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第十四話

 はあ。気合い入れて資料室に来たのに、肩すかしだった。まあ、いいか。会わなくて済んでちょっとほっとした。

 今日は資料室にいたのは小柄なおじさんで、手早く目的の議事録を見つけ出すと貸し出し手続きをして私はそそくさとオフィスに戻った。




 折しもこの日は金曜日。高木さんとは翌日の土曜日にデートの約束をしていて、私は相当うかれていた。仕事も終わって帰り支度をして、うきうきしながら社員証をカードリーダーに通した。


(明日は何を着ていこうかなあ)


 昼間はともかく、夜は寒いよね。お気に入りのダウンは必須だ。あと、帽子もあったほうがいいかな。服は……うん、ムートンブーツ履いていこう。とすると、グレーのニットタイツと、それからそれから……


「あ、藤田さん!」


 会社を出たところで声をかけられた。

 げ。あれは、例の資料室の……


 あの男の人がいた。どこか感情の読み取れないにやにやした笑いを顔に貼り付けて、私に近づいてきた。

 うわ、何となく逃げたい。でも、会社の通用口の真ん前で、衆人環視のただ中。あからさまに避けるのもまずそうだし……


「あ…こ、こんばんは」


 一応挨拶だけはしとこう。これ、社会人の基本。


「ねえ、藤田さん、ひとり?俺たちこれから飲みに行くんだ。よかったら一緒に行かない?」


 言われて見ると、数人の男女がいてこちらを見ている。


「ほら、この間、今度のみに行こうって約束したじゃん。これから行こう」

「え、でも」

「ほらほら約束!……いいよな~、みんな!」


 台詞の後半は背後のグループに向けてのもの。彼を待っているらしい人たちは「いいよ~」とか「ちょうど人数足りなかったし」とか口々に言っている。そして、なんだかなし崩しにメンバーに入れられようとしている私。

 ちょっと待ってください、こっちの都合は??


「あ、あの、私今日は」

「別に予定があるわけじゃないんでしょ?晩飯だって、大勢でわいわい食べた方が楽しいじゃん。ほら、行くよ~」


 それは、気の置けない友人なんかとだったら大勢でわいわい楽しいでしょうけど!誰一人知ってる人がいないところに放り込まれても気詰まりなだけじゃないですかああああああ!だいたい、約束って、そっちが勝手に言ってただけで私はOKしてないし!それに、それに……


 などと反論するまもなく、ずるずるとひっぱって行かれてしまったのでした……







 連れて行かれたのは、カラオケボックスでした。

 設備も綺麗で、パーティーをするような設備で、フードやドリンクもそろっているようなところ。

 カラオケも嫌いじゃないから、普段なら楽しめるんだろうけど…なにしろ初対面の人ばっかりで。

 な~ん~で、私は連れてこられたんでしょうか!!ほら、他の人だって気を遣っちゃって……


 あれ?ないか。みなさん、私には全く注意を払わずに歓談したり歌ったりしていらっしゃる。これはこれでなんとなくいたたまれないけど、ここにいたくない私には実は好都合かも。


 よし、一杯飲んだら帰らせてもらおう。


 そう思って、限りなく薄いカクテルを飲んで。そうだ、帰る前にお手洗いだけ行っとこう。

 本当は今日は帰ってから優に電話する予定だった。あんまり遅いのも悪いから早く電話かけたかったのに。しょうがないから、トイレ行くついでに優にメールを打った。



 トイレから戻ってすぐに「あのっ、」とメンバーに声をかけた。


「すみません、明日の予定があるので今日はもう失礼します」


 そういって頭を下げると、「え~!」と声が上がった。


「なんだ、じゃあ俺が送っていくよ~」


 へらへらっと笑いながら有…そうだ、有村さんだ。有村さんが立ち上がり、私の方へ歩いてきた。


「いえっ、大丈夫ですから」

「ほら、俺が誘ったんだし。いいからいいから」


 いいから、じゃなくて、ご遠慮したいんですけど!!


 またしても無理矢理拉致られるような格好で部屋から連れ出された。私たちの出て行く後から「がんばれよ~」「報告待ってるぞ~」なんて声が聞こえたけど、何のこと??いや、それどころじゃないよ!!


「あ、有村さん!本当に私ひとりで帰りますから!」


 そういって握られた手を必死に引き抜こうとした。なんか、手が生暖かくて気持ち悪い。


「人の好意は素直に受け取っておくもんだよ、モモちゃん」


 にやにや笑う有村さんはそういうけど、好意どころか、ちょっと…ううん、ずいぶん嫌なんですけど!


「とにかく!お気持ちだけで充分ですから!」

「つれないこと言うなあ。せっかくあいつらにも協力してもらったのに」

「へ?」

「だからさ、モモちゃん連れ出すのに俺と1対1だと引かれちゃうからあいつらにつきあってもらってたわけ。大人数だったから、なんだかんだ言ってモモちゃん来たじゃん」

「……!」


 ふ、不覚!


 と、気を取られた隙にとん、と体を押されて、ビルの壁に押しつけられた。おまけに、頭の両脇に有村さんが両手をついてる。

 か、壁ドンってやつですか?!

 距離の近さにぞっとして寒気が走る。


「モモちゃん、前からいいなって思ってたんだよ」


 前からって、こないだ初めてあったばかりでしょ!


「資料室に異動する前は、同じフロアにいたんだよ?知らなかった?」

「そ、そんなこと言われたって」

「最近、営業の高木さんと仲がいいんだって?どう?どこまでいったの?」


言われた意味が一瞬わからず呆然とした。でも、わかったとたんにかあっと頭に血が上った。


「あ、有村さんに話す必要ありません!」


そもそも、つきあってないしね!

すると、有村さんはげらげらと声を立てて笑い出した。


「そんなふうに赤くなるって事は、ぜんぜんキヨラカなのか最後までいっちゃったかどっちかだよな。どっち?」

「失礼ね!放してください!」

「高木なんてやめとけよ。女に不自由してない感じじゃん。モモちゃんみたいな初心な子は、つまみ食いされてハイさようなら~、ってことになるぜ」


何言ってんだろ、この人。

本気で腹が立つ!


「た、高木さんのこと悪く言わないで!高木さんはそんな人じゃないもん!」

「わかんないよ~、転職してきてから何人とつきあってきたんだろうねえ?」

「違う!有村さんとは違うもん!」


おもいっきりにらみつけてやる!


「ひどい言われようだな。俺、傷ついちゃうよ」


何言ってるんですか、ずっとにやにや笑いっぱなしじゃないですか!そもそも、人を貶めるような言い方するなんて、ひどいです!そんな方法でしか女の人に振り向いてもらえないわけ?!

でも、私がにらみつけたところで有村さんにはなんの効果もなく、おまけに、こんなことを言い出した。


「傷ついちゃったからさ、ちょっとお詫びしてもらおうかな」


 有村さんのにやにや顔が不意に黒い雰囲気に変わる。


「や……」


 ずいっと有村さんが距離を縮めてきて、私は体を硬直させてぎゅっと目をつぶった。







 と。


 急にぎゅっと閉じた瞼の向こうが明るくなった。


「な、何だよおまえ!」


 焦るような有村さんの声がして目を開けると。

 有村さんの首根っこを引っ張るように襟を握って、スーツ姿の男性がにらみをきかせていた。目の前が急に明るくなったのは、覆い被さってきていた有村さんをその人が私の前からどけたからだと気がついた。


「はい、そこまで」

「は、離せよ!」

「よう南美ちゃん。大丈夫か?」


 そういってその人は有村さんをぽいっと投げ捨てた。


「麻生さん?!」


 そう、そこにいたのは麻生さん。優の婚約者だ。私も以前からの顔見知り。

 麻生さんはさわやかににかっと笑うと、放り投げられて尻餅をついたままの有村さんを一瞥した。


「それとも、邪魔しちゃった?」

「そんなことないで……」

「邪魔だよ!邪魔、邪魔!!」


 有村さんががばっと起き上がって麻生さんに喰ってかかった。


「俺が口説いてんだから、邪魔すんなよこの野郎!!」

「ありゃ口説くっていうんじゃねえよ。襲うっていうんだよ。辞書ひけ辞書」


 麻生さんの言葉に有村さんの顔がみるみる怒りで赤くなっていく。

 あ、やめたほうが……


「五月蠅ええええ!」


 殴りかかる有村さんを麻生さんはひょいっと体を傾けてよける。何発殴りかかってもひょいひょいかわされて、有村さんの顔は赤からどす黒いような色になってく。でも、最後は勢いづいて体ごと殴りかかってきたところをちょいっと麻生さんに足を引っかけられて、盛大に転んで横の植え込みに突っ込んでしまった。

 だから、やめたほうがよかったのに。麻生さん、空手の黒帯で、教える方の人だよ?


「……ちっ、やめたやめた。割に合わないぜ」


 めちゃくちゃ悔しそうな顔した有村さんがなんとか立ち上がって虚勢を張る。


「そんなちんちくりん、そもそも乗り気じゃなかったしな!」


 有村さんは吐き捨てるように怒鳴ると、踵を返して立ち去ってしまった。


 え?今、なにか変なこと言わなかった?

最後に出てきた麻生一平くんは、優と同様『Hermit』の登場人物です。

結局出てきちゃった……でも今回ちょい役です。

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