恐ろしいこと
「……デウス様?」
「……あ、すみません。また少し……考え事を」
どれくらいかわからないが、ボーっとしていた。考え事などしていなかった。
漠然とした不安というか憂鬱というか、よくわからないそんなもので満たされて何も考えていなかった。
あと十日ほどで学院が再開する。
中立派や元パシエンテ派が慌ててシレンツィオ派に申し込んできた大量の縁談のリスト。休み中にティーレ様がジュリ様と精査し、いくつかはまとまりそうだという。そのリストを共有するためにシレンツィオ城に招待されお邪魔した。
把握し終えて一息吐き、庭園の東屋でジュリ様と二人、お茶とお菓子を頂いている。
ジュリ様が目の前にいるのに何をしているのかと反省して目を伏せると、優しい声で呼ばれた。
「デウス様、きっと、心が追い付いていないのですわ。突然のことでしたもの……身内のことで動揺してしまうのは当然です。自身は何も悪くないのに、罪の意識が生まれてしまうのも……」
「違うんです、……違うんです」
ジュリ様は俺が母親を切り捨てたことを気に病んでいると感じて気遣ってくれている。
でもこれは、罪悪感ではない。少しずつ整理して感情の輪郭は見えてきた。
これは『恐怖』に近いと思う。
……実の母親を見殺しにした人間だと、ジュリ様や周囲の人間に密かに軽蔑されているのではないかという、怖れだ。
陛下の前で"幼子の自分を生かした皆が母親だ"と言ったが、あれは本音ではあるけど全てではない。
俺がアマリリスを助けないと迷わず決断できたのは、未だに俺にとっての親は前世の両親だからだ。ティーグ様は二人目の父親で、アンヘンやベル達、姉上やジークは新しい家族。
内面のそういう経緯があるからなんです、と説明するには前世を打ち明けないといけない。だから言い訳が出来ない。
でもその言い訳は、結局自分を擁護したいだけのものだ。人の死を、産みの母の命を軽く見ていることには違いがない。
いや、アマリリスは正当な罰を受けるだけなんだから俺は悪くない、悪くはないんだけども……――――――なんて、『自己正当化してるだけじゃん』『でも冷酷な人間だと思われたくない』『前世がどうとか言い出される方が怖いだろ相手は』……などの堂々巡りに陥っている。
ポーターとロージー、バドル、ラナドには打ち明けているけど(あとネレウス様とコンスタンツェ嬢には成り行きで知られているけど)、それとこれとはタイミングも打ち明ける理由も異なる。
最初にポーターに話したのは、有り体に言えば"お試し"みたいなものだった。
俺の行動をどう感じるかはっきり言ってくれる人が側にいたら助かると思ったから。加えて、そもそも彼には好かれてなかったから頭がおかしい奴だと距離を取られても特に傷付かないからだ。
……今くらい仲良くなった後だったら打ち明けなかったかもしれない。
楽師達に話したのは音楽活動を円滑にするため。彼らは優しい大人だし、急に妙な態度は取らないだろうという信頼があった。ドン引かれたとしても音楽を通じてまた仲良くやれる自信があった。
でも、ジュリ様は別だ。
多少変わり者だとは思われててもいいけど、決定的に頭がおかしいとは思われたくない。
だから前世のことを話すつもりは無かったし……話すのは怖い。
――――――――きっと俺は、ジュリ様に気持ち悪いと思われることが世界で一番恐ろしい。
「……私も、思うこと全部をお伝えすることはありませんから、お話ししたくないことはお聞きしません。でも……話したいけども理由があって話せない、もしくはどう伝えればいいかわかりかねる、という類のことでしたら……いつか、聞かせていただきたいです。貴方のことを何だって知りたいと、いつも思っていますから」
俺が何かを言わないでいることを察しつつ、気になっているだろうに急かすことはしない。
「……聞かない方がよかったとお思いになるかもしれません」
「そう思って気が沈んでいるようでしたら、機嫌を取ってくださいな。そうですね……ここだけの話、花を渡して一言褒めてくださればころっとご機嫌になりますわ。簡単です」
もし。
今は温かな響きで向けられるその声が冷たくなってしまったら。
……俺は悔やんでも悔やみきれない。
「俺は……貴方に嫌われるのが何より怖くて、それだけは耐えられないから……ずっと秘密にしていることが、あります……」
いつもが象だとすると蟻ぐらいの小さな声で、視線を紅茶に落としながらそう言った。
「……浮気、ですか?」
「ぅゎ……浮気ではないです」
「それなら……というか浮気だとしても、怒りはしますけど嫌いにまではなりませんよ?」
「あー……裏切りとか罪を犯したとかそういう話ではないんですが……胡散臭いというか、荒唐無稽な話というか……」
「予想がつかなくて気になりますわ……でも、嫌われるかもしれないと悩むほどの話ではあるのですね」
推理クイズの答えを探るように悩み始めてしまったジュリ様に少し気が抜ける。常識的な範囲では辿り着かない答えだ、中途半端な情報を与えて申し訳ない。
……これ、精神年齢的には年下の女の子にメンタルをヨシヨシしてもらっている状況じゃないか……?
そう考えると急に情けなくなってきたな。
「この秘密は……今までの俺を否定するものではないと、俺は思います。むしろこの秘密があるから今の俺があるし、この間も命拾いすることが出来ました」
「ハッ……竜使いの力をお持ちだとか……?」
「すみません、違います」
「違いましたか……」
その辺の本当の流れはジュリ様には話した。リェッシーは偶然居合わせてエナジードレインを食らっただけで俺が呼んだわけではないです。
「…………この秘密を知ったら、ジュリ様が俺を見る目は、変わってしまうかもしれません。騙されたと感じるかもしれません。それでも……花を渡し続けて、いいですか?」
愛を乞い続けていいか。
しつこい男と見捨てないでもらえるか。
「はい。万が一、その秘密を聞いて私がデウス様を嫌いになってしまったとしても、花は必ず受け取ると約束しますわ。……その時はもう一度、貴方を好きにさせてください」
「……頑張ります。一生、諦めないと約束します」
彼女は嬉しそうに笑ったが、俺は少し泣いてしまった。
一陣の風に乗った白い花弁がひらりと手元に着地し、滲んでテーブルクロスと同化した。
※※※
学院再開数日前、久しぶりにネレウス様との面会(ジークも一緒)が叶った。
「アマリリスは監獄送りに決まったぞ」
「へっ……? 死刑にならなかったんですか?」
「ああ」
クッキーを摘まみながらさらりとそう言ったネレウス様。ジークは俺と彼を見比べて少しあわあわしている。
パシエンテ公爵は毒杯。
コレリック侯爵は絞首刑。
ストライト・パシエンテ宰相は貴族籍剥奪からの監獄送りに決まった。
パシエンテ公爵夫人、宰相夫人、コレリック侯爵夫人は夫の罪に協力していたため北の修道院送り。それぞれの子供は(行方不明のメテオリートも含め)貴族籍を剥奪。
パシエンテ公爵家は分家の者が継いで継続するが、コレリック侯爵家はお取り潰しで領地と財産は王家に返還。
これらは公表されたので知ってるがその他の人間の裁きはまだ未公表。
ネレウス様の暗殺に加担した下っ端はおそらくサクサクと死刑になる。
「ロッソ男爵はアマリリスとの離縁を申し出て、取り調べでも関与はないと判明したため不問になった。曲がりなりにも夫人だったのだから監督不行き届きではあるが、元々アロガンテ公に押し付けられた縁談だと無関係を強く主張し、言い分が認められた。徹底的に関わらないようにしていたようだな。君にも関わる気が全くないようだし」
いやどんだけアマリリスのことが嫌いだったんだ。
俺が出世しても擦り寄る気が全く無いの、硬派に思えてきてちょっと好感を持ってしまうな……。好感持っても何にもならないが。
「ロッソ男爵はアロガンテ公爵家の影の血筋だ。だが何かしらの任務をしくじったせいでアマリリスを押し付けられた。おそらくアマリリスの態度とアロガンテ公の冷遇によって忠誠心はなくなったのだろう」
「そうだったんですか?!」
知らなかった。いやどんだけアレな態度だったんだ。
関わらないと決めて一貫したことが男爵家を守ることに繋がったのだから、賢い選択だったということになるのだろうか。
というか、影の血筋ってことは監視の役割も期待されてたんじゃないか? ……まあ、格下に注意されて言うこと聞くような性格じゃないか。見放したくもなるわな……。
「昔の罪も明らかになったんでしょう? 死刑になる流れだとばかり思ってましたが……」
「その予定だったがな。コンスタンツェが兄上と王妃殿下に言ったんだ。あの女は監獄の囚人に落とされる方が屈辱なんじゃないかと。そして僕にも訴えてきた。――――『陛下はそんなつもりではなかっただろうが、当たり前の裁きをするよう望むことが母親を見捨てたような形になるのはあんまりな仕打ちだ、アマデウス様がお可哀想だ』と」
「……お、おお」
「そこで、せっかく魔力の豊富な元高位貴族が罪人になったのだから、監獄で魔力をひたすら搾り取れば魔石も増えるし丁度いい罰になるのではないかと、僕が陛下に進言した」
「素直に魔石に魔力を入れますかね?」
「そこは刑吏の腕の見せ所だ」
エナジードレイン魔法陣のことはまだ秘密なので、疑問に思ったジークに適当な返事をするネレウス様。
魔力枯渇、俺みたいな魔力耐性強者は平気だけど常人はかなりキツいはず。
魔力を無理矢理搾り取られて吐き気とか眩暈に苛まれる体調不良が続く毎日(下手すりゃ死ぬ)……い、嫌だな~~~~~~!! 人によっては死ぬ方がマシと思うかも……。
やってきた所業を思えば自業自得と言えなくもないが、それはそれとして哀れにも思えてしまう……。
…………だが、正直、ホッとしてしまっている。
死なないんだあの人。
"俺が行動を起こせば死なずに済んだ人"ではなくなったんだ。
「……もしかして、ジュリ様から何か聞いたんでしょうか、コンスタンツェ嬢」
「さあな」
聞いてるなこれ。
コンスタンツェ嬢がわざわざアマリリスの命を救うために立ち回るメリットなんてない。俺を気の毒に思ったとしても王妃殿下を昔殺そうとまでした女を助けようとは思わないだろう。
おそらく、ジュリ様がコンスタンツェ嬢に手紙か何かでそうしてほしいと頼んだのだ。俺の気を楽にするために。
「……ありがとうございます。ネレウス様も」
「大したことじゃない。君にはペティロが世話になったしな」
ペティロ卿は大司祭の地位を降り、一年間の謹慎処分になった。
国外追放とか北の修道院に死ぬまで軟禁だとか色々予想されていたが、軽く済んだ方だ。
「ああ……ネレウス様はお会いできたんですよね、どんなご様子でした?」
「『死罪でも受け入れるつもりだったのですが、軽過ぎて逆に困惑しています』と苦笑いしていた。狙っていた三人を屠ることが出来たから満足はしているようだ」
三人って……メオリーネ嬢、コレリック侯、パシエンテ公……か? 狙ってたのか。
暫くは王都の貴族牢にいたそうだが、特に反省とかはしてなさそう。
「まあ……元気ならよかったです」
「『アマデウス様にはご迷惑をおかけしてしまったようで』と申し訳なさそうな顔もしていた」
「気にしなくていいですよって言っておいてください」
シルシオン嬢の助命のため、完全に俺の都合で彼の減罰を願う形になっただけだ。
しかし彼のおかげで早めにコレリック家から下男下女を助けられたのだし、厳しい罰にならなくて良かったなと素直に思う。謹慎が明けたら挨拶に行こう。何か教会に合いそうな新譜と円盤持って。
「……良かったですね、兄上」
「ん? あー、うん……いや、誤解しないでもらいたいんだけど、俺はアマリリス夫人に生きていてほしかったとか、そういう訳ではなかったんだけど……」
「大丈夫、わかってますよ! どうでもいい、どちらかといえば嫌いな人って、自分と関係のないところで知らないうちに死んでてくれるのが一番いいですもんね……!」
爽やかな笑顔の弟から出たなかなかの毒舌に、俺は三秒呆けた後でかい声で笑ってしまった。




