恋の苦しみ
「お見事でした、ジュリエッタ様。…正直悔しいですわ」
「視界があまり良くないでしょうに、どうしてあんなに素晴らしい動きが…あ、失礼を…」
悪気はなかったのだろうそう言った年上の騎士見習いの令嬢に私は微笑んで返した。
「構いませんわ。外した方が早く動けるのはそうなのですが…慣れていますから。それに、見た目ほど視界が悪くはありませんのよ」
仮面を撫でてそう言うと、仕合をしてくれた令嬢たちはほっとした顔で雑談を続けてくれた。私は社交に積極的でなかったので、恐らく周りも様子を伺いつつ恐る恐る交流しに来ている。
学院内の訓練場。
騎士見習いの生徒が自由に使える場。貴族の三子以下の騎士志望の学生が多く利用している。
騎士志望でなくても使えるし、爵位を持つ予定の者が自分の騎士を見繕うことも出来る。
私はあまり使うつもりはなかったのだけれど…次期公爵の座が固くなったことで、護衛騎士志望を名乗り出て来る女生徒が案外多く出て来た。
同世代の腕の良い女性騎士を今から確保出来たら確かに良いのだが、私は私の顔に耐えるもしくは慣れる覚悟と根性があるくらいの人でないと難しい。
いや、最悪顔には耐えなくてもいいので腕の良い人がいいけれど……
志望者とは訓練場で一度会ってみて腕を見せてもらうことにした。出来れば仕合も。
私に勝てるくらいだったら今の時点では申し分ないのだが…今のところ全勝している。相手が気後れしているのかもしれない。
「…ュリ様―――!」
「!」
振り返ると、遠くからでもわかる赤い髪が見える。大きく手を振っている。
「まぁ、あれは…ジュリエッタ様の?」
「はい…何かあったのかしら…失礼、行って参ります…あ、先に解散なさってて構いません」
「ええ、ごゆっくり」
皆微笑ましいというように見送ってくれた。少し照れる。
「デウス様!」
「すみません、訓練中…御歓談のところを」
「いえ…何かお急ぎの用がおありなのでしょう?」
デウス様は走って来たようで少し息が上がっていた。
「…あの…はぁ、大変言い辛いのですが…」
彼は先程起きた災難を説明した。
子爵令息に、彼の恋人であった娼婦を奪い取ったと責められ、娼婦を返せと懇願され。
しかし、彼女は望んでいない、そっちの独りよがりだと(遠回しに)宣言して断った。
そして言っていなかったけれど、その元娼婦の歌手・マリアさんがその子爵令息から暴力を受け、逃げようとしていたということも話してくれた。
「…そんなことが…」
「その…申し訳ありません」
「デウス様が謝罪なさることとは思いませんわ。わたくしでも、まさか子爵令息が伯爵令息に対してそんな騒ぎを起こすとは思いませんわ…浅はか極まりない。それに…少々不自然ですし」
「不自然?」
「マリアさんを雇ってもう数カ月経つのでしょう?直情的にこんな騒ぎを起こすには、時間が経ちすぎているように思いますし…」
「…確かに。…そう言われると、何だか様子がおかしい気はしました」
「様子が…?」
「顔色が悪くて、フラフラしてて…目の焦点が合っていないというか…単純に緊張してたのかなと思ってたんですけど」
「………薬を使われていた可能性もあるかもしれません」
「!誰かが、リーマス殿に?何でそんな…」
「…デウス様の評判を落として、わたくしとの婚約をなかったことにしたい勢力がまだ動いているのかもしれません。少し前の、ルドヴィカ嬢との噂も広まるのが早かったようですし…」
「あぁ、妙に噂が広まるのが早いって…リリーナ…リーベルトの妹もそんなことを言ってました」
「王家の手の者と考えられていますけれど…正直、そこまでしてわたくしと王家を縁付かせたい理由もわからないのですが、…とりあえず、父に報告します」
恐らくお父様は何か掴んでいるけれど、私に話していないことがあると思う。第一王子の勢力強化の為に狙われている…、の他に、何か理由があるような気がしている。今は全くわからないけれど。
……あとデウス様への単純な私怨の可能性もある。
「はい。…沢山の人に見られていたので、明日以降何か言われるかもしれません…謝罪したのは、それが申し訳なくて」
デウス様はしゅんとして背を丸めた。彼は私の気持ちの為に急いで来てくれた。真っ先に言い訳しに来てくれたことが嬉しい。確かに、婚約者が娼婦を囲っているそうですよ…、と騒ぎを聞きかじった者が告げてくるかもしれない。悪意、もしくは親切心で。
大丈夫ですわ、それくらい――――――と言おうと思ったけれど。
女騎士に叱られた馬みたいにしおしおとして私を伺う顔に、少し悪戯心が湧いた。
「…わたくしは、大丈夫ですけれども…思う所が無い訳ではありませんわ」
「そうですよね~~…!」
ふてくされた風を装うと彼が目をぎゅっと瞑って反省している。可愛らしいと思ってしまう。
「だから…罰として…」
「罰?」
「よろしいですか?」
「私に出来ることなら!」
「…だ、…抱き締めて下さい」
彼はぽかんとした顔になる。恥ずかしい。
「—――えっ…ここで?」
少し離れた所にはまだ騎士見習いの令嬢たちや令息たちが残っている。抱き締め合ったりしたら注目を浴びるだろう。
「…お嫌ですか?婚約者同士ですし咎められはしませんわ」
男性にあからさまに接触するのは、貴族の子女としてあまり褒められた行為ではないけれど。それくらいで公爵令嬢に苦言を呈する者もいない。生真面目な教師に見られていたら軽く注意される可能性はあるくらい。
「まさか。というか、嬉しいだけなので…罰にはならないですが」
ぽかんとした顔のままそんなことを言う。すぐに「嬉しい」という言葉を出してくるのがずるい。嗚呼、好き。
私は少し思案した。
「…では…抱き締めている間は、息を止めていて下さい」
「えっなにゆえ!?」
「訓練後で、少々汗をかいていますので…」
「なるほど…?わ、わかりました」
彼は息を大きく吸い込んでから、素早く私を抱き締めた。腰に回った彼の手が私の体をやんわりと引き寄せる。もっと強くしてほしいくらいだったけど、優しい力なのは彼らしい。
きゃぁ…まぁっ! …等と少し離れた所の令嬢たちの浮かれた声がした。見られているのだろう。
私は耳飾りの注文の時以来の彼との密着に心臓を暴れさせながら酔いしれたが、そんなに長く息を止められないので彼は短い時間で離れてしまった。体温が名残惜しい。
「―――――――――はぁっ!―――…ハァ、あ~~もっと肺活量を鍛えておくんでした!」
頬を染めているように見えるけれど、夕日を浴びているからか、息を止めていたからかはわからない。律儀に私の言う通りにしてみせた彼が悔しそうに言うのがおかしくて可愛くて、笑った。
「…罰になりましたか?」
「はい……」
「ふふ、…早く、いつでもこう出来るように、なりたいです…」
前に手を伸ばすと、気付いた彼が手を握ってくれる。私より大きくて温かい男の子の手。手に触れることはもう何度もあるのに、まだ慣れない。親指で手の甲を撫でられると心地よい苦しみで胸が締め付けられてしまう。
彼は赤い顔でうらめしそうに言った。
「……同感です」
今、彼も私と同じ苦しみを感じていてくれればいい。
※※※
更衣室で訓練用の服から制服に着替えるので、彼とはその場でお別れした。
…またデウス様の周りがきな臭いとは由々しき事態だ。
学院内で魔法薬を使ったとしたらかなり危ない橋を渡っている。体や精神の自由を奪うような薬は基本的にその専門の治癒師しか使ってはならない。使う相手も犯罪者しか認められていない……。
揉み消せる自信のある高位貴族の仕業と思われる。
帰りの馬車の中で、季節柄暗くなるのが早くなった空を見ながら独り言が零れた。
「…それにしても心外だわ…娼婦を囲っているくらいで、わたくしがデウス様を手放す訳ないでしょうに…」
もし本当に彼が女を囲っていたとしても、私が拗ねてみせて甘える理由くらいにしかなりはしない。
デウス様を陥れたい連中――便宜上“敵”と称するが、敵はそれがわかっていないのだ。…私がもう何をされても許すくらい彼に骨抜きだということが知られていないのは良い事だけれど。知られていたら何だか恥ずかしいので…。
橙色の空が遠くで夜色に侵食されていた。
夜の暗闇に光る星を見る度に私は彼を思い出す。星の光を綺麗だと感じる人は多くとも、暗闇を綺麗だと思う人は稀有だろう。
見目の悪い私の黒い髪を気に入ってくれているデウス様は本当に稀有な人。
不届きな子爵令息のせいで、少々不穏な噂は流れるかもしれないけれど…別の話題で塗り潰してしまえばいい。
そろそろ、黒服パーティーの招待状が順次届く。
…“敵”が紛れ込む可能性は当然あるが―――――――彼に手出しはさせない。




