波紋
ニフリートの奇行によって民衆の視線は再びコンスタンツェの方へ注がれていた。
そこでまたニフリートによって、あっさりとソフィアから包丁が抜かれる。石畳に血が飛び散ったと思った次の瞬間には、二人の少女は淡い光を帯びていた。
「っぐ、……ぅ―――――――…………コニー様……? あれ……私……」
「……ソフィア? ソフィア……!」
「……ちょぉっと失礼しますねソフィアさん!」
「ぇひゃぁあっ?」
コンスタンツェはついさっきまさに刃物が刺さっていた服が切れている部分に手を突っ込み、血を拭い、ソフィアの傷が塞がったことを確認する。少しだけ肩の力を抜き、ソフィアと顔を突き合わせる。
「まだ痛いところはありますか!?」
「……いえ……痛くは、ない……うっ? うぅ……」
「ああ、気分が悪いと思うけどそれは魔法の副作用だから大丈夫、休んでいれば良くなりますから! 良かった、間に合った……!!」
「ぁ、あ、……ありがとうございます!! ソフィア、ああ……!!」
「聖女様……」
マリアがソフィアを抱き締めて地面に突っ伏し、スザンナが泣きながら礼を叫び、泣き止んだ八歳の少女が呟いた。
実はこの時少女が口にした『聖女』とはソフィアのことだった。貧民に手を差し伸べ続けているソフィアは未だに度々『スカルラットの聖女』と呼ばれることがあり、少女は日常的にそう呼んでいた。
しかし周囲はその一言に触発され、夢から覚めたように聖女の存在を実感する。
「……そうだ、聖女様だ……コンスタンツェ様だ!」
「聖女様が救ってくれたぞ!! 治った、生きてるぞ!!」
「私見たわ!! 今この目で奇跡を見たの!!」
「聖女様万歳!!」
「「「万歳!!」」」
賞賛と歓声は地響きのように伝播していく。逃げる途中だった人々はその場で抱き合い、肩を組み、或る所では歌い出し、或る所で踊り出し、俄かに盛り上がりを増した。
先ほどまで阿鼻叫喚としていた熱はそのままに、火が風に煽られて一気に燃え上がったかのようだった。
目まぐるしく変わる景色の中、コンスタンツェは(後悔はしてないけど、コレ失敗してたら聖女としても王太子妃としても評判は地に堕ちて取り返しがつかなかったかも……そりゃユリウス様も止めるわ……)と多量の冷や汗をかいていた。
そんなコンスタンツェを見て、剣を鞘に納め周囲を警戒しながらも、ニフリートは微かに笑みを浮かべる。
かつてこの聖女を卑しいと発言した己への嘲りと、永劫に続くかのような民の笑顔と歓声の中に、この国の明るい未来を思い描いた結果だった。
――――鮮血を流して横たわる修道女を抱え柔らかい光を纏ったコンスタンツェの姿は綿々と語り継がれ、後世数えきれないほど描かれる『聖女』の表象となった。
※※※
情報が錯綜する民衆の中を可能な限り急いで移動し、コンスタンツェとニフリートは近衛に合流、歌姫と護衛達は紺碧の兎亭に帰還。
まだ動けないソフィアを休ませ、諸々報告しなければと話しながら部屋に戻ったが、ラナドがソファに横たわりノトスも顔が真っ青で、アマデウスが誘拐されたと聞かされ暫し言葉を失った。
既に捜索には取り掛かっているとも聞いたが、一連の出来事を経験した後では不吉な予感ばかりが頭を過る。
歌姫の中で一人、まだ体力と気力があったスザンナは頭の中がぐちゃぐちゃになり、制止の言葉も耳に入らず、兎亭を飛び出した。
「――――誰かぁ!!! み、みんな!!! アマデウス様をさがして!! アマデウス様が、攫われちまったんだ!!! 悪い奴に攫われちまったんだよぉ……!!!」
訴えるスザンナの声は有象無象の騒ぎ声の中でも、よく通った。
※※※
シレンツィオ公爵から緊急の要請を受けた王家は直ちに国境に位置する領全てに早馬を出し、アマデウスを国外に連れ去られないように厳戒態勢を取るよう命じた。
パレードの翌々日には、王家を介してシレンツィオから『スカルラット伯爵令息アマデウスを保護した者、それに協力した者には金一封を与える』という御触れが出た。
ほとんどの新聞がお触れを大きく報じ、国中にアマデウスの行方不明が知れ渡る。スザンナの訴えを耳にしてすでに探している有志はいたが、純粋に心配して捜す者も金を目当てに捜す者も大量に現れた。
「ねえ! コレリック侯爵家が怪しいんじゃない?!」
同じく、パレードの翌々日。スカルラットにて、知り合いがいる印刷工房に一人の少女が飛び込んだ。パレードの日にレクスと一緒にいた少女だった。
アマデウスが行方不明と聞いて、印刷工房に疑惑を載っけて広めてもらえばもしかすると騎士団の捜査の手が伸びるのではないか? と考えたのだった。証拠もなくそんなことを載せればその印刷工房が貴族の圧力で潰されるかもしれないということまでは考えていなかった。
「いきなりどうした、なんでコレリック?」
「ほら、歌手ノトスを引き抜いた件で揉めたんでしょ?」
「だからってそんな根拠も無しに……」
「根拠はなくはないわ! だってレクスが言ってたんだもの、えーと、コレリック家は王太子妃争いで聖女様に負けて、アマデウス様のせいだって恨んでるって! 嫌がらせしてるって!」
「レクス……?」
「レクスって、歌姫スザンナの息子か?」
首を傾げた雑用の少年を押しのけて出てきたのは、情報収集のため同業に話を聞きに訪れていた記者ルーヒルだった。
「そうそう! ……おじさん誰?」
「俺は記者だ、聞かせてくれや嬢ちゃん。その情報うちが買うぜ」
※※※
最初に留まった"追尾"の場所にシレンツィオ騎士団が駆け付けた時には既にもぬけの殻だったが、巧妙に入口が隠された地下があり、一時的に其処にいたことは明白だった。
そして"追尾"は、地図上の『尾』の字が薄くなって動かなくなったかと思えば突如離れた場所に現れるという不具合が発生していた。
「これは……どういう状態なのでしょう」
数時間休んだ後まだ重い体でジュリエッタも父の所へ赴いたが、状況は膠着していた。
ティーレの侍従が申し訳なさそうに溢す。
「魔道具師が言うには、近くで多量の魔力を使っていると"追尾"が出す魔力の波が阻害されてしまう可能性があると……」
「つまり、結界などの高度な魔術を使われながら移動されると追えなくなるということか」
新しく開発された道具のため、またそういう環境下で使う想定はされていなかったため、対応できていない。
何処に現れるかわからない地図を交代で見張り、駆け付け、空振りに終わることを繰り返した。
アマデウスを追っていった公爵家の影二人は、途中で撒かれてしまい一人は戻ってきた。一人は手がかりが途絶えた場所から行き先を予想し捜索を続けている。
ジュリエッタ達は御者のヴィペールが実行犯だと訴えたが、コレリック家は『その男は数か月前にクビにした、もう我が家とは何の関係もない』と主張し知らぬ存ぜぬを通した。
そんな言い逃れは通用しないと反論したが、コレリック家の周辺を影に張らせつつひとまず捜索を優先した。
王家がコレリック家内部の捜査に踏み切るにしても動くには数日はかかる。
シレンツィオの判断でシルシオンには自白薬を飲ませ、カーセル家の責になっていたいくつかの悪事がコレリック家の命令であるという証言は得られたが、彼女はアマデウスの誘拐や行方に関しては何も知らない。王家の牢に入れるとパシエンテ派の手が伸びるかもしれないと一旦シレンツィオ領の牢に入れて監視しつつ守ることになった。
そしてパレードから四日目。
放出される魔力の波が阻害されている影響で結果的に魔力が温存され、"追尾"の魔力はまだ切れていなかった。しかしいつ切れてもおかしくはない状態と思われ、シレンツィオとスカルラットの騎士団は捜索に明け暮れた。
新聞や王都から帰還した者達の口からアマデウス誘拐の話は瞬く間に拡散し、仕事を放り出してまでアマデウスの捜索を行う者達も出てきた頃。
フェデレイ新誌が『緊急増刷版』と冠して記事を王都にばら撒いた。
『伯爵令息アマデウスは何処へ消えた? ~聖女と敵対する貴族一覧~』
普段から情報と伝手を多く持っていたルーヒルが寝ずに執筆し大急ぎで発行したものだった。
誌面を占めた家は四つ。
★コレリック侯爵家……元王子妃候補の娘有。楽師ノトスの虐待、アマデウスによるノトスの引き抜きに不自然なほど怒りを表明し、王家へ苦情を出したが王に軽くあしらわれたこと。
★ジャルージ辺境伯家……元王子妃候補の娘有。ジュリエッタとの決闘にて次男が敗北し恥を晒し、聖女と王太子の婚約に異を唱えたが受け入れられず。
★べイヤート伯爵家……子女が貴族学院にてアマデウスとヴィーゾ侯爵令嬢に関してデマを広めるよう先導し、シレンツィオ派の女生徒との間に暴力行為が発覚、学院から厳重注意。
★シプレス子爵家……美貌の嫡男が正妻の座を餌に令嬢達を唆し、アマデウスの悪評を流すよう仕向けた疑い。ヴィーゾ侯爵令嬢に求婚を断られた理由に派閥の妨害があったとしてシレンツィオ派に悪感情有。ベイヤート伯爵家と結託していた疑い。
これらのことがわかりやすくまとめられており、国中の民が奪い合うようにして読んだ。
そして四つの家には一斉に疑いの目と苦情が寄せられることになった。




