第二十二話
生ハムおいしかった。
アヒージョもおいしかった。
パエリヤもおいしかった。
食べ過ぎた。
「うう~・・・・・・食べ過ぎました」
「いい食べっぷりでしたね」
う、嫌みですか?!
「あ、いや、見ていて気持ちがいいですよ。嬉しそうに食べてもらえてこっちも誘った甲斐がありました」
結局、自分が誘ったからとバルの料金は室戸さんが支払ってくれた。おごってもらう言われもないので、必死に割り勘を主張したけど、スマートかつ強引に押し切られてしまった。
こういうの、紳士って言うんだろうなあ。
「ごちそうさまでした。申し訳ありません、結局奢っていただくことに」
「いいえ、楽しかったですから、僕としては支払った以上のものをもらってますよ」
「でも」
さらに反論を試みるも、失敗に終わる。
すっと室戸さんの手が伸びてきて、人差し指の先で私の鼻の頭にちょん、と触れたのだ。
な、な、なんですかそれ!
「いいって言ってるんだから、女の子は素直に受け取りなさい。それでもまだそう言うなら・・・・・・」
え?なんか近いですよ、室戸さん?
ま、ま、待ってください!私の手を取らないで!
室戸さんのちょっと節っぽい大きな手が私の手を取って、すうっと上へ持ち上げる。思わずそこに視線を合わせて見上げると、室戸さんがふっと微笑んで・・・・・・
「これで帳消しにしましょう」
私の指にキスしたあああああああっ!!!
「やっ!!!」
パニクって手を引こうとするけれど、室戸さんが少し強めに握っていて離せない。
「君が気に入りました。僕のものになりませんか?」
「え、ええ?」
「お付き合いしてる人はいないんですよね」
ぎく。
最初の聞き取りの時に首を横に振った、あれだよね?
あの時は、「恋人はいない」と否定するわけにも「いる」と肯定するわけにもいかなくて、黙って首を横に振ったんだ。わたし的には「言いたくない」ニュアンスだったし、どちらもとも取れる答え方をしたのは確かだけど。
「す、好きな人がいるって言いましたよね?」
「君を僕に振り向かせる自信はありますよ。君が僕を好きになってくれれば罪悪感なんて抱く必要はない。だから」
手を握ったまま室戸さんが距離を縮めてくる。
待って待って待って!!
近いから、近いから、顔ーーーっ!
「安心して僕の腕の中に落ちて来なさい」
「やっ!やだっ!!」
ぐっと背中に腕が回って引き寄せられる。室戸さんの胸を必死に押して何とか逃れようとするけど、びくともしない。
「離して!やだあっ!」
怖い!真樹人さんとお付き合いするようになって男性恐怖症?みたいなのは治ったかと思ってたけど、やっぱり嫌だ!
真樹人さんじゃないもん。他の人に触られるなんて、ましてや抱きしめられるなんて気持ち悪い!
暴れていたら、体と体の間にはさまれていた右腕がすぽっと抜けた。
そのまま、近づいてくる室戸さんの顔に手を振り下ろした。
がりっ!
「つっ!」
爪で引っ掻いてしまったんだろう。室戸さんの頬に赤い筋が見える。
瞬間、腕の力が緩んだので慌てて走り出した。
「あ、藤田さん!」
呼び止める声がしたけど、構わず走って逃げる。大通りに出てすぐにタクシーを止めて、家までの道を告げた。
マンションの前でタクシーを降りた。2、3度振り返ってあたりを伺うけど、もちろん室戸さんが追いかけてきている気配はない。
ホッとしたら、何だかどっと疲れが押し寄せてきた。
「……寒い」
吐く息が白い。もう、早く部屋に帰ってお風呂に入ろう。それで、体をピッカピカにして、ゆっくり寝よう。
はあ。明日が土曜でよかった。も、この週末は引きこもってようかなあ。どっかで室戸さんにばったり会いそうで、怖い。
ぴりりりり。
その時、スマホが着信を知らせてきた。一瞬、室戸さんかと思ってびくっとしたけど、おそるおそる見たスマホの表示は。
「真樹人さん……」
真樹人さんからだ。
この電話を取れば、真樹人さんの声が聞ける。それは、今この瞬間、私が1番欲しているもので、なのにしてはいけないこと。
ダメだよ、電話を取っちゃ。
わかってるのに、勝手に指が通話ボタンを押してしまった。
耳にスマホを当てると、すぐに声が聞こえてきた。
《南美?》
真樹人さんだ。真樹人さんの声だ。
なのに、私は声を出せなかった。
《南美?》
「……」
《南美?声、聞かせて?》
「……さん」
《南美?》
「真樹人、さん」
《うん》
「真樹人さん……私」
《麻生さんから聞いたよ。南美の考えてること》
「!」
《でも、ちゃんと南美の口から聞きたい》
「私、だって私」
《南美》
「南美」
私を呼ぶ声が重なった。耳元のスマホと、私の後ろと。
恐る恐る振り返ると。
スマホを片手に私をじっと見つめる、真樹人さんがいた。
「真樹人、さん?」
「南美!」
真樹人さんが、駆け寄ってくる。
ああ、もうダメだ。あんなに決心したのに!
しばらく会わないって、頑張ったのに!
こんなに簡単に崩れちゃって情けない。情けないけど、真樹人さんがこのタイミングでこんな近くにいて。
決心なんてあっという間に崩れ落ちちゃうよ!
「みな、」
「真樹人さんっ!!」
思いっきり真樹人さんの腕の中に飛び込んだ。ぎゅうっとしがみついて、広い胸に顔を押し付ける。真樹人さんも、ぎゅっと抱きしめてくれる。
だめ、やっぱり離れられない。
こんなにも私には真樹人さんが必要なんだ。
「真樹人さん、真樹人さん」
「南美、会いたかった」
「私も」
そっと頬に手を添えられて上を向かされた。ごく自然に目を閉じると、真樹人さんの匂いがして、唇を塞がれた。
きゅっと真樹人さんのスーツを握り締めると、更にきつく抱きしめられてキスが深くなる。口の中を蹂躙されるような、捕食されるような貪欲なキスに、足から腰から力が抜けていく。
「ふ……はぁ」
「南美、大丈夫?」
「大丈夫……かなあ」
「じゃ、もう一回」
「ん、ん」
どこまで私を追い詰めれば気が済むんだろう、この人は。
キスの合間に浅く呼吸をしながらそんなことを思う。もう、こんなに雁字搦めに好きになってるのに、こんなに甘く責め立てて。これ以上、どこまでこの人の中に落ちていけるんだろう。
そう思った時、ふとさっきの声を思い出した。
(安心して僕の腕の中に落ちて来なさい)
ぞっとした。
そしたら急に涙がこぼれた。
「南美?」
「あ、これは、ええと、その」
「何かあったのか?」
きかれて一瞬躊躇したけど、思い切って話すことにした。




