちゃう、とご本人が仰るので……なんか、かわいい)がふと思い出したように顔を上げた。
「別荘の管理を任せてる田中さんがね、大層しっかりと冬囲いができてたって褒めてたわよ」
「そ、そんな恐れ多いです」
へえ、別荘番の人がいたんだ。会わなかったなあ。
「薔薇の手入れは自分のものでやってるんですけど、寒冷地のお手入れは初めてだったので、失敗してないか気が気じゃなくって」
「あら、田中さんが言うんだから大丈夫よ。お任せしてよかったわ」
それで気がついた。
その田中さんっていう別荘番の人、ひょっとして園芸に詳しいんじゃないかな?そうじゃなきゃ「田中さんのお墨付き」で安心できる材料にはならない。そして、田中さんが園芸に詳しいなら、本来なら私の手助けは必要なかったわけで。
なのに、わざわざ顔も知らない私に世話をさせてくれたということは。
……ひょっとして、真樹人さんと私の時間を作るのが目的?
まさかね。
「あら?ミルクが切れちゃったわ」
突然、美代子さんが言い出した。
「真樹くん、悪いけどキッチンで貰ってきてくれる?貴美ちゃんがいるはずだから」
貴美ちゃん、は多分お茶をいれてくれたメイドさんだ。
「はい、わかりました」
「あ、真樹人さん、私が」
「いいからいいから。南美はキッチンの場所
わからないだろ?」
真樹人さんはそういうとさっさと出ていってしまった。
真樹人さんが出ていってすぐ、美代子さんが「南美ちゃん」と声をかけてきた。
「南美ちゃん、ありがとう」
「え?」
ありがとう? 何が?
特にお礼を言われるようなことはしてないと思うんだけど。首を少しだけかしげると、美代子さんが微笑んだ。
「真樹くんはね、昔っからとってもいいこでね。聞き分けのいい、手のかからない子だったわ」
言いながら美代子さんはご自分で車椅子を動かして、飾り棚の上に立ててある大きな本を持ってきた。あ、本じゃないや。これは……アルバム?
どうぞ、と促されるままに開くと、古い写真が綺麗に貼ってある。若い夫婦と、小さな男の子が写った写真をみて、その子のなんとも癒やされる笑顔と、お父さんらしき男の人を交互に見比べた。
「これって・・・・・・」
「ええ、真樹くんと真樹くんのお父さん。私の弟ね」
「かっ・・・・・・かわいいっ」
癒やし系。そう、癒やし系な笑顔!今の真樹人さんの面影も垣間見える。そして、お父さんだという人は、髪型は違うけど真樹人さんにそっくりだ。
「真彦・・・・・・弟は、真樹くんが中学校に上がる直前に事故で亡くなったの。真樹くんは、それ以来お母さんの冴子さんと二人暮らしなのよ。父親が亡くなった、っていうことは?」
「はい、ちらっと聞きましたけど、詳しいことは聞いてません」
まだつきあい始める前だったか、雑談っぽく「親父は小さい頃に亡くなったから」なんて言ってたのを思い出す。
「夜、接待で遅くなったんですって。家まであとちょっと、っていうところで、車にね。住宅街のただ中なのに、かなりなスピードを出してたらしくてねえ・・・・・・
それで、真樹くんは冴子さんと二人で暮らし始めたのよ。そしたら、元からちょっと大人びた子だとは思ってたけど、冴子さんが苦労してるのがわかったんでしょうね、本当にわがままも言わず、いい子で育ってきたのよ。
けど、そのせいか人にもものにも執着が薄くてね。あっさりしすぎてるって言うのかしら」
ふう、と美代子さんが遠い目をした。
「きっと、周りに遠慮するのが染みついちゃってたのね。・・・・・・だから、真樹くんがあなたにこれだけご執心なのがうれしいのよ。よっぽど南美ちゃんが大事なのね。」
「そ、そ、そんな、ええと」
「これからも仲良くしてくれると嬉しいわ。真樹くんだけじゃなくて、私ともね」
「は、はいっ!」
にこにこ笑っている美代子さんの言葉に、なんかじぃんと目頭が熱くなる。どうしよう、なんかすごく嬉しいかも。
もう一度手元のアルバムに目を落とすと、牧場でちっちゃな真樹人さんが遠くを見ているような写真があった。空の鳥を見てるんだろうか。そよぐ木の枝を見てるんだろうか。この時の真樹人さんは笑っていなかった。少しだけ眉毛が八の字によって、機嫌が悪いのか、あるいは寂しいのか。そんな表情。
もし隣にいたなら、抱きしめてあげたい。ずっと一緒にいるよ、大丈夫だよっていってあげたい。
と、突然膝の上からアルバムが強奪された。
「伯母さん、なに見せてるんですか!」
いつの間にか戻ってきていた真樹人さんに取り上げられたんだ、と気がついて見ると、真樹人さんが不機嫌そうにアルバムを閉じるところだった。
「あら、いいじゃない。真樹くん可愛かったわよね、南美ちゃん」
「あ、はい」
「やめてくださいよ、黒歴史だっていっぱい入ってるのに」
「恥ずかしがることないわよ~、誰だって好きな人のことは何でも知りたいわよ」
二人はしばらくやりあっていたが、私はただ見ているしかなかった。
でもそれは心配になるようなハラハラしたものではなくて、真樹人さんと美代子さん、二人の暖かなつながりが見えるもの。心の奥がほっこりするようなやりとりだった。




