再会
【Side:リリエ】
「何で睨むんですかリリエ先輩?まだ怒ってるんですか?」
「おい、ザーラを妬むなよ。ごめんな、怖いよな…」
睨んでないし怒っても無かったのにその台詞で今めちゃくちゃ うっざい!!!!!と叫びたい。
が、怒ってると思われるのも癪なので堪える。
後輩のザーラの肩を抱いて撫でている役者の男・バルはつい先日まで一応私の恋人だった。
別に好きだった訳じゃない。まあまあ良い面で酒の席で口説かれて(まぁ付き合ってもいいかな)と思って了承し、その次の日には部屋に連れ込まれ押し倒してきたので、不愉快に思い引っ叩いて部屋を後にした。その数日後には「すまない…ザーラの方を好きになってしまったんだ…」と別れを告げられた。
バルとベタベタしながら一つも悪いとは思っていない笑みでザーラは私を見る。この後輩に嫌われるようなことをした覚えはないのに何故こんな扱いを受けなければいけないのか。
「何も言ってないしそっちを見てもないのに言いがかりはやめなさい」
「ごめんなさい、私がバルを好きになっちゃったから…」
「ザーラ、君は悪くないよ。俺が悪いんだ…」
もう我慢するのはやめて両方ぶん殴ろうかなと思っていたら団長が近寄って来て「はいはい、揉めるなよ!明日はお貴族様と面会だぞ!飲むのもほどほどにな」と宥めに来たので団長と一緒にバルとザーラから離れる。
私達はしがない旅芸人の一座だが、スカルラット領に入って『伯爵令息が踊り子か演奏者を募集している』という情報を耳にした。
スカルラット伯爵令息のアマデウス様とやらは音楽好きとして有名で、平民も気軽に見ることが出来る演奏会をしているそうだ。しかも平民から楽師を採用し、その楽師が最近二人貴族籍に加わったという。下級貴族との縁談とかで貴族になる話は聞いたことがあるが、それ以外でなんて滅多にない。驚きの出世譚として酒屋で居合わせた職人たちが楽しそうに教えてくれた。
一の町の町長に問い合わせると、旅芸人でも楽器や踊りが達者なら採用試験を受けさせてもらえると聞いて私たちは色めき立った。下級貴族の邸宅で芸を披露したりすることは時たまあるが、やはり貴族からの報酬は良いし、何度も催す公演に採用されれば実入りが良い。
今夜は今飲んでいる飲み屋兼宿屋で休み、明日一の町の劇場でその平民から貴族になったという楽師と面会して踊りを披露することになっている。
「その元平民の楽師みたいに貴族にはなれなくてもいいから、貴族のお抱えになれたら万々歳なんだがなぁ」
とキール団長が言った。団長の妻のリズさんが「採用されてからでしょそういう夢は」と呆れた。
「ねぇリズさん、私何でザーラに喧嘩売られてんの?殴って良い?顔はやめて腹にするから」
「やめなさい。ああ、気付いてなかったのね?リリエの方が踊りも歌も断然上手いでしょ、練習の時キールがリリエを手本にしろって言ってからあの子アンタに劣等感があるみたいなのよね。だから恋人を寝取ってやったってここぞとばかりに勝ち誇ってるんでしょ」
「えっ、俺のせいか?」
「劣等感って…あの子練習不足なだけのくせに」
「若くて綺麗だから無駄に自信があるのよ」
そう、ザーラは私より若いし美人だ。まぁ、スタイルは私の方がいいと思うけど。あの子は胸がささやかだから。
私は安酒をぐっと煽って目の前の塩辛い薄い肉と固いパンを口に詰め込む。
私はもう27歳だ。旅芸人は一座の中の誰かと結婚するか独身のままでいるかだが、男の方が多いし一座の中で結婚してない女は私以外だとまだ10代の奴らか子供だけ(ザーラは19歳)。
バルとザーラはここ数年で加わった新参者で、私は幼い頃から一座にいる。そりゃ芸では負けられないわよ。
私は顔の広範囲にそばかすがあるので化粧をしなけりゃ口説かれる機会なんてそうそう無い。バルが口説いてきたのは体目当てってやつだったのだろう。やたら目が胸にいってたし。
――――私が本気で恋をしたのなんて、もう10年は前のことか。
…ロージーは今どうしているだろう。
10年ほど前に少しだけ一緒に旅をした吟遊詩人だった。
歌が上手くて、よく一緒に歌った。彼は私をブスだと揶揄ったりしなかったし、良い声だと褒めてくれた。酔ったお客に乱暴されかけた時に守ってくれた。初めて口付けして、初めて体を繋げた相手だった。
彼に付いて行ってしまおうかと悩んだけど、出来なかった。
一座の中の芸人としての生き方しか知らない自分が、年老いた師匠と支え合いながら旅をする彼の重荷になることが怖かった。彼が私に本気だったかどうかも今ではわからない。色っぽいことをしている場面で好きだとは言われたけど、付いて来てくれとは結局言われなかったから。
やっぱり付いて行けばよかったと後悔し、いやこれでよかったんだと思い直すのをずっと繰り返している。
リズさんと他愛ないことを話しながら飲んでいると、後ろからカウンター席の男女が話している声が耳に入る。ちらと見ると男の後姿がロージーに似て見えた。大分酔ってしまってるかも。
「―――だからねぇ!好きになったことは後悔してないわぁ!でもこんなに気分が乱高下するとは思わなくってぇ…」
「おい、声がでかい…!気付かれるだろこの酔っ払いが」
酔って頭をふらつかせている女の隣で焦った声を出した男が周りを伺うようにこちらに振り向いた。
目が合った。
男が目を瞠って私を凝視する。
私も目を丸くして男の顔を見た。
「……リリエ?」
飲み屋の喧騒の中なのに彼の声が耳にしっかり届いた。
灰茶色の髪、灰色の目の下のクマ。十年前とほぼ変わらない顔――――の、纏う装いは十年前とは全く変わっている。
整えられた髪に、汚れ一つない上着。襟付きの中衣と最近流行の黒のズボン。地味ではあるがどこか上品で仕立ての良い服だった。
そして彼の隣にいた女が振り返ると、金の瞳のとんでもない美女だった。長い睫毛の影が落ち、酔いで染まった頬が艶めかしい。彼と同じく地味だが清潔で上品な服。
……ああ、そうか。この町で所帯を持ったのか。
商売か何かに成功したのだろう、良い暮らしをしているのがわかる。
良い事だ。
吟遊詩人は野垂れ死ぬこともある。どこかに定住して無事でいたのなら、めでたいことだ。―――すごいじゃない。頑張ったのね。苦労話聞かせてよ。今何の仕事をしているの?バドルさんは一緒なの、元気にしてるの?――――
訊きたいことは沢山ある。
あるのに。
「…リリエ!俺を覚えてるか?驚いた、まさか会えるなんて…」
私は徐に立ち上がって飲み屋から逃げ出した。
後ろからリズさんとロージーが呼ぶ声がしたけれど人を避けながら目的地も無く夜道を走った。
追いかけては…来ないよね。酔った彼女を置いて来れないだろうし。
つい飛び出して来てしまったけどどうしようか、あそこ宿屋も兼ねてるのに。…一通りこの辺りを周ったら戻るか。ぐしゃぐしゃの気持ちとは裏腹に冷静にそう考えた。
一度立ち止まって路地裏に身を隠し、息を整える。俯くと汗と一緒に涙が地面に落ちた。
やっぱりバルは私の恋人と呼ぶには足りなかったとわかる。過ごした時間も気持ちも。ザーラに取られても今この時の千分の一も傷付かなかったもの。
まさか、十年越しに失恋するとは思わなかった。
思いっ切り泣いたらさっさと宿に戻って目元を冷やさないと。目の周りは化粧である程度何とかなるにしても明日の試験に充血した目で行くのは避けたい。
声を殺して暫く丸まり、涙が止まってからこっそりと飲み屋に戻る。飲み屋の上の階の宿屋でリズさんに謝り、ロージーがどうなったか聞いた。リズさんと団長はロージーを覚えていたので話そうとしたが、彼は今にも寝落ちそうだった連れの女を引きずって帰ったそうだ。また来ると言って。
暫くはこの宿にいる予定だから、また会いに来てしまうらしい。
正直気まずいけれど、次に会った時は…ちゃんと、平気な顔で話そう。きっと出来る。
……手持ちはあまりないけど、新しい服買おうかな。
擦り切れやツギハギがない服なんて手持ちに無い。旅芸人だからじゃなくて普通の町民だって普段着や仕事着はそんなものだが、あんな良い服を着た彼の前でくらいせめて新品の服で見栄を張りたい。
うじうじとそんなことを気にしてしまうくらいには、まだ私は彼が好きなんだろう。
あんな美人と一緒になった彼にとっては、私の服なんてどうでもいいかもしれないけど。それでも。
ああ、汚れていない靴もない。靴までは予算が足りないかも。使えるお金を頭の中で数えて溜息を吐いた。




