瑞夢
【Side:ネレウス】
行ける時には登院しないとさぼり癖がつきますよ、とペティロがちくちく言うので仕方なく学院に来た。
もうそこまでではないのにまだだるいと言い訳して休んでいたのがバレていたらしい。学院の勉強はもう知っていることばかりで退屈だし、試験で好成績を取れば卒業出来ないことは無いのであまり行く気にならない。多少は社交もしておくべきで側近を見繕うべきとはわかっているが後回しにしている。黒い箱の封印が終わってからでも遅くはない。今は封印のための根回しや兄上とコンスタンツェ、ジュリエッタやアマデウスを守ること、それ以外に費やす時間が惜しい。
「ネレウス殿下、お一人でいかがされました」
「ん、……気にしなくていい。考え事だ」
同じクラスの少年が話しかけてきた。……名前は何だったか、ド忘れした、確か伯爵令息。
いつの間にか教室に残っていたのは僕とその少年だけになっていた。ぼんやりしてしまっていた。
僕は眠る時に魔力を使って予知をしているので体は休まっても精神が休まらないことが多い。ずっとそんな状態だと心が疲れるだろうからぼんやり出来る時はする方が良いと昔主治医に言われた。何も考えないというのも難しいので心が穏やかになるようなものを思い浮かべて心を休ませると良い、と。深くは考えずに、表面をなぞるように、祈るように。
その時想いを馳せていたのは朝少しだけ歩いた庭園の木の幹だった。寒くなってきたから花は少なかったとはいえ、花ではなく何故木の幹なのだろう、と我ながら不思議に思う。
「ネレウス様……私は、貴方をお守りしたいと思っています」
何か話しかけて来ていたその令息の目が、僕を性的に見ているような気はしていた。気のせいならいいと思っていたが。
小さい頃から数人僕に破廉恥なことをしでかそうとする不届き者はいた。男も女もいた。僕が能力のせいで見た目よりもずっと物事の理解が早かったこともあり未然に遠ざけて事なきを得たものの、そいつらの顔はよく覚えている。令息の目がそいつらと同じに見えた。守りたいと言いながら無断でこちらの領域を侵そうとしてくる精神性に身の毛がよだつ。だが僕は感情が顔にあまり出ないのでそいつはそれに気付かず、僕の手を握って顔を近付けてきた。
逃げた方がいいことはわかっていたがこいつは僕よりも体格が良くおそらく騎士見習い。下手に抵抗しても僕が痛い思いをするだけか、と妙に暢気だった。顔は逸らして、怒らせない程度に拒絶するには何と言うか……と考えていると。
「――――おい。……何をしてるんですか」
教室の入り口にジークリートがいた。今の声は彼のだったのか? 覚えているよりも随分低い。
「おや……確か、スカルラット伯爵令息。こんな所に、何用で」
「こちらが訊いたのですよ。何をしているのかと」
ジークリートが親の仇を見るような目で睨んでくるので令息は怯んだ。しかし位は同じ伯爵令息、気圧されることはないと思い至ったようだ。
「野暮ですね、察してください」
「……無礼ですよ」
僕の手を握っている令息の手を見てジークリートがそう言う。
「お言葉ですが、貴方には関係の無いことです」
令息が強気に返す。二人の間に不穏な空気が流れる。廊下の少し奥にいた見張りの騎士が訝しんで少し近付いてきた。僕と令息二人だと男同士だからそう注意を払ってなかったのだろうが、喧嘩が起きそうな気配には敏感だ。揉め事になるのは面倒だ、僕が場を治めなければ。
「ジークリート、そう威嚇するな」
「ネレウス様……」
「――――君。僕を名前でそのまま呼ぶことも、体に触ることも許可した覚えはない」
侯爵家に籍は移っているが、基本的には王族として扱われているので周囲は僕を“殿下”と呼ぶ。別に呼ばれ方に強い拘りはなかったが拒絶を示すためにそう言った。
僕に庇われたと思って顔を緩めた令息は、直後に冷や水を浴びせられて硬直した。
「先程は僕も考え事をしていてあまり君の話を聞いていなかった。こちらにも非礼があったので今回は許す。だが、次はない」
『どっか行け』という意を込めて見遣るとようやく僕が気を損ねていたことに気付いたようだ。
「ハッ。失礼致しました……っ」
青ざめて去って行く令息に少し可哀想なことをした気分になったが、勝手に盛り上がって迫ってきたのだから妥当な仕打ちか、と思い直す。これに懲りてもう少し慎重になればいい。
「……お邪魔でしたか?」
「いや。助かった」
「それならもう少し助けてほしそうな素振りをしてください!! 学院内は外よりも安全でしょうが、殿下は大切な御身なのですから人気の無い場所にお一人になるのはよくありません、信用出来る者をなるべくお傍に置いてください!」
ごもっとも。
「気を付ける。それで? 君は何用でここに? 君から僕に会いに来るなんて珍しい」
説教を遮ろうとそう尋ねると彼は拗ねたような顔でじっと僕を見て押し黙った。
「…………」
「あ」
「何ですか」
「いや、何でもない」
気付いた。彼の瞳の色が、あの木の幹の色に似ていた。
「……ネレウス殿下は元々私を避けていたのに、学院に入ってからは私に近寄ってくるようになりましたね」
「避けていたというのは、“ネリー”として会うのをコンスタンツェに断らせたことか? 女性だと思われていたから会うわけにもいかなかっただけで拒否していたわけではないが」
「では、私を側近として見込んでいたから話しかけてくださっていたのですか?」
「いや、特にそういうつもりではなかったが……」
「ではどういうおつもりで」
おかしい。
少なくとも僕が視た未来の中では、ジークリートがこうして対話を求めてくることはなかった筈だ。
「君、アマデウスに何か言われたか?」
「え? ……そうですね。兄上には……応援する、と言われました」
「応援?」
「私が結婚しない道を選んだとしたら、おそらく父母も姉もあまり良い顔はしないでしょう。それでも兄上だけは、私が誰を好きになっても応援してくれる。兄上ほどの人が味方になってくれるんなら……恐れることなんてそれほどないと思ったんです」
やはりアマデウスが関わると予知外のことが起きるのか。
ジークリートは僕に二歩近付き、真剣な顔で見下ろしてきた。出会った当初よりも僕も彼も背が伸びたが、彼の方がぐっと目線が高くなった。
「どういうおつもりで私に近寄って来ていたのか、教えてください。もう逃げません」
初対面のあの日、僕の立場も能力も関係なく向けられた純粋過ぎる恋の瞳。
こんな瞳を向けられるのは最初で最後かもしれない、手放すのは惜しい、ずっとそう思ってきた。
僕より体格が良くて騎士見習い、僕に対して下心がある視線を向けている。さっきの令息もそうだったが、ジークリートに対しては不愉快さを微塵も感じない。笑みが浮かぶ。道理は通らないが理由はわかっている。簡単なことだ。僕が彼を好きだからだ。
彼の恋が、僕に燃え移ってしまったからだ。
……王族の僕から求めるようなことを言うのは圧力をかけるようで憚られたから、匂わすような言葉に留めていたのに。率直に来られたら率直に返さざるを得ない。
「……君が、欲しいから」
「っ……!」
彼が僕の顔を両手で掴んで乱暴に唇を寄せた。
唇に唇を押し当てて、そっと離れる。僕の顔を見て嫌がっていないことがわかったのか、眉を下げながら小さく笑った。
「御無礼を……お許しください」
「許す」
「……誰にでも許してないでしょうね」
「唇を許したのは君だけだ」
「く、唇以外は許したんですか??」
「そういう意味じゃない」
侍従や世話係には体を多少触らせる必要があるからそう言ったのだが、誤解を生んだらしい。というか僕に信用が無い。
「……ネレウス様、とお呼びしても?」
彼が体を離そうとしたので両手を彼の腰に回して抱き寄せた。元々赤かった頬が面白いくらいに真っ赤に染まる。
「ああ。君がどういうつもりで僕にこんなことをしているかの弁明はまだだが?」
僕から顔を隠すように彼の肩に僕の頭を押し付け、背に片手を回して抱き締めてきた。結構力加減に容赦がなくて強い。でも痛いくらいのそれが割と心地よかった。
「…………ぉ、お慕いしています。私も貴方が、欲しい……」
その言葉を聞いて、僕はこの日をずっと待っていた と思った。
予言者としての役目だけではないこの世に生まれてきた意味が、今日出来たのだと。
黒い箱から国を守るために生まれて来た、そのために何度も何度も未来を眺めて何かをすり減らしてきた、役目は早く果たしたかったが役目が終われば食べ終えた魚の骨のように不要な存在になる気がしていた。
――――でももうそんなことを思うことはないだろう。
「ますます国を滅ぼすわけにはいかなくなった……」
「……えっ?! 国を滅ぼす気だったんですか?!」
「違う、そうじゃない」
国を救った後の世界で、気軽に君と愛し合いたい。
僕の新しい未来の指標だ。
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