甘い豆
【Side:レクス】
「お、お初にお目にかかります。レクスです」
「初めまして、レクス君。君の御母上の雇い主、アマデウス・スカルラットです」
習いたてのぎこちない敬語と礼。悪い意味で笑われるかもと思っていたが、初めて会うその人は朗らかに笑った。
シャムス邸に連れて来られ、住み込みで働き始めて数カ月。
最初は怒らせたら恐ろしいことになりそうで近付きたくなかった主のシャムス様もそうそう怒りはしないとわかったし、邸宅の住人も使用人の先輩も皆親切だ。伯父よりもよっぽど。
知らない人と住むなんて、と反発を覚えていたのだがめっちゃ大きい家なので部屋は別々だし、俺と母さんにもそれぞれ部屋が与えられ、他人と住んでいる居心地の悪さなどは無い。流石に母さんとは一緒だと思っていたので驚いた。邸宅の中では小さい方の使用人部屋とはいえ自分の部屋があるなんてすごい贅沢だ。時々少し寂しいくらいに。
厳しそうなシャムス様と柔らかい物腰のバドル様の老人二人は、全然違う印象なのにいつも一緒に穏やかに話したり楽器を弾いたり何か書いてたりと仲が良い。昔からの友人だそうだが時々驚くほど距離が近い。ぶつかって倒れないか心配になる。
楽師のロージー様。
シャムス様の養子ということで貴族だが、「女性に言いにくいことがあれば私に何でも言え」と言葉をかけてくれた。無愛想だが良い人だ。近々結婚するらしく、婚約者の女性が何度か訪れていた。のど自慢大会で3位だった人だ。正直化粧してないとブスだったけど、明るくて良い人そうだった。結婚したらこの家に住むみたいだから良い人だと助かる。
同じく養子のマリア様。
初対面で、男の俺でも惚れ惚れするほどの美青年だ… と思ったら「一応言っとくけど女よ」と言われ驚いた。固まった俺に「男に言い寄られるのが嫌いだから好きで男装してるの。スザンナには親切にしてもらったから、あんたに親切にする予定よ。よろしく」と笑って握手してくれた。
そして住人ではないが家によく来る同じく楽師で修道女見習いのソフィアさん。
いつも明るく挨拶してくれて、困ったことはないかとやさしく声を掛けてくれる。他愛ない話が出来て有り難かった。町では“聖女さま”なんて呼ぶ人がいるくらい慕われているらしい。顔は普通だけど笑顔が可愛くて安心出来て、正直少し好きになってきている。
嫁に来てくれないかな~でも修道女だしな…なんて思いながら話していると、少し離れた所でマリア様がすごく嫌そうな顔でこっちを睨んでいた。ソフィアさんへの下心を悟られたのだろうか。自分にではなく他の女に男が言い寄るのも嫌…とか?よくわからない。ちょっとこわい。
演奏会本番が目前ということで皆忙しそうだ。
……しばらく話していない母さんも。
顔を逸らして「…ん」くらいしか返さないのに母さんは昔と同じように話しかけてる。母さんが俺たちの畑を手放したことを間違ってはいないと思いつつ納得出来ず、未だ新鮮な不満が顔を出す。すっかり意地になって昔のように話すことが出来ずにいた。
そんなある日、雇い主アマデウス様がシャムス邸に訪れたのだ。
邸宅の楽師に母さんとソフィアさんも加えてテーブルに着き、アマデウス様を歓迎してお茶を囲む。給仕は俺がやることも増えて来ていたが、流石にお客様相手となると使用人の先輩がする。俺は食器類を運ぶのだけ手伝った。
アマデウス様が持ってきた『ヨウカン』という菓子を侍従から預けられた先輩が皿に分ける。ヨウカンは四角く切られた茶色い塊だった。味が予想出来ない。細い木の串が添えられている。
一足先にアマデウス様が食べて(持ってきた人が毒見する作法だそうだ)から、皆食べ始める。串で好きな大きさに切って刺して食べている。
「どう?皆の忌憚のない意見を聞きたくて」
シャムス様が真顔で咀嚼し一番初めに口を開いた。
「これは…シャン豆ですか?」
「お、よくわかったね」
それを聞いた皆は目を丸くした。ロージー様が首を傾げてまじまじとヨウカンを見る。
「シャン豆…言われてみれば… そういえば異国で豆を甘くした菓子が売られていたような気もします」
「ありましたね、お菓子を買う余裕はなかったから食べてはいないけれど…あれはパルマブロ国だったか…」
ロージー様とバドル様は吟遊詩人だったって本当なんだ。旅人なんて胡乱な奴らが多いから、目の前の小奇麗な紳士二人がそうだったなんて到底思えない。
マリア様は以前高級娼館の娼婦だったらしいし、アマデウス様の愛人だと思っている人が町には結構いる。でもその噂はいつもにこやかなソフィアさんがキッと目を険しくして否定するので皆あまり口には出さないようになったんだ と酒屋のおっさんが言ってた。
…母さんだって元はその辺にいる平凡な農婦だった。
でも今は大きい邸宅の小奇麗な使用人で、のど自慢大会で優勝するくらいの実力のある歌手。仕草や使う言葉も変わった。
―――何だか母さんが遠くなったみたいで、そう、ずっと食べ慣れていた豆が何故か甘く味付けされて出て来たみたいな、勝手な違和感を俺はずっと感じているんだと思う。
母さんは「うん、甘くておいしいですよ!」と嬉しそうにどんどん口に運ぶ。もう少し遠慮しろ、恥ずかしいなもう。
バドル様が「上品な甘さで口当たりも良いですね。年寄りにも食べやすいかと」と褒める。
ソフィアさんは「豆が甘いというのは変な感じですが…私も好きです。子供も好きな子が多いと思います」と美味しそうにしていた。
「普段は塩味で食べている豆の風味が甘さと一緒に口に広がるのが、あまり好きではない方もいるかもしれませんね…慣れればなんてことはないと思いますが」とマリア様が真面目な顔で言う。
「マリアは苦手寄り?」
「そうかもしれません…しかしすぐ慣れるとは思います」
「はは、別に食べなきゃいけない物じゃないから頑張らなくてもいいよ」とアマデウス様が笑う。その辺の店の兄ちゃんみたいなからっとした笑い方。
「甘いけど甘くなり過ぎないように結構細かく調整してもらったんだ~。私はこれに緑茶を合わせるのが好き」
「ああ、あの少し渋みのある茶には合いそうですね」
「シャムスにはちょっと合わなかったか」
俺にはいつもの無表情にしか見えなかったが、シャムス様の反応が微妙に悪いとアマデウス様にはわかったらしい。
「…不味いとは思わないのですが」
「やっぱり好みが別れるかな。でも予想よりウケは悪くなかったよ。蜜漬けにした木の実とか混ぜてみようと思ってるんだけど…」
音楽の才能に秀でた貴公子だと聞いていたけど、新しいお菓子を作ったりもするのか。貴族ってやっぱ平民とは頭が違うんだな。
和やかな雰囲気でお茶の時間は過ぎた。俺は早く終わらないかなと思いながら静かに控えていた。
※※※
その後何故か母さんと一緒に楽器室に呼ばれ、アマデウス様と挨拶している。
色んな楽器が集められた部屋で、俺はほとんど入ったことがない。掃除もベテランの先輩の役目だ。
改めて目の前にいると、アマデウス様は結構背がデカい。見下ろされているが笑顔は親し気で威圧感は無い。その笑顔の下で何を考えているかはわからないので身構えてしまうけど。
…この人が母さんを雇ってくれた貴族のボンボン。
貴族に雇われたと聞いて想像したのは偉そうなおっさんだったんだけど、全然違った。若くてびっくりだ。
なかなか爽やかな美形だし、化粧で綺麗になったとしてもうちの母さんみたいな年増を愛人にしたりはしないよな…マリア様やソフィアさんならともかく。
直接彼の顔を見てそう思いちょっとほっとした。
「髪の色はスザンナ譲りだね」
「あんまりワタクシには似てないでしょう。旦那に似まして」
母がどこか嬉しそうに言う。水色の髪は母似だが真っ直ぐな髪質と切れ長の目、薄いそばかすは父譲り。俺の冴えない容姿なんてどうでもいいと思うんだが…アマデウス様はしげしげと俺を眺め、ふっと微笑んだ。
「旦那さん良い男だったんだね。…レクス君もヨウカンをどうぞ」
さらっとそう言って俺と母さんをテーブルの方へ促す。こんな平凡な顔を見て何を言ってるのかと驚いたが、―――お世辞でも父を褒められて悪い気はしない。
「えっ、レクスも頂いていいんです?よかったね!あ、でもこの子だけ貰うのも…」
「この家の使用人全員が試食出来る分は持ってきたよ、大丈夫」
アマデウス様の侍従が使用人からお茶の一式を受け取り、皿に並べられたヨウカンとお茶をてきぱきと机に用意した。
俺も食べられるとは。
貧乏農家だった俺にとって甘味は貴重だ。昔は果物か果物の砂糖漬けを時々摘まんだ。父さんが死んでからは口に出来なかった。今は町で安い菓子を買うことも時々あるけど、いつか土地を買うことを考えると貯金しないとだし、あんまり買わない。ただで甘いものが貰えるなんて運が良い。
「良かったら君も感想聞かせてよ」
「い、いただきます。―――…おいしい、です。」
ヨウカンは確かにシャン豆の風味がしたが、柔らかくて甘くて美味しい。緑の茶は慣れない味だが確かにこの甘さには合うような気がする。細かいことはよくわからないけど。
「そう!よかった。子供の意見も聞きたかったんだ。それとー…レクス君はー、ルニ笛が吹けるんだよね?ここにそのルニ笛があるんだけども…??」
スッとアマデウス様の侍従が笛の入った箱を開けて俺に見せる。
……えっ 吹けってこと?!
父さんから教えてもらったことはある。父さんや俺が吹いて、母さんが歌う。天気の良い日や、夕飯後の憩いの時。もう戻らない、いつかの家族の時間。
「もうとんと吹いてないからまともに吹けるかどうか…」と言うと「いいよ!下手でも文句言ったりしないから!さあ!」とにこやかに問答無用だった。目で助けを求めたが母さんはにっと笑って頷いた。『さあ吹け』という顔だ。さあ吹けじゃないんだよ吹きたくないんだよ。
がっかりさせたくないのに…。しかし仕方なく俺は笛を手に取って吹いてみた。
父さんの笛はあの家に置いて来てしまったな。持って来ればよかった。拙くて懐かしい、俺の音色が響く。
「…お~。ありがとう、急なお願いを聞いてくれて」
アマデウス様は嬉しそうに軽く拍手した。特にがっかりもしていない。期待もしてなかったのかな。
「スザンナが今度歌う曲『麦の唄』にこの笛を入れるんだけどさ。吹いてみない?」
「…はっ?!…演奏会に出ろってことですか?」
「いや、次の演奏会には間に合わないだろうけど、もっと先の演奏会で『麦の唄』をやる時に楽器隊で参加出来るかもしれないじゃん?ルニ笛の演奏者ってあんまりこの国にいないから次の会だと私が吹くんだけどね」
「…お給料は出るん、ですよね」
「勿論」
そう聞くと興味が湧いてくる。
「お手本見せておこうか」
アマデウス様が侍従から別の同じ笛を受け取り俺の前で吹いた。
……うっっっま。
俺や父さんより明らかに上手い。そりゃそうか、素人じゃないんだ。
「…こんな感じ。やってみて、レクス君、最初のとこ」
もしや俺に教えるつもりか?言われるまま吹いてみる。「もう少し背中を伸ばして、そう」「息の出し方は強くしたり弱くしたりしない方が良い」「今の音5回繰り返してみて」とか助言を貰いながら練習した。気付くと結構時間が経っている。
いいのか?俺に指導なんてしてる時間あるのかなこの人。
「そうそう、うまいうまい」
そんな俺の戸惑いを知ってか知らずか、アマデウス様は楽しそうに褒めてくれた。
※※※
「スザンナ、これ厨房に届けてくれる?」
アマデウス様の侍従が母さんに差し入れのヨウカンの箱を渡した。母さんはわかりました~と言って部屋から出る。それを見てから彼が俺に目を向けた。
「…レクス君。私は4年後くらいには結婚してシレンツィオ領に移る予定なんだけど、聞いてるかな」
「え、…あ、はい」
それに付いて行くから母さんが土地を探すのもシレンツィオ領になると聞いている。
「スザンナは付いて来てくれるって言ってるけど…4年後には君も大きくなってるから、ここに仕事を見つけて残るとか、実家に戻るって手もあると思う。もしかしたらこの町で恋人が出来たりするかもしれないし」
ここに残る? 実家に戻る? こ、恋人!??!
当り前に母さんに付いて行くしかないと思ってたけど、そうか、4年も経てば俺ももう15…一人立ちして働こうと思えば、出来なくはない。
「…個人的には、君にはスザンナに付いて来てほしいなと思ってる。住み慣れた土地を離れるのは寂しいことだ。それは君も重々知ってると思うけど…スザンナはもう、既にそれを三回してる」
隣国から、この国に来た時。
隣村から嫁いできた時。
…嫁ぎ先から追い出された時。
「私もスカルラットを離れるのは寂しいよ。もう既に寂しい。でも、移った先に大事な人が一緒にいてくれるから、そこを新たな故郷にしたい、出来る、と思ってる。スザンナもそう思って君の父上に嫁いできたんじゃないかな…」
………母さん。
「だから、移った先でスザンナの傍に君がいてくれたらいいなって、私は思ってるんだ。…でもまあ親離れする時を選ぶのは君だから、絶対来いとは言えないけど。もし離れるんだったら…早めに仲直りして、これから4年、仲良くしてあげてほしいかな」
※※※
片付けやらが終わった後母さんの部屋に呼ばれた。
「何だか懐かしかったねぇ、ああやってレクスが笛を教わってるところ。あの人も、『そうそう、うまいうまい』っておだててたっけ…はい、これ。何とアマデウス様がこれをお前に譲って下さるって!」
「ええ?!」
さっき使った笛だ。貰っちゃっていいのか?父さんが持ってた笛ほど簡素じゃない、細かに彫られた装飾がある高価そうな笛。…丁寧に教えてくれたし、本当に俺に演奏してほしいと思ってるんだな。
「…母さん。ちょっと吹くから、歌って」
「………えっ。え?!」
久しぶりに話しかけて来た俺にびっくりしてる母さんを横目に俺は笛を吹き始めた。
母さんは慌ててたが聴き慣れた旋律を聞いて反射的に歌い出す。
♪――― 懐かしい人たち 懐かしい風景 そのすべてと離れたとしても あなたと歩きたい… ~
俺のまだまだ下手くそな笛を聞くように、合わせるように、母さんは小さな声で穏やかに歌った。
「……っ…ずっ」
「!?レクス、何で泣いてんだい?!あ、母さんの歌泣くほど良かった?!」
「ズっ、違うわ。…ごめん」
「うん!?」
「わかってたんだ、母さんだって、いや、母さんの方がキツかったよな、父さんが死んでからずっと…、俺と母さんが元気で一緒にいられる、それが一番だって、わかってたのにさ…」
糞野郎の伯父貴に畑を受け継ぐ権利があったのは仕方ないことで。畑を諦めなければいけなかったのも、俺がどうしようもなく子供だったから。母さんは俺を守っただけだ。わかってたのに悔しくて、認めたくなくて母さんに八つ当たりした。
「…どっちの方が辛かったかなんて、わかるもんじゃないさ」
母さんが苦笑いして俺の頭をぐりぐりと撫でた。俺は涙を乱暴に袖で拭って、久しぶりに真っ直ぐ母さんの目を見る。
住む場所、見た目、仕草が変わっても、母さんは母さんだ。多少小奇麗になったって俺が俺であるのと同じように。
「…シレンツィオに行って、土地を買ったら最初に何から育てようか」
「!そうだねぇ、土にもよるけど、何がいいかね…」




