奏でよ乙女
【Side:リリエ】
「…やさしい方ね、アマデウス様は」
私とザーラのいざこざのせいで大事な演奏会初日の予定が狂ってしまった。
責任を感じざるを得ない私に「君のせいではないとちゃんとわかってるから、気にしないで…と言いたいところだけど気にはなるか。でも今はひとまず、舞台を成功させることだけ考えよう」とアマデウス様は言ってくれた。
怒ったりイラついたりする様子は全く見せず(焦ってはいるけど)マリア様に休めと言い渡し、自ら代役に… 若いのに感情の切り替えや制御がしっかりしている。
私は動揺しっぱなしなのに。
「そうだろ。良い方なんだ」
ロージーはそう言って私の片手を握った。手の震えが一旦納まる。
「…俺の『フレズタオ』は、リリエのことを思い出して選んだ歌だ」
手にぎゅっと力を込めて、彼の灰色の目が私を見つめた。色々と彼は変わったけど、その目は昔と変わっていない。
フレズタオの歌詞を思い出す。私を思い浮かべて選んで歌ってくれていたのなら、こんなに嬉しいことはない。
「…そうなの?」
「ああ。…大丈夫だ、うまくいく」
勇気づけようとしてくれているのがわかって微笑み返した。
舞台の上には咲き乱れる白い花が描かれた布が飾られている。歌によって違う色の光で照らされて雰囲気が変わるのだ。
魔石、という物を使って舞台を眩しく照らす光が出る箱が天井にある。合図を受けてそれを動かす係も。火は灯っていないのに光る道具を貴族の家で見たことはあったけど、こんなに光量があるのは驚いた。ロージーに訊いたら「あんなに光らすには結構金がかかってるらしい。デウス様にとっちゃそこまで気になる額じゃないみたいだけど」と。
初めて見た時は圧倒された。でももう見慣れて、綺麗だなと感動する余裕がある。
震える必要なんてないんだと鳩尾に力を込めた。
『会場のお客様にお知らせします。歌い手の一人、マリアが準備中の事故により負傷致しました。命に別状はありませんが、本日は欠場致します。代役が出場致しますが、歌姫マリアの出る後日に改めて来場することをご希望の方は、これからの15分以内に受付に来て下さい。退場するのであれば、入場券の代金をお返しします。繰り返します……』
客への周知を行って少し開演時間を遅らせてから、ついに幕が上がる。
ざわつき迷っている者も多かったようだが、退場する客は僅かだった。
※※※
拡声器を通したシイア夫人の声が『一番手歌姫ソフィア、曲は“セラスオムの時”』と簡素に紹介する。
衣装が汚れてしまったが、上衣は無事だったので踊り子のスカートに花の飾りを大急ぎで縫い付けた物で間に合わせた。白い上衣に薄紅の花が散る黒のスカート、花と同じ色のリボンで髪を結っている。そういう格好をしていると修道女見習いということを忘れる。
とても親切で気の優しい彼女は、仲の良いマリア様が害されてしまって私よりも動揺しているんじゃないかと少し心配したが―――その佇まいは事前練習よりも堂々としていた。
♪【―――もう少しだけ、信じる力を私に!】
曲の中盤には薄紅色に照らされた花々を背景に、舞台の上方から様々な花の花弁が降りそそぐ。わぁっと客席が舞う花弁に歓声を上げた。風を起こす道具に吹かれていて楽器隊や歌手を花弁が邪魔しないように調整されているという。掃除は大変そうだけど。
春の草原のような光景の中で幸せな未来を祈り歌う。
恋をしたことがある人も無い人も、歌の中の少女に共感してしまうくらいに恋する乙女の顔に見えた。
一度照明が暗く落とされ、舞台の人間が入れ替わる。
二番手がロージーの『フレズタオ』。
淡い水色の照明に照らされ、青い花が咲き乱れる背景に。
聴いているだけだとあまりわからないが、この曲は上手く歌うとなると割と難易度が高い。男性が歌うには全体の音が高いのだ。しかし歌いやすいように下げると少々暗い雰囲気になる為、あまり下げられない。急に上がる所もあるので音程を取るのも難しい。女性の方が歌うのは楽だと思うが、そこは歌手の腕の見せ所だ。ロージーも最初は少し苦戦したと言っていたが、歌いにくそうな様子はもう微塵も見せない。
♪【 ――ささやかな幸福を精一杯に抱き締めて …―】
空色の上衣に水色の蔦模様が入った黒い下衣で、リュープを弾きながら歌う。
次が出番だから舞台袖に控えなければいけなくて、幕の隙間から見ることは出来なかったが。旋律に乗る甘い声にうっとりと浸る。割と口下手なロージーに歌で愛の言葉を紡がれると体の芯が溶けそうになる。
いいでしょう素敵でしょう、もうすぐ私の旦那よ。私もまだたまに信じられないわ。
歌が終わり演奏は少しずつ小さくなり、照明が空色、紫から紺へ。天井から伸びた白い光が星のように絵を照らし、瞬き、夜空色へと変化して暗転。
そして『恋』。
照明は柔らかい黄色に変わる。マリア様は黄色の上衣に金の刺繍が入った白の下衣(細身の男物)だったが、アマデウス様は白の上衣に黒の下衣だ。下衣には両脇に銀の細長い四角が並んだような刺繍が入っている。何の模様かと思っていたら得意楽器ピアノの鍵盤らしい。そういえば似た形の耳飾りを付けている。鍵盤の形だったのかと腑に落ちた。何故か片耳だけだけど。
元々演奏者として出る予定だったので衣装はそのまま。彩度の低い服の方が彼の赤い髪が映える。
黒い服が流行ったのはごく最近のことで、初めは違和感があったがもうすっかり見慣れた。黒って細く見えるのに存在感があるし他の色が際立って良いわ。
『本日は歌姫マリアに代わって私、アマデウス・スカルラットが歌い手を務めます』
拡声器で彼がそう言うと「えっ!?嘘っ」「アマデウス様が歌うの!?」「おお~~~!!」「今回は演奏だけじゃなくて歌うんだ!?」「きゃ――――っ!??!」と客席が大層盛り上がった。主に女の子たちだが野太い男たちの声援も混じっている。信奉者の幅、案外広いな。
主に貴族が使っている露台席は静かだったが、結構な数の令嬢が前のめりになったのが見えた。
…リュープで曲の大事な部分を多く担当しているアマデウス様がこの土壇場で歌まで熟すのは厳しいと思う。そもそもこの曲のリュープの演奏難易度が高い。少しはリュープが弾ける私でも到底無理、というか多分アマデウス様しか弾ける人がこの楽器隊にいない。だからどっちもやるしかない。
さっき一度だけ急いで通しでやった時はリュープの演奏で何度かミスがあった。初見なら気にならない程度だと思うけど……
私たち踊り子も位置について、演奏が始まる。
♪【 ――― 醜いと 秘めた想いは色付き 白鳩が空へ運ぶ … 】
アマデウス様の歌は充分上手い。
美青年(※見た目)の色香が滲むマリア様と、少年らしさが残る清々しい歌声のアマデウス様、やはり歌い手が変わると印象が変わる。結婚を控えた大人の恋と少年少女の初恋くらい雰囲気が違った。
彼は本番に強いのか、演奏は――― 完璧。
急拵えで、ほとんど指を見ずにあの演奏が出来るのか…と尊敬を通り越してそら恐ろしく思った。
踊り子にも注目されているのを感じる。黄色い上衣に黒のスカート、ひだの揺れまで揃うようによく練習したのだ。自分からは舞台全体は見えないけど、おそらく他の踊り子のミスもなく。
大きな歓声と光に包まれながら礼をした。
そしてスザンナさんの『麦の唄』。
一度舞台袖に捌けたアマデウス様はまたすぐに笛の演奏者として出て行かなければいけない。
ラナド様がさっとコップの水と手拭を手渡し、「お見事でした!流石は神の愛し子でございます」とうっとりした面持ちで讃えていた。
ラナド様はシイア夫人の旦那様。きびきび動くしっかりした人と思っていたが…あんな面があったのか。ちょっとびっくりした。
「ハァ、ありがと、何とかなって良かった…―――ぷは、ん、行ってくる」
「いってらっしゃいませ」
軽く額の汗を拭って飲み干した後、表情を崩さない侍従が彼に笛を手渡す。
背景は黄緑色に照らされる。
白い上衣、足首まである黒いスカートの上の薄い緑のエプロンには金で麦の刺繍が入っている。濃い緑のリボンで髪を後ろにまとめたスザンナさんが、笛の前演奏を聴き入るように目を閉じ、開き、歌い出す。
♪【 ――伝えて私の故郷へ ここで生きていくと …】
彼女の悠然とした声が音楽とコーラスと共に荘厳に響いた。
後半は少しずつ緑から黄色に照明の色が変えられていく。季節の進んだ麦畑のよう。自然、日々の暮らし、愛する人への慈しみに溢れる詞。
幕の隙間から客席を覗くと、聴き入って涙を流している客が何人も見えた。
長い拍手が止んだ頃を見計らって楽器隊が今までの曲のテンポを落としたもの(歌無し)を演奏する。
4曲終わった所でアマデウス様が舞台に出て礼をし、ピアノの前に座った。
曲は『乙女の祈り』。
一つ一つの音が澄んでいるのに流れるようで、月明りの下で祈りを捧げる乙女の情景が浮かぶ、美しい音色でございました―――
……とは、演奏が終わった後にラナド様が拝むようにしてアマデウス様にかけていた言葉である。
アマデウス様のピアノの音は素直に美しい。踊り子も数人すっかり彼のピアノの信奉者になっていて、抱かれてみたい・遊ばれてみたい・寝台に忍び込めないかしら・あれだけ器用な指ならきっとあっちの方も… なんて練習の時にはしゃいでいた。私は歳が離れているしそんなことは考えないが、素直にモテるだろうなと思う。
クラブロやピアノの難しさは弾いたことが無いのでわからないが、この優雅な音を生み出しているのがあの快活な少年の指だと思うと感心する。心酔するのもわかる気がした。
最後に舞台に勢揃いして頭を下げる。
大きな拍手の音で空間がいっぱいになり、達成感と安堵が込み上げて来た。照明の熱が舞台を温めて熱い。汗が喉を伝った。まだ公演は何日も続くけれど今日が成功に終わって本当に良かったと涙ぐんだ。
中央にいるアマデウス様はふと一点の方向に目を留め、徐に二本の指を唇に当てて、スッとその方向に投げる仕草をして蕩けるように笑った。
―――― なっ… 投げキスだ―――!!!!!!!!!
チャラい!!!!!!!
でも か、かわいい――――~~~~~~~~~~~~~…!!!!!!!!!
笑顔が無邪気なので嫌味ったらしさが無く、謎に爽やかだった。
…ッキャ――――――――――――――――――――!!!!!❤❤❤ という悲鳴のような歓声が客席から飛んできて思わず目を瞑る。投げキスは特定の誰かに投げたようだったからその方向に目を遣ると、露台席にいた令嬢(遠いので顔はわからない)の一人がフラッ…とした。両脇にいる令嬢が慌てて支えていた。倒れそうになってた???大丈夫???
アマデウス様はにこっと笑って全体の客席に手を振り、改めて深く礼をした。
※※※
「何をしているんですかデウス様…また女誑しの異名に拍車がかかりますよ」
アマデウス様の侍従…ポーター様だったか、が手拭を渡しながら渋い顔で言った。
「えっ?何かダメだった?!」
「もう少し南方の国だと割とよく見ますが…こちらではあの口付けを投げる仕草は滅多にしないですね。気障な遊び人がたまにするくらいでしょうか。貴族でする人は…いるかどうか」
バドルさんが困ったように笑いながらそう言った。そういえばこの国だと見てないかも。見目の良い芸人は結構客に向けてするんだけど。
「ちょっと興奮してて…ジュリ様が見えたから」
「まあ、婚約者のご令嬢に向けたことは貴族の方々にはおわかりでしょう」
ああ、あの指の先にいたのは婚約者だったのね。
客が捌けた頃、受付をしていた伯爵家の使用人が「あの…少しだけ面会したいと。ジュリエッタ様です」とアマデウス様に伝えた。彼は「えっ!?…今行く」と言って客席の入り口に向かった。忙しい時に来られるのも困るかと思うけど、その横顔は少し嬉しそうだった。




