奪う者、奪われた者
イツキナの身体を得た者は、病院から離れるため、必死に逃げていた。
「はぁ…、はぁ…、はぁ…、はぁ…。
走れる、走れるッ!どこまでも走れるっ!!
若いってどれだけ素晴らしいんだろうっ!」
その声は、イツキナの声のはずであるが、別人の年老いた女性のように聞こえた。
「しかし、この後どうすれば良いんだい…?」
浮かれていた彼女は、やがて行く宛てを失った。
ナーガルの病院から数キロ離れた都会と呼ぶには少し落ちぶれた街で彼女は疲れた身体を休めた。
「…だけど、もう誰かに縛られる生き方なんて嫌なんだよ…。
私は私の人生を送るんだっ!
それにやっと女に戻れた…。
私は女の人生を謳歌するんだっ!!!」
彼女は、自分の思ったように生きることが出来なかった自分の人生を顧みて、新たな決意を固めていた。
その声は、元の若い声に戻りつつあった。
「こんな訳の分からないところに飛ばされて、あんな…苦しみ…。
大体、ここはどこだったんだ…。
ムー文明とか、そんなの歴史で習ったこともないっ!
地球かどうかすら分からないじゃない…。もう何もかもが嫌だっ!」
苦しみに満ちた人生を憎むように若返った女性は言い放った。
こんな愚痴は何度も何度も言ったことだった。
老化とともに愚痴も出なくなったが、若い身体に宿ることで生気もよみがえり、古い愚痴を憎しみと共に思い出したのだった。
「私は…、どうしてこうなってしまったのだろう…。」
その女性は、自分の人生を何とか思い起こそうとした。
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石河來帆は、転校してからは、どちからというと静かな学校生活を送るようになった。
父親からの圧力で目立った行動をするなと、釘を刺されていたからだった。
友達も積極的に作ろうとせず、たまに同級生に遊びに誘われても断る日々を送るようになっていた。
どちらかというとリーダーになっていくような積極的な性格だったので、個性を押しつぶされる生活は耐え難かった。
だが父親の定めた門限までに戻らなければ、酷く怒られるので反抗も出来なかった。
そんな、生活を続けているうちに來帆の気持ちは鬱積していき、やがてうつ病になってしまった。
うつ病のせいか、來帆は学校に行くのも億劫となり、部屋にこもるようになった。
來帆の父親は、娘が自分の配下にいる限り、引きこもることを問題とは思わなかった。
外に出なくても、いずれ成人した時は、自分が探した相手と結婚すれば良いと思っていた。
そんな父親の考えとは関係なく、病状はさらに悪化していき、家族で車に乗って出かけるのも嫌がるようになった。
無理矢理、車に乗っても吐き気が止まらず、出かけたにもかかわらず、途中で引き返えさざるを得ないからだった。
電車ですら吐き気をもよおすようになり、外出は一切出来なくなった。
來帆の顔は、快活で笑顔の似合う子どもだったが、髪も伸び放題で顔も半分隠れてしまった。
たまに髪の間から見える目は、死んだ魚のような曇った目となっていた。
食欲も無くなっていき、身体もやつれていって、思春期の少女とは思えないようなやつれた姿に変わっていった。
來帆は、そんな自分に嫌気が指して自己批判を続ける毎日を送った。
(私…何をやっているのかしら…。
ち、違う、何をしたら良いのか…分からない…。
家にいるだけ…。
こもって何をしたいんだろう…。
学校に行かなくて良いの…?
このままじゃ…仕事も出来ない…。
結婚すら出来ないかもしれない…。
でもでも、外に出られない…。
外に出ただけで吐き気が…。
こんな私…。
こんな私…。
どうして生きているんだろう…。
あぁ、あぁ…。)
自問自答を繰り返す日々が続いた後、ある日、二階にある自室から庭にある木の陰を見ると、虐めた少女、愛那が立って、こちらを睨んでいた。
その目は來帆への憎しみに満ちていた。
來帆をどこまでも追いかけて殺してやると言ってるようだった。
「ひ、ひぃ~~っ…。あ、愛那っ!う、うそ…。な、何で…。」
來帆はそのまま後ろに倒れてしまった。
「いやっ~っ!!いやいや~~~っ!」
そのまま後ろに退くと、ベットに飛び込んで布団にくるまって震えるしかなかった。
「ご、ごめんなさい…。愛那…、ごめんなさい…。私、悪い事をした…酷い人間…。」
來帆は恐怖のあまり翌日にその木を使用人に倒させた。
だが、別の日には自室の窓の右端から虐めた少女の左目が見えた。
その目は、同じようにしっかりと來帆をじっと見つめていた。
「いやぁ~~~~っ!!!いや~~~っ!!愛那、ごめんなさい…。ゆ、許してっ!!!ひぃ~~~っ。」
「來帆っ!!どうしたのっ?!」
娘の叫び声を聞いて部屋に入った母親は娘が何に恐れているのか全く理解できなかった。
「來帆…、大丈夫よ、誰もいないから…。」
「嘘、嘘、いるわ…。あの窓のところっ!!ひぃぃ~~…。怖い、怖い…。」
だが、母親が窓を開けても誰もいなかった。
「窓を開けないでっ!!!あぁ、入ってきたっ!!!いやいやっ!!来ないでっ!!!」
母親はどうにも出来ず、彼女を抱きしめるしか出来なかった。
「誰もいないのよ…、來帆…。」
來帆の狂乱は元に戻ることも無く、恐怖で叫ぶ日々が続いた。
持て余した來帆の両親は、太田町の隣町にある精神病院に來帆を入院させることにした。
來帆はベットの上でうつろな目で上を見上げながら独り言を言い続けた。
「…ゆる…して…。…私は…悪い…子…。あい…な…、ゆる…して…。」




