純愛欲
【Side:ジュリエッタ】
白粉の仕入れの日。
門を抜けた所から古株の使用人数人に見張ってもらって、不審な動きをした若いメイドを見つけて拘束。
絵の具のような極々小さな白い印がぽつんとついていた白粉の入れ物からレドニェツが出て来た。詳しく調べた魔術師が真っ青になって報告してきた。驚くほど毒性が高くなっていると。
見た目を変えずに毒性を上げる術は難易度が高く、使える者は少ない筈だという。実行犯のメイドに積んだ金額もなかなかのもので、そう何度も使える手段ではないだろう。
お父様に報告すると「よく気付いたな」と褒めてもらえた。先回り出来たからよかったものの、本当なら大勢の被害者を出す未来が待っていたのだからぞっとする。
レドニェツに関する報告書が握りつぶされ、王族まで届いていなかったことをデウス様とネレウス殿下から聞いて感付いたということにした。お父様も驚いたようだった。レドニェツの報告書に関してはお父様も把握していて、今は王立研究室による検証を行っているところだろうと考えていたのだ。様々な商品に含まれている鉱物なので、一商会の報告で急に使用禁止には出来ない。おそらく動物実験や――監獄での人体実験も行ってから、王家の名の下に濃度の制限などがされるだろうと。
※※※
そしてお茶会当日。
デウス様を客間にお通しして一足先に顔を合わせる。
濃灰のコートに臙脂のタイをして、首元には黒金剛石のブローチ。コートの裾に入った銀の刺繍は薬草柄で、私のドレスの刺繍と同じ。窓から入る柔らかな光を受けた立ち姿はどこか清爽で、鮮やかな赤髪の間の澄んだ緑眼にはあらゆるものへの厚意が宿っているように見えて、笑みには虚飾がない。――――嗚呼、いつも素敵だけれど今日も素敵。
こんなに得難い人が本当に私と結婚してくれるのだろうか、なんて未だに考えてしまう。結婚する日まで考えてしまうだろう。
「御機嫌よう、ジュリ様。本日は宜しくお願い致します。……とっても素敵です」
「ご、御機嫌よう。デウス様も素敵ですわ……」
今日の私は臙脂色を主にしたドレスで、黒のフリルとリボンで飾られている。彼と同じ片方だけの耳飾りに、頭の後ろには彼の瞳の色に近い緑玉の髪飾り。彼に褒められるのは慣れてきたつもりだけれど、熱の籠った目でじっと見つめられるとドキドキしてどもってしまう。
まだ時間があるので、座ってもらってお茶を出す。これからお茶会だが私達にお茶をゆっくり飲む時間は無いだろう。
「レドニェツの報告書に関して留意しておらず、お恥ずかしいですわ。お化粧を貴族の間に周知した身としてもっと気を付けておくべきでしたのに」
「いえ、もとはといえば私がシレンツィオ家にも報告書を出しておけばよかったですよね……」
「わたくしのために調べてくださったのでしょう? 嬉しかったです」
「どっちみちティーレ様とジュリ様には知られていたみたいですし……わざわざ調査したことを知らせるのも押しつけがましいかなと思ってこっそりしたんですが、これからはちゃんと情報共有します」
申し訳なさそうに数秒お互いの顔を見遣ってから、微笑み合った。
「……精進致しましょう」
「はい」
――――私が身に付ける物を利用されるなんて、情けない。跡継ぎとしてもっとしっかりせねば、と私が気張っていることに気付いたようで、父は「なに、精進する時間はまだある」と言ってくれた。素っ気ない声だったが、焦らなくても良いと伝えてくれていることはわかった。
通常、学院を卒業してから数年は親の補佐をして学び、二十代になってから正式に爵位を継ぐ。さっさと引き継いでしまうところもあるが、跡継ぎが娘の場合は親が長めに務めることも多い。妊娠期間は不測に執務が滞ることが想定されるので、爵位を継ぐまでに後継者を産んでおくことが望ましいとされているからだ。
お父様も、少なくとも私に子供が一人生まれるまでは引退しないつもりではないかと思う。そう考えると短くともまだ五年くらいは学ぶ時間がある。
デウス様と出会う前は、愛する人との子供を望むだなんて夢のまた夢だった。
何とか結婚してくれる人をさがさなければ私には居場所が無い、そう思い詰めていた。
もうそんな思考も遠く懐かしく感じる。
「ジュリ様?」
「あっ、えっと……ネレウス様の才能は素晴らしいですが、ずっと頼れるわけではないですものね」
彼との子作りについて深く考えてしまいそうになって慌てて早口になった。
「ティーレ様は何か仰ってましたか?」
「早急にレドニェツについて実験を進めるようにせっつくと。お父様なら王族に直接進言出来ます」
「そうですか……よかったです。市場に出回る量は多少減ったようなんですが、まだ使われてますからね……化粧品だけではなく、絵の具とか質の悪い酒とかにも入ってるようで」
他領で製造されている商品の成分を規制するには、やはり王族に命じてもらわないといけない。
今回我々を攻撃してきた“敵”は、レドニェツや他の弱毒を利用して暗殺を行ってきた可能性が高い。王族も暗殺の対象になり得るのだから見過ごせない。ネレウス殿下から事の次第は伝わっただろうから王家も調査しているだろう。黒幕に繋がる証拠が掴めればいいが。
「おほん、失礼、わたくし少々お手洗いに……五分ほどは戻りません」
モリーがわざとらしい棒読みの台詞を口にして、デウス様の侍従に目配せした。侍従は一瞬眉を寄せたがすぐに真顔になって軽く息を吐き「私も少々失礼致します。……五分」と彼に言ってモリーと一緒に退室した。ぽかんとしている私と彼を二人きりにして。
「……ご、ごめんなさい、モリーが」
「いえ。モリーさんは本当によく出来た侍女でいらっしゃいます……そういえば、既に魔力耐性の研究にも協力してくださってるんでしょう? 後でお話を伺いたいです」
デウス様は照れくさそうにしつつお茶のカップをテーブルに置き、立ち上がった。
彼はまだだが、モリーは私が学院に行っている間に既に王立研究室に何度か訪れている。髪を少しだけ切られたり軽い魔法を使って見せたり、何かを測る道具を持たされたりしているらしい。
――――初めて口付けをした時と同じ、五分間の猶予。
婚約パーティーの時は仮面を外すからという口実で見ない振りをしてもらったが、今日は仮面をしていないからモリーはあんな手段に出たのだろうか。驚いたけど有り難いことは有り難い。何かご褒美を出そう。
派閥の結束を高める重要な会の前に、こんな、不埒というか……愛欲に溺れるような触れ合いをしてしまっていいのだろうか、と思わなくはない。でも侍女と侍従が与えてくれた貴重な時間を無駄にすることもあるまい。
彼が近寄って来て、私も徐に立ち上がった。馬車にいる時は座っているから意識しなかったけれど、前回より顔と顔が近い。彼も少し伸びたようだが、私の背が伸びたのだ。互いに大人に近付いた。
婚約パーティーの時と比べると彼の顔の幼さが薄まったのがわかる。それを少しだけ寂しく思いつつ大人びた輪郭に胸が騒ぐ。
「……大人っぽくなられました」
彼がそう言って私の両頬をそっと手で包んだ。同じようなことを考えていたらしい。
「もう、子供ではありませんわ」
「っ、も~~~だからそれ、ダメですって……」
彼がサッと赤くなって口元を隠す。わざとだ。だって嬉しい、彼が私に色気を感じてくれているだなんて。
今日のドレスは今までの物よりも少し襟ぐりが深い。胸の谷間が見えるほどではないけれど上から見たら膨らみが目立って見えるのではないだろうか。地味に続けていたマッサージが効いたのか、ここ一年くらいで胸も結構育った。同年代と比べたら大きい方ではないかと思っている。
普段は訓練で揺れないように固定する下着で押さえつけているが、今日は柔らかい胸当てなので感触が伝わる。彼もそれに気付いたようで体を寄せると固まってしまった。いつもはどちらかといえば私が照れてばかりなので何だか楽しい。
……強請るように見上げたらどこか困ったような顔の彼から、口付けが落ちてくる。
※※※
「――――~~~~俺の耐久力を試さないでいただけます!?」
深い口付けを終えた後、彼はしゃがみ込んで頭を抱えてしまった。
「えっ。あっ、試したつもりはなかったのですが、大丈夫ですか? ごめんなさい……」
「今ちょっと立てない事情があるので少々お待ち下さい……いえ、ジュリ様は悪くないです。俺が悪い」
赤くなりつつ悔しげに目をぎゅっと瞑って、長い足を折り畳んでいる。申し訳ないけれど妙に可愛らしいと思ってしまった。
そこで彼の手に白粉がついているのに気付いた。
「御手に白粉が……拭きますわ」
「あ、ありがとうございます……」
魔法で少しだけ水を出してハンカチに含ませ彼の手を拭く。ドレスだと布がかさばってしゃがむのが難しい。かなり前かがみになってしまった。すると彼の視線がすぅっと私の胸元に吸い込まれたのがわかった。ちらと目を向けると谷間が見えてしまっている。
「ひぁっ、失礼しました」
「いえ、こちらこそすみませんついガン見してしまって」
「で、デウス様は見てくださっていいのですよ、だって、婚約者、ですもの……」
意図せず見せつけてしまった恥ずかしさから、口からそんな台詞が出てしまった。
最近、お茶会でお話する婦人達から『若い男性はそういう欲が強いから我慢出来ずにいやらしいことをさせてくれる女性に靡く』とか『正妻は大きく構えていればいい、そういう浮気は欲に流されているだけだから本気にはならない』とか『怪しい時はちゃんと釘を刺しておくことも大事』とか、色々な意見を聞く機会が増えた。デウス様が女性好きであると噂されているから、浮気を知った場合の心構えをさりげなく伝授してくれているつもりらしい。
浮気なんて考えたくないけれど、婦人達がそうまで言うのだからやはり男性の性欲は誘惑に弱い側面があるのだろう。本気でないなら、遊びでなら、他の女性に触っていてもいい……とは、昔の自分なら思えても今の自分には難しい。すっかり彼に甘やかされてしまったから。
「あ、あのっ、……触って、みますか……?」
そこまで大胆なことは出来ないけれど、胸を触られるくらいだったら……それで彼を繋ぎとめておけるなら安いものだと単純に思う。
――――しかし私の胸にそこまでの価値があるだろうか、とも考えたがひとまず出来ることからやるべきと判断し、思い切って提案してみる。彼は今までで一番かもしれないくらいに目を瞠って驚いていた。
「その……ものすっっっごく魅力的なお申し出ではあるんですが無理に俺を喜ばせようとしなくても大丈夫ですよジュリ様」
「っ、ごめんなさい、はしたなかったです……」
「いや俺の前ではしたなくなってくれるのはマジで大歓迎なんですけども、ジュリ様が嫌がることはしたくないですし結婚まで我慢出来ます、出来る予定ですので無理しなくても」
「無理はしていません、デウス様に触られて嫌だったことなんてありませんから……これからも無いと思うので……」
モリーや気の許せるメイド以外に服で隠している部分を触られるのは勿論嫌だけれど、彼になら触られてみたい、触ってほしいと思ってすら、いる。流石に破廉恥過ぎて引かれるかもしれないからそこまでは口にしないが……。
「だから……試さないでって言ってるじゃないですか……」
彼は耳まで赤くなり、つむじはますます沈み込んでしまった。機が悪かったようだ、すっかり困らせてしまった。侍女と侍従が戻ってきてしまい、何事かと心配されたが何とも答えられなかった。




