爪先と楽器職人
のど自慢大会の準備は去年の資料を見てジークが頑張ってくれているがちょくちょく進捗や詳細を確認し、演奏会や楽譜の準備、練習、普段の勉強に薬草栽培からの薬局設立に向けての計画書作りの為の情報集め…も加わって脳内がかなり忙しくなっていた時。
ラナドが神妙な顔で近付いてきた。
「お疲れのところ申し訳ありません…伯爵邸に私とデウス様宛に届いた手紙がありまして」
「ラナドと私宛?」
昨日届いたという開封した手紙を手渡された。それはディネロ先輩からだった。
録音円盤と再生機については急ぎではないので一旦ディネロ先輩に丸投げていたところなのだ。
手紙を要約すると、録音円盤を作る工房の選定についてだった。
丁寧な仕事をする楽器工房や木工工房をいくつかピックアップし、試しに塗料を均等に塗った金属板…彫る前の原盤だな、それを10枚作ってみてもらうことにしたらしい。上手く作れた所に決める為に。
作り方や注意することは伝えてあるが、やはり質にはばらつきがあったり細かい埃や傷があったり。その中で完璧な工房が一つだけあった。
マドァルド工房、王都にある楽器工房。親方はファイス・マドァルドという男性。
ディネロ先輩が正式に依頼しに行った所、依頼を受ける気はあるがその前にアマデウス・スカルラット殿にどうしても一度お目通り願いたい、と頼まれたとのこと。
その際には同窓生であった楽師ラナド・クーストスを共に付けてほしい、と。
「マドァルドって人、ラナドの友達ってこと?」
「まぁ、学生時代からの友人といえば友人…なんですが…子爵家の息子で、音楽好き仲間でした。今は平民に下って楽器職人をしているのですが…少し前に貴族籍を取り上げられたのです」
「取り上げられた?」
この世界の貴族で爵位を継がない者は、自分で仕事をさがして生活しなければならないし貴族ではあるけど子供は貴族学院には通えない。貴族学院に通えるのは爵位持ちの子だけ。
そういう親の子は親の仕事を継ぐか、どこかの上級使用人になったり文官になったり騎士になったり、見目や頭が良ければ爵位持ちと結婚のチャンスもある。それが出来なかったら平民と変わらない仕事にも就くが、貴族籍だけは残る。籍だけ貴族、というのは割と多い。
でもまあ見た目も生活も平民なのに貴族を名乗るのもアレなので、子や孫は平民として生きていくことが多いんだとか。民の出生の記録はそれぞれの町の教会が取っているが、姓を名乗り出なければ貴族かどうかまでは把握出来なかったりもするので。
貴族籍を取り上げられるというのは、何かやらかした証拠である。
去年ののど自慢大会で俺の名前を使ってマリアを脅迫した男爵令嬢がいたが、貴族籍を取り上げられている。軽犯罪者として処理され、別の領の規則の厳しい修道院に移った筈だ。
「…何かやっちゃったの?」
「それがはっきりしないのです。聞いた話だと、お仕えしていた高貴なご婦人に失礼をしたということだったのですが…内容がわからず」
「被害者を慮って内容が秘匿されてるのかな」
「そうかと。起訴はされず犯罪者にはなってないのですが、恥ずかしく思った家が勘当したらしく…」
不倫とか?…性犯罪者…だったらちょっと不安だな…。
しっかり反省してるなら仕事を振ってもいいんだけど。
「ラナドから見てどういう人?」
「……芸術的な素養はあります。詩や文章を綴るのが上手く…職人としての腕も良い。悪い奴ではないと思うんですが、少々変わった男で…性犯罪は…起こしていないとは言い難いというか」
「女性にだらしない感じ?」
「いえ、性別問わず…楽器の上手い方に目が無いというか…多分デウス様に憧れているのだと思います。…お会いになった際に失礼をしないとは言い切れなくて…」
こんなに歯切れが悪いラナドは珍しいな。逆に興味が湧いてきた。俺も腕の良い音楽家には目が無い方だし、もしかしたら気が合うかもしれない。
「わかった。ひとまず会って決めよう」
「…お供します」
ラナドは気が進まなそうだったが、ディネロ先輩に了承の手紙を出し、数日後にマドァルド工房を訪れることにした。
「アマデウス様!!!どうか私に座って頂けませんでしょうか!!??」
結果、興奮にギラついた目をしつつ四つん這いになる30代の男を前に、俺は暫し沈黙した。
※※※
ファイス・マドァルドは黒紫の緩い巻き髪をポニーテールにした優男…だったが、顔に三つ黒子があった。
垂れ目の下と口元、髪の生え際に小さな黒子が一つずつ。
俺の目から見たらイタリア男っぽさのあるすらりとした美形なのだが、残念なことにこの世界で黒子はそばかすよりも不器量の証として少し上なのである。多分色が濃いからだろう。それが三つというと…かなりの不細工として生きて来た可能性が高い。
「嗚呼、申し訳ありません、私のような醜男に近付くのもおぞましいと思われるのは無理もないこと…しかし哀れとお思いになって下さり、私の背中に腰を下ろして頂けるなら至上の喜びにございます。決して私から御身に触れることはありません、それを破った時にはこの舌を切り落としてしんぜましょう!!」
「何を言っとるんだ貴様は……」
ラナドが心底ドン引きという顔でファイスを見下ろした。
どうやら俺はこの楽器職人に背中に座ってほしいと懇願されている。
この部屋には今俺とラナドと彼だけ。指名したからにはラナドは彼の性癖を知っていたのかと思ったがどうやら知らなかったらしい。
予想外だったな。そういう種類の変態だったか…。
―――でも、俺の認識としては軽度の変態だ。
芸術家というのは結構人間性に問題があったとされる人が多い。勿論人格者もいるけども。
『俺の尻を舐めろ』(モーツァルトの曲名)みたいな無茶振りだったら断るけど……。『座られたい』までだったらまだ軽い方だと思う。当社比。
「帰りましょうデウス様…申し訳ありません、お目汚しお耳汚し致しました」
「ああっ…ラナド!お前も一緒に頼んでくれ、私の悲願なのだ、崇拝する音楽家の椅子になって上で楽器を流麗に弾いて頂けたら死んでもいいと思っているんだ…!!」
「知るか!!!勝手に死んでろ!!!!」
ラナドが辛辣。
会話の感じからして割と親しかったんだろうが、何となく変な趣味があることは察していた、くらいだったのかな。音楽でテンション上がるところは似てるもんな君たち。
なるほど、彼は仕えていた婦人に座ってくれと頼んでクビになったのか……。
ラナドは足に縋りついてきたファイスを引き剥がして俺と部屋から出ようとしたが、留める。
「まあまあラナド、座って。あ、ファイスにじゃなくてそこの椅子にね… で、背中に座るだけでいいの?」
「デウス様?!?!」
「よっ…よろしいので?!!?はい!!!勿論です!!」
「あ、座った上で楽器を弾いてほしいんだっけ?それくらいならいいよ」
「ああああ?!あ、あ、ありがとうございますっ…!!」
「ちょ、ま、デウス様!!??」
涙を流して喜んだファイスを尻目に部屋の隅に引きずられてラナドが俺に訴えた。
「考え直して下さい…!!」
「別によくない?座るくらい…。性的なことを要求されてる訳じゃないしさ」
「っ…デウス様に座られることであやつは性的に興奮してるんですから同じようなものですよ!?」
そう言われるとちょっと怖いが…。
でも鞭で打ってくれとか、罵ってくれとか難しいことを言われてる訳じゃないし。
これは俺が前世のSM知識が多少あるからまだマシだと感じているのかも。アブノーマル性癖に触れたことが無い人はそりゃドン引きするか。
あと俺から見たらイケメンだからちょっとキモいかな程度で済んでるけどこっち基準じゃかなりのブサメンだからラナドはより引いてるんだろうな…。
「ラナドっ…お前が見張っていればいいんだ、私が不埒な真似をしそうになったら蹴り飛ばせばいい。私は決して焦がれた人を襲ったり恨んだりはせん、知ってるだろう?」
「確かに貴様は恋い焦がれた相手に近寄るなと言われたらそれをちゃんと守る男だったが…」
そうなんだ。
過去、好きな人に近寄るなと言われちゃったことがあるのか。あんまり堪えてなさそうだけど可哀想になってくる。俺がここでこの獣に最小限の餌を与えておいた方が世の中は平和なのではないか、という謎の使命感が湧いてきた。
「この工房にリュープは?貸してもらえる?」
そう訊くとファイスはババッと走って奥からリュープを持って来て跪き、俺の前に掲げた。そしてサッと四つん這いになる。俺はそこにそっと腰を下ろした。人の背中の体温と感触が妙な感じ。
「あ、わかってると思うけど動かないでね?」
「あっ、は、はいぃ…♡」
嬉しそうなファイスの声と嫌そうな顔のラナドを横目に俺は演奏を始めた。
※※※
演奏が終わって立ち上がると、ファイスは崩れ落ちてビクビクと体を震わせていた。こわい。演奏中は息をしているか心配になるほど微動だにしなかったのに。
「あっありがとう…ございます…っ…♡」
「…貴様が結婚出来ないのは顔もあるがこの趣味のせいではないか…」
ドン引きし続けていたラナドが額を抑えて項垂れた。旧友が性的なプレイに勤しんでいるところを見張る羽目になったラナドには気の毒なことをした。ごめん。
「け、っこんなどとっくにあきらめてるっ…あああ、闇に覆われていた私の人生に今、アマデウス様が光明を与えて下さいました…♡、はぁ、シレンツィオ公爵令嬢と御婚約なさったとお聞きして、もしかしたら私の願いを聞き届けて下さるのではないかと、一縷の望みにかけて投獄される覚悟で申し出た甲斐が、ございましたっ…!!」
「そんなに… 喜んでくれたみたいでよかったよ」
「ご、ご不快でないのなら、本当にごくたまにで構いませんので、また座って頂けませんでしょうか…っ?」
「うーん…たまにでいいなら」
ラナドにまた部屋の隅に引きずられた。
「何安請け合いなさってるのです?!」
「だってこれだけでやる気出してくれるんならよくない?別に嫌じゃないし」
ちょーっとキモいな…とは思うが、それだけだ。
正直、王女殿下に呼び出されてロレンス様とイリス嬢の針の視線の中でピアノの指導してた時間と比べたら―――全然マシ。ストレスフリー。
尻の下の少し可哀想な性癖の職人は演奏をめちゃくちゃ喜んでいるし、これで仕事に精を出してくれるという。良い事をしているのである。
「うう…寛容にも限度がありますよ…でもあやつをあまり調子に乗らせないでください、要求が悪化するかもしれません」
「うーん…わかった。ちょっと冷たくするか…」
ファイスの方に戻って椅子(正真正銘の椅子)に座る。彼に「こっちに来てそこに直って」と言うとふらつきながら俺の前に正座した。
「そうじゃなくて、椅子の体勢で」
「!は、はい…♡」
嬉しそう。
でも座る訳ではない。四つん這いになった彼の顎の下に、俺は組んだ足の爪先を当てた。
「椅子になるってことは、蹴られたり踏まれたりする覚悟は出来てるんだよね?」
冷めた目で見下ろしてそう言うと、ファイスは頬を紅潮させ震えた。
「はいっ…!勿論です、お好きに…っ!」
…ちょっと脅そうと思ったのに喜ばせてしまった。許容範囲だったか~~~~。どうしよう。
ああ、喜ぶんだったらしなきゃいいのか。
「まぁそんなことしないけど。とりあえず、円盤の制作は受けてくれるってことでいいね」
「はい!全力で取り組ませて頂きます!!!」
「わかってるとは思うけど私が君に座ってるのは秘密ね」
「はいぃ…勿論、どこにも洩らしません…っ!」
「あと…」
靴の先でぐっと彼の顎を上に向かせて、苦しそうな姿勢にさせた。
「あんまり気持ち悪いこと言って周りに迷惑かけないように。許容してくれる相手の前だけで我慢しなさい」
笑ってそう言うとふるふる震えながらファイスは頷いた。
「あ、あ、アマデウス様の、仰せの通りに…♡」
……結局喜ばせてしまったらしい。冷たくするって難しいな。
帰りに「今後会う時はあやつをすぐに殴り飛ばせる者を傍に置いて下さいね」とラナドに言われた。
「まぁ、二人きりでは会わないけどさ…心配し過ぎじゃない?」
「デウス様が無防備なんです…というか、ジュリエッタ様に知られたら浮気だと思われるかもしれませんよ」
「えっ!?そう!?」
「逆の立場になって考えてみて下さいよ…」
逆というと…ジュリ様が、請われて誰かの背中に座る、という…。その誰かは性的に興奮している、と…
「た、確かにちょっと嫌かも…?」
その誰かが女性で仕事で必要なことだ、と言われたらまぁ仕方ないかな…とは思う、けど…男だったらアウトだ。ジュリ様のお尻の感触を背中で感じるとは何事か。俺だってまだ太腿の感触しか知らないのに。
…ジュリ様もそう思うかな…?俺の尻に対して?うーん…
「…他言無用ということで」
「勿論です…」
ジュリ様に秘密が出来てしまった。でも断じて浮気じゃないから…!
そういえば隠密は部屋を透かして見ることも出来るんだろうか、もしかして妙な行動として公爵閣下に報告されてしまうかも…?
…指摘されたらすっぱり止めよう。
しかしその後特に叱られたりすることはなく。
後日もう一度彼に座った時、(脳が疲れていたせいで安請け合いしちゃったな…)と軽く後悔したが、マドァルド工房の円盤は文句を付けようのない仕上がりだった為、後悔には蓋をして快く彼に座ることにした。
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●マドリズムの語源
…マドリズムまたは被虐性欲とは、肉体的・精神的苦痛を与えられたり羞恥心や屈辱感を誘導されることによって性的快感を味わったり、そのような状況に自分が立たされることを想像することで性的興奮を得る性的嗜好の一つである。
後期ウラドリーニ王国の楽器職人ファイス=マドァルド【世界暦462年~539年】が由来。没後70年経って愛用の机の隠し底から手記『椅子と爪先』が発見、文学的価値が認められ研究者により出版。崇拝する若き音楽家から虐げられる想像・妄想が膨大な量書き連ねられている。その後心理学者によって定義され、被虐的な傾向を一般的にマドリズムと言うようになった。マドリズムの嗜好を持つ人をマドリスト、俗にマドと呼ぶ。
手記の中で音楽家は『あの方』『ご主人様』としか綴られないが、描写※からして仕事で関わりのあったアマデウス=シレンツィオであると思われる。そのことからアマデウスが加虐趣味のある魔性であったとする学説もあるが、『椅子と爪先』において音楽家がマドァルドを実際に傷付けたという文は無い(どの文章も『そうされたい』という願望に終始する)為、信憑性は薄い。
※…『緑の瞳』『高貴な令嬢に婿入りなさる』『天才と謳われる指』等。
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(ウラドリーニ文学社・『性的嗜好の歴史』第4版より抜粋)




