脛疵
今妊娠中のリリエに付いている治癒師のファルマ。二十代、灰色がかった明るい青髪を三つ編みにした垂れ目の女性でのんびりした印象の人だという。俺はまだ会ったことが無い。
彼女はスカルラットから割と近いムラヴェイ領男爵家次男坊の嫁で、週四で通ってくれている。旦那はムラヴェイ男爵領の騎士。学院卒業後ほどなく結婚したが、結婚後も治癒師の勉強を続けつつ働いていた。妊娠して休業し、一人男の子を生んで今四歳。昼間の子守をメイドに任せてまた働く先を探したいと思っていたところシャムス邸を紹介された。産休・育休明けって感じかな。
…………ムラヴェイ男爵家といえば。
初めてののど自慢大会において、マリアに嫌がらせしようとしてファイト一発寸前までいった男爵令嬢フローラの生家である。
結婚前に男と肉体関係を持ってしまった素行不良令嬢で、一時的にソフィアと同じ修道院に入れられていた。俺の名前を勝手に使って人を脅迫した事実をティーグ様と男爵家に報告した結果、俺と伯爵家には丁寧な謝罪の手紙が届いた。厳しい修道院に移されたと聞いたが、その後どうしたのかは聞いていない。
ファルマを雇った報告を受けた時にちょっと気になったのでフローラ嬢が今どうしているかポーターに訊いてきてもらった。
ポーターによると、ファルマはもしやスカルラット家に迷惑をかけた令嬢の親族だとわかってクビになってしまうのかと最初ビクビクしていたがそうではないと言うとほっとしていた。
息子しかいなかったムラヴェイ男爵家の末の娘がフローラで、見目も良かったことからつい甘やかしてしまい、男爵夫妻は後悔している。あの後貴族籍は取り上げられ厳しい修道院で心身を叩き直してもらい、とある富豪の隠居の後妻に入った。ファルマ自身はそう聞いたというだけでほぼ顔を合わせたことはないと言う。
富豪の嫁なら悪い縁談ではない――ように思えるけど、隠居の後妻ってのが……スケベ爺に売られたイメージなんだけど……。
まあ普通に楽しくやってるかもしれないし悪い方向には考えないでおこう。
俺はふと気になって、少し迷ったけど思い切ってポーターに尋ねた。
「……クロエが今どうしてるか、知ってる?」
昔俺をエロい意味で襲おうとして逮捕されてしまった、メイドのクロエ。ポーターの親戚。
動揺するかと思ったが、ポーターは冷静だった。
「とっくに釈放されて他家で奉公しています。マルタも一緒の職場です。旦那様の推薦状のおかげで周囲から悪い扱いを受けることも無いようですし、元気にやってるようですよ」
「……たまに会ってるの?」
「会うことはあまり。時候の挨拶程度の手紙を時々やり取りしています」
「そっか。……元気なら、良かった」
ティーグ様もポーターも気を遣って教えなかったんだろうが、教えてくれても良かったのに。俺も気が引けて今まで聞けなかったんだから人に文句は言えないけど。
※※※
シャムスの弟子だったのはコレリック家のお抱え治癒師のルシエルという女性で、真っ直ぐな銅色の髪を持つ真面目な美人だが未だ独身だという。ルシエルがファルマにシャムス邸の仕事を紹介した。
ファルマは元男爵令嬢。元平民に仕えるのは不服に思うかもしれないと危惧していたが、ファルマはリリエを奥様と呼んでちゃんと丁寧に接している。
コレリック家が孤児を奴隷として売っているかもしれないという疑いを知ったリリエは、その疑いについては言わずに、かの家について何か知らないかとファルマに尋ねた。表向きは仲良くしているコンスタンツェ嬢のライバルであるメオリーネ嬢が気になるという方向で。
「コレリック侯爵家ですか……特に目新しい情報は何も。でも、メオリーネ様に仕えてからルシエルは随分疲れているように見えます。以前はよく王都で会ってお茶をしていたんですが、誘っても断られることが増えて。忙しいと言ってましたが、コレリック侯爵家のような大貴族でそんなに頻繁に治癒師の出番があるものでしょうか? 騎士団付きならともかく貴族家に仕える場合忙しいとはあまり聞かないんです。それが少し妙ではあるのですが、仕えている家の事情は話せないものですし、どうにも出来なくて……」
そう言って友人を心配していた。
貴族家のお抱え治癒師は薬を作って管理したり呼ばれたらすぐに駆けつけることが仕事で、割と空き時間があるので最新の薬や医療を勉強したり弟子に指導をしたりしているらしい。簡単に治らない病人(生まれつき体が弱いとか治癒魔法でも完治しない病はある)や体調が不安定な妊婦がいるなら忙しいこともあるだろうが、コレリック家に病人や妊婦がいるという話は無い。表向きは。
ルシエルは優秀な弟子だったそうで、そんな彼女が病人もいない家で頻繁に疲れているというのはシャムスとしても不可解に感じた。
リリエからその話を聞き、シャムスはルシエルと接触を試みた。
※※※
王都の富裕層向けのカフェで、ファルマとルシエルが合流。そこへ偶然を装って店に入っていった。
「おお、ファルマにルシエルか。偶然だな」
「……シャムス師匠!? どうしてここに……」
「茶を飲みに来たに決まっているだろう。こちらは友人のバドルだ」
微笑んでバドルが軽く頭を下げると、ルシエルは驚いた後微かに怯えたような顔つきになったという。
「滅多に無い機会だ、相席しても構わんか? なに、長居はせん」
「勿論です、どうぞ~」
ファルマに頼んで王都のカフェに呼び出してもらったのだ。シャムスが来るのを知っていたファルマが快諾し、四人座れる席に移る。
「礼状も出したが、改めてファルマを紹介してくれたこと礼を言う。息子の嫁とも仲良くやってくれている」
「私も良かったですわ。奥様もロージー様もお優しいですし、マリア様は麗しくて目の保養ですし……使用人も皆親切で、理想的な職場です。ルシエルからシャムス様は厳しいお師匠様だと聞いていたからそこが一番不安だったけれど、まだ叱られてはいないわ」
ファルマが笑ってそう言うとルシエルがぎこちなく笑い返す。
「それなら……良かったです」
「ルシエルは随分忙しくしているようだと聞いたが、弟子でも取ったか?」
「いえ……まだまだ未熟ですから。弟子なんて」
「そうか? 君なら教える立場に回ってもいいと思うがな」
「……シャムス師匠、何だか穏やかになられましたね」
「……丸くなったと、最近知り合いに会うと言われるな。そんなに変わっていないと思うが」
シャムスはお品書きに目をやると同時に、右手から小さなメモをルシエルの方に滑らせた。
「果物のパイがあるな。ルシエルは甘いものは好きだったか? 頼むか。奢るぞ」
『表情を変えるな
今 お前は見張られているか?
違うなら 断れ』
メモを読んだルシエルは一瞬体を強張らせたが、言われた通り微笑んだ表情を変えずにそのままお茶を飲んだ。
「……そうですね。せっかくですからお言葉に甘えて、ご馳走になります」
※※※
ルシエルがコレリック家から見張られていることがわかった。
というかファルマの話を聞いた時点で『ルシエルはコレリック家で何かよろしくないことをやらされている=外出が減っていることから考えても見張られている可能性が高い』と思い至ってメモを作ったシャムスの行動に感心する。
休日の治癒師に見張りを付けるなんて、よほどバラされたら困る秘密を知られているのか。
俺の楽師としてそこそこ有名なバドルを紹介されて怯えたのは、俺派つまりシレンツィオ派の者と接触したとコレリック家に思われるとまずい、と恐れたのかもしれない。シャムスとは師弟関係だったから会っても不自然ではないが、バドルにその言い訳は使えない。
皆でパイを食べて老人二人は早めに退店。
表情コントロールは貴族の基礎教養。ルシエルの前では我慢したようだが、シャムス邸に戻るとファルマは取り乱した。
「み、見張られているってどうしてですか?! ルシエルが……なんで?!」
世話をされる側である筈のリリエがファルマを宥めて落ち着かせるのを頑張ったそうだ。
「――――隠れてけしからんことをしている家であることはハッキリしましたな。証人としてルシエルをこちらで確保することが出来れば事が明るみに出るでしょうが……証拠が無いと裁くのは難しいでしょう。……一体治癒師に何をさせているのか……」
バドルと一緒に音楽室に来たシャムスがゴゴゴゴ……と効果音が付きそうな恐い顔で報告してくれた。
メオリーネ嬢が住むコレリック家の邸宅は王都にある。生活の拠点を領地と王都両方に置く貴族は結構いる。自白薬の使用条件緩和が成立して、証言だけでも得られたら怪しい奴に自白薬飲ませて詳しく取り調べ出来るようになるんだけどな~……。
ダフネー大臣が進めてくれてはいるだろうが、法律を変えるのは簡単ではない。まだ時間はかかるだろう。
嘘を吐いて見張られていることを隠すことも出来たのにルシエルがそうしなかったのは、後ろめたい気持ちや助けてほしい気持ちがあるのだと思う。しかしこれ以上接触すると彼女が裏切り者だと思われて危ない目に合うかもしれない。
うーむ、他に何が出来るだろうか……と考えていると、ロージーの証言を報告しておいたネレウス様から驚きの報告が来た。
『そちらの楽師の証言の者と同じ人間かは不明だが、コレリック家にノトスという下男が存在する』――――と。




