2 孤児院
…あの子、口減らしで捨てられてたんだって
…疫病神が来たよ
…ナイショで捨ててこようか
木造の小さなベッドの上で目を覚ました私が、初めて聞いた言葉は…、心無いものだった。
年の頃は、およそ…5,6歳。ガリガリにやせていて、骨がゴツゴツと目立つ体。
前世の記憶はあるけれど、この身体の持ち主としての記憶は…無かった。
私は、「孤児」としての人生を歩むことになった。
孤児院には、同じように親に捨てられた子供たちがいた。
みんな、無表情で朝の支度をしていた。
「おはようございます」と声をかけても、返事はもらえなかった。
この世界では、親に捨てられた子供は「穢れ」として扱われるらしい。
孤児院のシスターは優しかったが、村人たちは冷たかった。食料の寄付も少なく、冬には毛布の取り合いになるほどだった。
それでも私は、祖母の言葉を胸に生きていた。
「情けは人の為ならず」
誰かに優しくすることは、巡り巡って自分のためになる。そう信じて…辛い日々を過ごした。
孤児院では、年長の子供たちが年少の子供たちの世話をする決まりがあった。
私は率先して年少の子の着替えを手伝ったり、泣いている子の話を聞いたりした。
「ありがとう、お姉ちゃん」
その言葉だけで、心が温かくなった。寒い夜はみんなで一枚の毛布をかぶって、身も心もぽかぽか状態で眠った。
そんな生活を続けて二年ほど経ったある日、孤児院に村の役人がやってきた。
「働ける年齢になった子供たちを、村の雑用係として使う事になりました」
私を含む数人が、村の仕事に駆り出されることになった。
畑の草むしり、家畜の世話、薪割り、肥え汲み、石拾い、生ごみ埋め、泥の採取。
遠くに同じ年ごろの子供たちが学校に通う姿を眺めながら、与えられた仕事だけをこなした。
どれも重労働だったが、私は黙って働いた。
「この子は喚いたり反抗しないのがいい。使えるな」
そう言われることが、褒め言葉のように感じられた。
ある日、畑に肥を撒く作業に向かっていた私は、草むらの中で倒れている老人を見つけた。
一日に一本支給される水を飲ませ、三日に一度配布される手ぬぐいで汗を拭いてあげた時、老人が目を開いた。
「……ありがとう。助かったよ」
私の水を飲み干し、にっこりと笑ってヨタヨタと立ち去った老人は、村の外れに住む薬師だった。薬師は、手ぬぐいに孤児院のマークがついていたことだけは覚えていたので、わざわざ訪ねてきてシスターにお礼を言った。命の恩人を探したいと願ったようだけど、私は名乗り出なかった。
———名乗る必要はないんだよ。
祖母なら、きっとそう言っただろうから。
後日、孤児院に薬草の束が届けられた。
風邪をひいていた子供たちが回復したのが、とてもうれしかった。
孤児院の生活は厳しかったけれど、私は少しずつ「役に立つ子」として認識されるようになった。
村人の中には、私にだけは挨拶をし、気に掛けてくれる人もいた。
それでも…、孤児という立場は、変わらなかった。
「親に捨てられた子だ、どうせろくなもんにならん」
ヒドイ言葉を浴びせられることもあった。
それでも、私は、優しくあり続けた。
……優しくあり続けようと、あり続けたいと、強く、強く…願った。
ある夜、私は孤児院の裏庭で星を見上げながら、そっと呟いた。
「おばあちゃん、私、間違ってないよね?」
その瞬間、空から一筋の光が降りてきた。
ふわりと舞う光の粒が、私の手のひらに落ちて…スゥっと、消えた。
「……?」
光は、ほんのりと温かかった。
私は知らなかった。
その光が、後に私の運命を大きく変えることになることを――




