夢紛い
今ノトスはスカルラット伯爵邸の一室に匿われている。
決行の日、辻褄合わせのためにバドルとスザンナ(+シャムスが付けた護衛)にコレリック侯爵領に行ってもらいうろうろしてもらった(ロージーは貴族籍に入ったので他領に入る時は申請しないといけない)。シャムス邸に一度戻ってロージーを拾って、スカルラット伯爵邸へ。その夜、王家の影がノトスを置いていった。
スカルラット家当主を抜きに誘拐計画を進めていたことは叱られたが、王家の協力を取り付けているともなればもう後には引けまい、とティーグ様は快く協力してくれた。
スカルラット家の評判に傷が付く可能性に関しては少々口惜しそうにしていたが、ノトスの傷だらけの背中を見て「些事を気にしている段階ではないようだ」と言って剣呑な顔をしながらも俺の頭をわしゃわしゃ撫でた。正義感が強いとこういうのは看過できないだろう。
鞭か何かの道具で痛めつけられたと思われる背中。
治療はされたとのことだが、完全に治すところまではしなかったようで傷が残っている。
下男下女が何か失敗して主人や上司から体罰を受けることは有り得る。だが彼の背中の傷の多さは尋常ではなく、真っ当(まあ俺には体罰自体が真っ当とは思えないが)な理由でなされたとはとても考えられなかった。
下男下女を外に出さなかったのはこの傷跡を誰かに見られないためもあったのかもしれない。
因みに、治癒魔法は傷を残さず治すことが可能だが、時間が経って傷が既に治りかけていたり塞がってしまっていると消すことがかなり難しくなる。
軽く揺すられて目覚めたら知らん男達に囲まれて寝ていて、使用人に言われるがまま服を脱ぎ、お湯で絞ったタオルで髪と体を拭かれ(ひとまず上半身だけ)(地べたに転がされてたから)、ノトスは戸惑った顔をしていた。だが逆らっては危険だと考えてるのか怯えを見せながらも黙って従った。清拭が終わってからロージーが屈んでベッドに座る彼に声をかけた。
「ノトス、俺がわかるか……?」
「えっ? …………すみません、お会いしたことは、ないかと……」
ロージーは少しだけ落胆したようだが名乗ろうと口を開ける。その時ロージーと交代で仮眠を取っていたバドルが部屋に入ってきた。その姿を認めたノトスは目を丸くした。
「ノトス、体は何ともないですか?」
「……バド爺……?」
「ええ。大きくなりましたね。ほら、ロージーも大きくなったでしょう」
柔らかい声で微笑むバドル。ノトスは目を見開いたままロージーに視線を向けた。
「……ロー兄?」
「ああ。よかった、忘れちゃいなかったみたいだな」
「バド爺はあんま変わってないけど……ほんとに、ロー兄……?」
バドルはおそらく皺が増えたくらいだからわかりやすかったんだろう。十何年も前だとロージーはまだ少年だ。わからなくても無理はない。ホームレス時代と比べたら別人に見えてもおかしくないほど小綺麗になったしな……。
「縁あって、俺達は今スカルラット伯爵家に楽師としてお仕えしている。聞いたことないか? 録音円盤を作った方が平民の歌手を雇ってるって、有名な話になったと思うんだが」
「録音円盤ってのがあるって噂だけは知ってるけど……」
ロージー達の名前はもはや流行に疎い人でも覚えてしまうくらいだと工房の職人に聞いたのに。貴族の家に仕えている者が平民でも知ってる情報を知らないのは異常と言える。情報が遮断された場所にいたと考えて相違ない。
「つまりここは、スカルラット伯爵家? ……ロー兄、俺はなんで、ここに? 目の前が暗くなったと思った次の瞬間にはここにいて……」
「……まあ、それはおいおい説明する。後で色々聞きたいことがあるんだ。ここは安全だ、安心して休んでいいから……」
「だ……ダメだ! 帰らないと! 脱走したなんて思われたら俺の代わりに誰か……罰される!!」
俄かにノトスが青くなって立ち上がった。止めようとする手をすり抜けて扉を目指して駆けた。その目前にたくましい男が立ちはだかり、ノトスは胸板に当たってバインと弾かれ床に尻もちをついた。
「ご機嫌よう、ノトス君。私はスカルラット伯爵家当主、ティーグという。すまない、大丈夫か」
美丈夫に名乗られティーグ様の侍従に手を差し出されたノトスは更に顔色を悪くして、素早く平伏叩頭した。
「ご無礼をお許しください。大変申し訳ございません」
さっきまで慌てていたのに言葉は定型文のようにスムーズで、――――し慣れてる。そう感じた。
土下座、もしくは平伏。地に付けるほど深く頭を下げるというのは、この国では滅多にしない。日本みたいに部屋で靴を脱ぐ文化でもないし。敬虔な信徒が教会や神殿で神に祈りを捧げる時くらいにしかやらない。深い恭順を示す姿勢だからこそ、自分からやったならよくても"やらせた"となったらパワハラと考えていい。貴族の血筋の使用人にやらせたら多分軽く問題になる。
ティーグ様は数秒不愉快そうに眉を顰めたがすぐ薄い笑みを浮かべて「許す、顔を上げよ」と言った。侍従も手を引っ込める。
「君はスカルラット家が買い取った。今日から我が家の下男だ。楽師達のいうことをよく聞くように」
それだけ言ってティーグ様とその侍従は退室した。ここにいるとノトスが緊張して上手く話せまいと気を使ってくれたのだろう。部屋には俺とロージー、バドル、ポーター、ノトスだけになった。ここで起こったことはポーターが報告書に書いてくれる。
ノトスは顔だけ上げてぽかんとしていた。突然だからね、飲み込めないよね。
俺が一歩彼に近寄ると、ポーターが前に出て目配せしてきた。俺が頷くと俺の代わりにポーターがノトスに手を差し出す。アンヘンもポーターも俺がしようとすることをよく先回りしてくれる。侍従ってすごい。
ノトスは今存在に気付いたというように俺を見る。おずおずとポーターの手を取って導かれるままベッドに座りなおした。
「初めまして、ノトス。私はアマデウス・スカルラット。よろしく」
威圧しちゃわないように気安い態度で笑顔を浮かべたが、ノトスはびくっと体を震わせた。俺の名前にはしっかり聞き覚えがありそうだ。誰からどういうふうに聞いたか気になるが、ひとまず会話はロージーとバドルに任せることにしているので黙って部屋の隅にある椅子に座った。無理かもしれないが俺のことは置物だと思ってもらいたい。
「あー……それにしても、俺と師匠の名前よく覚えてたな。そういえばお前は昔も記憶力が結構良かった」
ロージーが軽い調子でそう投げかけた。雑談で緊張を解こうと思ったのだろう。しかし彼の顔は――――くしゃりと歪んだ。
「…………忘れないよ。忘れらんないんだ……今でもよく、夢に見るから……」
腹の前で両手を握りじっとそこに視線を落とす。小さく震えていた。
「あの日……俺が、仕事もらえるぞって皆を誘った夜。サラサは、バド爺はやめた方がいいって言ったよ、って言ったんだ。夢の中で、俺は『そうだな、なんかうさんくさいしな』って言って、行かずにそのままあのボロい家で一緒に暮らすんだ……貧しいけど、皆で支え合って何とか暮らしてくんだ。
―――――――――――本当は!! 現実は、俺が『大丈夫だ』って言って皆を連れてったくせにさぁ!!」
「っ! ノトス、」
「全部俺のせいだったくせに都合の良い夢見て起きて、戻りたいやり直したいこっちが全部夢だったらよかったのにって…………なあ、これは夢だろ? ロー兄なんて本当はいないんだろ? 起こしてくれよ!! 都合の良い夢を見るたびに死にたくなるんだ、死ぬ勇気もないくせに……!!」
「ノトス! おい、落ち着け!!――――お前のせいじゃない!!」
取り乱したノトスの肩を強く掴み、ロージーは言い聞かせた。
「人攫いが悪い。いいか、お前のせいじゃない!!」
「う……ぅ……そんなこと……そんな……都合が良いこと…………」
ロージーは暫くすすり泣くノトスの頭を胸に押し付け、バドルがノトスの背中を撫でた。




