余韻
【Side:ジュリエッタ】
私の勝利をオルデン先生が宣言した声を聞いて、剣先をニフリート先生の鼻先からずらし地面に突き立てた。
正直握力が限界に近かった。ほんの少し刀身を交えただけなのに攻撃の重さにやられて。突出した武の才があるのは間違いなく、性格に多少問題があっても周囲が許してしまったのは無理もないかもしれないと思う。
デウス様が一度しっかりと先生の攻撃を防いで見せた、視界の開けた透明な盾と……屈強な騎士でも腰を抜かすほどの魔力の威圧。この二つが無ければ勝ち目はなかっただろう。
「……実力で勝ったとは勿論思っていません。わかっていただけたでしょうか、先生」
「っ……?」
「貴方が正しくなかったということをです」
実力が拮抗しているか不利な方が決闘に勝ったとなると、神の審判が下ったという見方がある。明らかに強いと思われる方が勝ったらそうは思われないが、私と先生では私が勝つと思っている方が少なかっただろう。
「わかっていただけたんではないかしら。この顔を堂々と晒せばいいと仰ったご自分の浅はかさを。いいですか? そんな言葉は、この顔を見て、笑って、愛を囁いてみせるくらいのことをして初めて口にしていいことなのです。それが出来る人の言葉でないのなら、わたくしは赦しません」
怒りを込めた声で少し顔を寄せると、ニフリート先生がグッ、と喉に声を詰まらせる。
「まあ、彼はわたくしの意思を尊重してくれるのでそんなことは言いませんが……。貴方もニネミア嬢も、自分が正しいと思い込んでいる節がございます。改めた方がよろしくてよ」
ようやく、少しは堪えたのではないだろうか。そう思って体と盾をどかす。すると先生が「ごふッ……」と呻いて首を横に寝かせ、――嘔吐してしまった。
やっ、……やり過ぎた?!?!
眩暈で立てなくなったくらいかと思っていたら、まさか吐いてしまうとは。俄に申し訳なくなっておろおろしているとデウス様が駆け寄ってきてくれた。
そうだ、急いで仮面をしなければ先生を救護しに来た人まで私のせいで患者になってしまう……!
慌てて手を伸ばすと彼は先に鞘を差し出してきた。剣を納めて顔を上げると、不意に体が温かさに包まれる。
「えっ!? デっ……?!」
抱き締められていた。普段はやんわりと抱き寄せられることが多いので、ぎゅうっと強く抱き締められて狼狽えてしまう。嫌ではないのだけれど、今、こんな所でこんな時に?! と驚いて固まった。
ふっと力を抜いて彼は私の痣のある頬を片手で覆い、顔を鼻先が付くくらい近付けた。
「……お強いのはわかってますが、心配は心配ですから……」
そう囁いて、眉を下げて笑った。目尻に少しだけ涙が溜まっているのが見えた。目に砂が入ったか、それとも安堵か。
自分で想定していたよりも心配させてしまったようだ。
ニフリート先生の攻撃を受けた彼を見て血の気が引いた私と同じ思いをさせてしまっていたかもしれない。決闘を決めたことは後悔していないが、後でちゃんとお詫びしなければ。
――――そ、それにしても、びっくりした。こんな大勢が見ている前で口付けされてしまうのかと思った……。
彼が顔を近付けた時「きゃーっ❤」とシレンツィオ派の人混みの方で令嬢達の歓声が上がったので、もしかしたら遠目からだと口付けをしたと思われているかも……?!
赤面してしまいながらも仮面を手渡されて素早く装着する。
……シレンツィオ派以外の派閥の生徒から向けられていた畏怖の視線が和らいだ。彼がこんな真似をしたのも、もしかしたらせっかく薄らいできていた私の顔への畏怖が復活するのを防ごうとしたのかもしれない。ニフリート先生という強者が吐くほどの私の顔に、騎士ではないデウス様は平気どころか口付けも出来る。彼の異常性が際立ってしまうかもしれないが、敵に回さなければ私がそう恐れるほどの者ではないとも受け取れるだろう。
「お兄様……っ!! お兄様!! 大丈夫ですか、しっかりなさって」
「う……あ、あぁ……」
ニネミア嬢が駆けつけ、スカートが吐瀉物で汚れるのも厭わず兄の頭を慎重に持ち上げて意識を確認した。
彼女自身はそう悪い人ではないと思っている。コンスタンツェ嬢に陰湿な嫌がらせをしているのはおそらくメオリーネ嬢の方だろうと思う。ニネミア嬢は排除するなら正面から堂々と排除しようとするのではないだろうか。それか彼女の側近が先走っているか……。
オルデン先生がニフリート先生を抱え上げ、治癒師も駆け付けて来た。気を失ってはいないようだし先生は心配いらないだろう。
「貴様は公衆の面前で何をしとるんだ」
「別に変なことはしてませんが」
「く、……したんじゃないの?」
「してませんよ」
ハイライン様とリーベルト様に詰められて、デウス様はしらばっくれるように答えていた。実際してないのだがやはりしたように見えていたか。勝利に沸き立つシレンツィオ派の生徒達に「お見事でした」「おめでとうございます!」と声を掛けられ、ありがとう、運が味方してくれました、と返す。透明な盾に興味を示す騎士見習い達も多そうだ。
ユリウス殿下達は私の勝利を見届けてから静かに去って行ったらしい。
ニフリート先生が勝ってニネミア嬢が王子妃に一歩近付いたと思われるのも少々困るし、決闘で令嬢を負かしたと周囲に知られてもニフリート先生が大人げないと思われるだけなのでユリウス殿下は出来ればこの決闘は止めたかっただろう。でも両者が同意した決闘を止めさせるのも禍根が残るからそうも出来ず、落ち着かない気持ちで見ていたんではないだろうか。私が勝ってほっとしてあまり嬉しそうにしてもジャルージ辺境伯家に悪いと思い足早に去ったのか。
周囲を見回すと、アルフレド様に付いて来ていたシルシオン嬢達もいなくなっていた。メオリーネ嬢を擁するパシエンテ派の彼女達にとってシレンツィオ派の躍進は望ましくない。階段落ち事件の不発を経て彼女達のシレンツィオ派への攻撃は難しくなっているが、このまま引き下がるとは思えない……
更衣室で着替え、化粧をし直そうかと思ったが他の人をあまり待たせてしまうのも気が引けて仮面で出ることにした。待っていてくれたデウス様とカリーナ、プリムラと合流する。
「お待たせしました。突然のことで……皆に心配をかけてしまいましたね」
「そうですわ、心配致しましたわよ。でも御立派でしたわ!」
「確かに驚きましたが、ジュリ様の勝利をもってニネミア嬢を推す勢力は弱まるでしょう……有意義であったと存じますわ」
カリーナとプリムラがそれぞれ労ってくれて息を吐く。
「デウス様も……ごめんなさい」
「いいえ。御無事で良かったです」
いつも通りの笑みを返してくれる。寸止めだった先程を思い出して唇を見てしまった。……周りから、した、と思われているのだから本当にしてくれても良かったのに……なんて、はしたないことを思ってしまう。
女子二人と別れて馬車までデウス様と手を繋いで歩く。
この後、馬車でなら……あ、でも今は仮面をしているからし辛いかもしれない。馬車に入って急いで外せば……いや、そんなのはあからさまで必死過ぎるかしら……?
どうしようかと悶々としているとすぐに馬車が来て、乗り込む。彼も迷いなく乗り込んで、御者もいつものことだから声がかかるまで出発しようとしない。
座って私の方に体を向けた彼が目を狭めて薄らと笑った。
「……解いていいですか?」
いつの間にか彼の手が、私の頭の後ろの仮面の紐を手に取っている。
質問しながらも有無を言わせない響きに、心臓を暴れさせながら「はっ……はい……」と答えるしかなかった。




