快諾と啖呵
「それで、こちらが?」
「は、はい……」
放課後の馬車の中、説明した後にジュリ様に新聞記事を差し出した。
婚約者にこんな俺モデル官能小説みたいな代物を見せてもいいのか。無実なのに浮気がバレたかのような冷や汗をかきながら読み終わるのを待つ。
「……腹立たしいこと」
「す、すみません……」
「え、あ、デウス様のことではありませんわ。こんな風に中傷する文書を撒くなんて見下げたことをする敵に対してです」
「ああ、そうか……また私の風評のせいでご迷惑をおかけするので、つい」
取り急ぎマルシャン夫妻にはこの記事の存在のお知らせと謝罪文を送った。コンスタンツェ嬢には俺から手紙を出すと誤解が生まれるかもしれないので、ジュリ様から報告してもらうことになったのも少々申し訳ない。
「……この中に本当のことが一つでもありますの?」
「まさか! 嘘しかないです!」
「婚約前のことでしたら責めは致しませんよ」
「町娘と遊んでないです!!」
「……"今夜も腕に女を抱く……"」
「だっ……抱いてるのなんて枕か楽器くらいのもんですよ……」
心なしかジト目だったジュリ様はすす……と俺ににじり寄って頭を俺の肩に預け、うっすら頬を染め、呟くように言った。
「……もうすぐ、あと一年ですから……あと一年と少し、我慢していただければ…………」
「っ! ~~~~~~~~~~ハイよろこんで!!!!!」
――――年が明けて、また一年経ったら、結婚。
婚約した直後はあと五年もあるのか、長いな~と思っていたが、もうあと一年。あとちょっとの気がしてきた。
結婚するまでもう少しエッチなことは我慢してくれ、なんて小悪魔系詐欺師みたいなおねだりを、思春期男子は居酒屋店員みたいな返事で快諾するしかなかった。
※※※
スカルラット領一の町、スカルラット中央劇場。
マリアが次の公演の事前練習と衣装合わせを終えて着替えていると、見覚えのない女が一人更衣室に入ってきた。髪型と背格好は踊り子の一人にそっくりだ、と思っていると女がにやにやしながら近付いてきて囁いた。
「歌姫マリア、お仲間の修道女が心配ならこのまま私と来なさい」
そう言って握っていた手を開いて見せた。そこには少しだけ切り取られた薄茶の髪があった。
「……!」
ソフィアはついさっき先にここを出た。更衣室を出て、ぴったり横についた女に導かれて歩く。そのまま素直に付いていくのは悪手に思えた。
「建物からは出ないわ。何が目的?」
マリアが裏口の手前で止まると女は舌打ちし、マリアを乱暴に壁に押し付けナイフを顎の下に突き付けた。
「歌姫ソフィアが手酷く犯されてるところを見たいの? 実は仲良くなかったのかしら」
「修道女に乱暴したら一発で監獄送りよ。ソフィアは王太子殿下の婚約者になった聖女様とも懇意にしているし、アマデウス様からも重宝されている歌姫。死刑でもおかしくないわね。逃げ切れるとでも思ってる?」
平民同士の暴行罪や性犯罪は初犯なら牢獄に数年入るだけで済むことが多いが、聖職者への加害は罪が重くなる。悪質であれば貴族に対する加害と同等の重罪になる場合もあった。
「っ、口が減らないわね!」
女は乱暴にマリアの胸倉を掴み引きずった。抵抗するが思いの外力が強い女に勢いで押し出され、裏口外の低木に囲まれた小さなスペースに連れて行かれる。マリアはその途中で服に付いていた大きめのボタンを一つむしって、廊下に転がした。
猿轡を噛まされ手を後ろで縛られたソフィアが男二人に捕まっていた。
「ソフィア!!」
「! んんんんん、んんん(マリアさん、逃げて)!」
「心配すんなって、ちょっと言うこと聞いてくれたら何もしねえからさぁ」
にやにやした男達が視線で女に先を促す。
「ねえ歌姫マリア……あんたはアマデウス様と体の関係があるわよね?」
「……は?」
鈍く光るナイフをマリアの片目の睫毛に付きそうな距離まで近づけ、女が笑った。
「ほんとのこと言ってくれたらいいのよ。あるんでしょ? ご自慢の顔に傷を付けてまで守る秘密じゃないわよ。だって皆知ってんだから」
この輩達が『アマデウスとマリアが男女の関係である』と言わせたいのだとわかるとマリアは不愉快そうに眉を寄せた。どんな状況で言わされたとしても『確かに言った』という事実が欲しいのだと。
「本当のことでいいなら何でも言うわよ。私とアマデウス様が男女の関係だったことなんて一度もない。寝たこともないし口説かれたこともない。……これでいい?」
「……ふ、あはは、アマデウス様って噂と違って随分意気地なしなのねぇ~! 実は不能だったり!? ……白々しい嘘吐くんじゃないわよ! 次嘘吐いたら顔に二目と見れない傷が付くわよ?!」
マリアは数秒だけソフィアと視線を合わせた。ソフィアが震えながらも強い眼差しで自分を見ているのがわかり、姿勢を正した。
「……元は平民でも今の私は伯爵家に連なる者、故意に傷を付けるなら死を覚悟しなさい。――――それと、手を出せる女になら手を出す男は、意気地なしじゃなくて節操なしって言うのよ? 低俗な男にしか会ったことが無いのね、可哀想な人。
――――――――やれるもんならやりなさい。その程度のぬるい脅しで私の忠誠心が揺らぐと思われたら困んのよ!!」
「……ぉ、おい、話が違うんじゃねえか……」
「これ以上時間がかかるとまずいぞ」
俄かに男達が小声で不安げに呟く。
マリアの剛胆さは暴漢達の誤算だった。囲んで刃物で脅せば元娼婦に言うことをきかせるくらい簡単で楽な仕事だと思っていた。人質を取ったのはあくまでおびき寄せるためで、貴族や聖職者を傷付けたりして重い罪を負うつもりもなかった。
マリアの気迫に怯んだが、直後にカッと顔に血を上らせた女は刃物を持った右手は下ろし左手を振りかぶる。頭の片隅の冷静な部分で血を流すのはまずいと思い、平手打ちで怒りを発散しようとしたのだった。
しかし左手がマリアの頬を叩いた直後、女はひっくり返っていた。
「っ!? がッ……!」
マリアに付いているスローン家の護衛二人が扉から飛び出し、女の手をひねって地面に叩きつけていた。
もう一人が素早く男二人に蹴りと拳を腹に入れ、男達は倒れた。扉からロージーとその護衛が次々駆け付け、三人を取り押さえる。
更衣室から出てくるのが遅いと気付いた護衛が様子を見に行き、廊下に落ちているボタンに気付いて裏口まで駆け付けたのだった。
マリアが座り込んでいたソフィアに駆け寄り猿轡を外す。腕の縄を切るために女が落としていったナイフを使った。ソフィアは自由になった手を軽くさすり、涙目になりつつ微笑んでみせた。
「大丈夫です、縛られただけですよ」
「……よかった……」
「マリアさんにも怪我が無くてよかった」
抱き締め合うと強張っていた二人の体から力が抜ける。薄茶の髪に頬を埋めて、マリアは顔を歪めた。
「ごめんなさい……その、……」
「何がです?」
「貴方が傷付けられるかもしれなかったのに……啖呵を切ったりして」
「えっ? アマデウス様や私達の名誉に関わることですもの、何も間違ってません。私こそ謝らないと……ごめんなさい、道案内してほしいと言われて、少しだけ路地裏に入った所で男性が出てきて捕まってしまい……」
「それなりに手慣れた奴らだった、ソフィアは悪くないわ……でもこれからは貴方にも護衛が要るわね。守ってあげられなくてごめ、……いや、謝るのとは違うのかしら……悔しいわ。守れなくて」
「……目が合った時、私がどんな気持ちだったかわかりましたか?」
「……『自分はいいからあいつらの言いなりになるな』?」
「概ね正解です。『私は大丈夫だから嘘は吐かないで』と思ってました。『アマデウス様とそういう関係だ』なんてマリアさんの口から聞いたら、嘘だとわかってても私……すっごく態度が悪くなってしまいそうですから」
流石にあの場面で真面目な彼女がそんな恋愛至上主義者のようなことを考えていたとはマリアには思えなかった。ソフィアの照れたようなはにかみを見て、傷心している恋人の気を楽にしようとしているのだと察した。
「……じゃあ、恋人としては及第点?」
「いつだって満点ですよ」
「……イチャついてるなら大丈夫だな」
「あぇっ!? ろろろロージー様いつの間にっ?!?!」
「後ろにずっといたわよ」
マリアはそんなに気にしてなかったがソフィアは顔を茹らせて慌てた。女二人の心境を案じて様子を見ていたロージーはひとまずほっと息を吐く。
シャムス邸に住んでいる者達は基本的に単独行動をしなかったが、修道院にいるソフィアだけは一人歩きすることがある。彼女は町人から慕われており常に知り合いが近くにいる状態だったのでならず者に絡まれることなど今までなかったが、行きと帰りに護衛を付けることになった。
ほどなく劇場近くの茂みに踊り子の一人が下着姿で縛られて転がされているのが見つかった。
男二人は経験豊富な泥棒で、道具を使って劇場を囲んでいる高い塀をソフィアを抱えながらも素早く乗り越えた。一味の女とよく似た踊り子を襲って服を奪い、忘れ物をした踊り子の振りをして劇場に入り込んだとわかった。
劇場の門には公演のメンバーの顔を見知った警備の兵士がいるが、同じ服に同じ髪色、髪型の女が戻ってきたので通してしまったのだった。
スカルラット伯爵家に報告が上がり、警備強化のために一時劇場回りは慌ただしくなった。




