手を伸ばす
俺達が追いかけてくるからと言ってじゃあ早く飛び降りよう……とはならないだろうが。
シルシオン嬢の周囲にいた男達は仲間でもあり見張りでもあるのだろう。予定を早めて背中を押されてしまったら困る。
周囲に警戒しながら俺達は四階の屋上に着いた。大時計のある天守閣の五・六階には外に非常階段が付いていて中に入らずとも六階まで上れる。そこから見たところ、六階のバルコニーにはまだ誰もいない。
ひとまず五階には入らず六階まで一気に非常階段を上った。
階段から六階への扉をクラウスが開けようとしたが、開かない。おそらく彼らが籠城していた。
さてどう開けるか……と考える前に「開けます」と端的な声がして俺の隣にスッと男の顔が現れた。
驚いて肩がビクッとしたが、その髪を見て彼が俺付きの忍者だとわかった。以前一度目にした、紫色だ。前髪が長めで顔はよく見えなかったけど俺より少しだけ低い背、襟足がないすっきりとした短髪。まだ若そうだ。透明マントを身に着けたままだから生首が浮いてるように見えてなんかシュールだった。
扉を三秒ほどじっと見た彼は、薄ら光る手を扉に当ててぼそりと何か唱えた。
パン!! という破裂音。
これも規模は違うが以前一度聞いた。結界を破った音だ。
サッと彼が身を引いて、クラウスが皆に目配せしながら扉の取っ手を回す。
扉を開けると同時に矢が何本も飛んできた。クラウスは出した盾で防ぎ、ジュリ様は透明な盾で体を守りながら部屋に入り、弓を構えていた男の間合いに踏み込み斬った。男の指が飛んだのが見えた。怯んだ男をクラウスが押し倒し、ゴキッと嫌な音がして男は動かなくなった。何もない空間から手がニュッと出てきて男を縄で縛る。
し、死んだ……? いやわざわざ縛ったんだから生きてる……?
死体かもしれない床に横たわった男と血と落ちた指が視界に入ると喉元にちょっとだけ胃液がこみ上げてきそうになったが、今はひとまず目的に集中しなければと目を逸らした。
今この場にいた曲者……シルシオン嬢の見張り、おそらくコレリック家の影は全員仕留めたと思っていいようだ。俺が人影を探して歩みを進めてもセレナは止めなかった。
人影は、バルコニーへ出ていた。
濃い灰色のローブで身を包んだシルシオン嬢が、バルコニーの柵の上に立っていた。
風でローブがばたばたと靡き今にも落ちそうに見え、鳩尾が落ち着かない。
俺達の姿を認めた彼女は真顔で軽く足を広げ、手から魔法で長剣を出して構えた。
最後に見た時よりも少し痩せて髪が乱れ顔色も悪いのに、不思議と弱々しくは見えない。
おそらく、目だ。目に、死を覚悟した故の鋭い生気が燃えているように感じるのだ。
「――――シルシオン嬢! ……ノトスから、少しだけですが事情は聞きました。メイドのセシルのためにも、そんなことはやめましょう。セシルのために貴方が死んだら、彼女はきっと深く悲しみますよ、それはわかってるでしょう?!」
立て籠もる犯人に「おふくろさんが泣いてるぞ」と語り掛ける刑事みたいな、お約束で月並みな説得だとも思うが。
お約束というのはなんだかんだで王道なのだ、変化球をひねり出すよりもそれに賭けた。
シルシオン嬢は自嘲するように眉を下げつつ口角を上げた。
「……セシルのためではありません。私の行動はどこまでも私のためです。他人のためになんて死ねないわ……そんなに強くない」
そしてふとした瞬間に彼女が長剣を持ってくるりと回ると、ゆらりと空間がぶれた。これは……公爵家の影が近付いたのを察知して剣を振っている。
すげぇ、どうやって察知してんだろう。訓練すればわかるようになんのか?!
そんな場合じゃないんだけど感心してしまった。
女騎士の訓練を受けていたとは聞いたが、これは隠密としての技術なのだろう。彼女を落としたくない俺達は柵の上のギリギリに立っている彼女に迂闊に近付けない。下手に攻撃したら落ちてしまうかもしれないと考えると手も出しにくい。
あんな頼りない足場で高所で、しかも風もあるってのに長い剣を持ちながら危なげなく回ることが出来るとは、おそらく俺や周囲が思っていたよりも彼女は手練れだ。
「自分のためって……シルシオン嬢、貴方、死にたいわけじゃないんでしょう?」
「……きっと、アルフレド様やアマデウス様のような、沢山の人に愛されている方には、おわかりにならないわ」
その言葉を聞いて――――ああ、てっきり派閥の意向と打算で近付いたと思っていたけど、彼女は彼女なりにアルフレド様に恋をしていたのか、と俺は感じた。
あの正しく凛々しく高貴な令息と縁付ければ自分の状況が好転する、救われると夢見た瞬間もあったのかもしれない、と。
彼女の手も剣も揺るぎないのに、声と瞳は微かに震えた。
「……この世でたった一人、唯一人の愛を失ったら、もうとても生きてはいかれないと思う者の気持ちなんてね…………」
「わかるわ」
俺が言葉に詰まって口を閉じた時に、すぐ後ろからその声はした。
「…………わかるわ」
真剣な顔でシルシオン嬢を真っ直ぐ見つめたジュリ様が、そう繰り返した。石床を踏みしめるように静かに歩いてバルコニーの柵に近付き、ゆっくりと右手を差し出した。
こちらに来いと、そっちに行ってはいけないと訴えるような瞳と手に、ここにきて初めてシルシオン嬢は怯んだ。目を瞠って唇が震えた。
そして彼女の手から剣が滑り落ち、がらんと音を立てる前に――――不自然に、踵を返した。
「え? ぁ……あっ」
その足は軽やかに柵を蹴って、シルシオン嬢の体は空を飛んだ。
――――『飛び降りるのはやめようと思った一秒後、飛ぶ』という鏡文字刺繍布が後に彼女の服から見つかった。
脊髄反射でシルシオン嬢を追いかけたジュリ様の手は彼女の手を掴んだが、このままでは二人とも落ちる。
俺も追いかけて可能な限り身を乗り出し手を伸ばした。すぐ後ろにセレナ達もいる、手が届けば何とか引き上げられるはず、届く、ジュリ様が手を伸ばせばギリギリ………
そう思ったのに。
ジュリ様はこちらに手を伸ばさなかった。
この高さでも人が地面に落ちるのに、そう時間はかからない。
俺は遠い地面に見える、丸い点のような赤がジュリ様だとは信じたくなくて一度目を閉じたが、再び開いても何も変わらない。
一瞬目の前が真っ暗になったが、その赤だけは消えない。
彼女のドレスの赤がここまで不吉なものに見えるなんて、今日の朝には夢にも思わなかったことだった。
――――その赤が動いたように見えて、俺はハッとしてこけそうになりながら背後へ走った。扉を抜け、全速力で階段を駆け下りる。
間に合え間に合え間に合え間に合え、今はそれしか考えられない。
それ以外のことを考えたら心臓が止まってしまいそうだ。
すると「アマデウス様、暫し失礼をば!」と耳元で声がした。彼だ、紫髪の……と思った瞬間、視界がぐるんと変わって俺はジェットコースターみたいに激しいスピードの中にいた。
片腕で腹を抱えられている。長い階段も一歩か二歩でジャンプする。
思わず目を瞑ると、体に急カーブやらの着地やらの衝撃を感じながらもとてつもない速さで移動し――――次に目を開けた時には、一階まで降りていた。




