四の生__始動。
「これでよし…っと」
一人暮らしの部屋__。
私は大学に通うべく、学校から2駅離れた街に引越してきた。
両親は近くのマンションを推してくれたけど、家賃が高すぎたので遠慮した。
「鍵はちゃんと掛けなさいよ。誰かれなく部屋も教えちゃダメよ」
「分かってるよ、大丈夫。アナタの娘を信じなさいって」
部屋の隅々まで雑巾がけをしながら、母は何度も同じ事を言う。
ありがとう__。
声に出して言うにはあまりに照れくさく、母がそう言う度に彼女の背中を見つめた。
「休みにはちゃんと帰ってくるのよ。お父さんも心配してるんだから」
「はい! わかってます」
改札口で、母に向かって直立不動の敬礼。
吹き出すように笑いながら改札を通る母の後ろ姿が、今まで見たことないくらい寂しいそうに見えたのは、きっと私が寂しいんだと思った。
ホームに続く階段を登る母の姿が見えなくなった時、その寂しさが胸にズシンと落ちてきた。
部屋に戻ると、さっきまであんなに暖かかった部屋がとても寒く感じた。
お母さん…。本当にありがとう。
100年を超える”生”を生きて、やっと分かった母の想い……と、感謝。
自分の寂しさだけを気にかけて……。
一人ぼっちの海で、ただただ泳いでいた。
自分の時間だけが流れているような、孤独と焦りの中で……。
一人で生きる寂しさに耐え兼ね、以前と同じ世界を作ろうとした。
けれど……満たされなかった。
本当は家族が根本だったんだ。
家族を……築くべきだったんだ。
だからと言って尤もらしく「家族は大事にしなさい」なんて講釈を垂れる気もない。
私だって100年かかって、やっと分かったことだから。
そしてもう一つ分かった
”逃げない”
と、いう事。
この”生”は、人に寄り添って生きたい__。
「おお! やって来ましたぁ!」
憧れのキャンパス。迷路とも思える構内。
体育館の傍を通るとドドーンと床を蹴る音が聞こえてきた。
『メ~ン!!』
奇声ともとれる声を発しながら、何人もの人が竹刀を振り上げ相手に向かって打ちこんでいる。
これまでの人生で、大学生なったのは初めて……。
くぅぅ! ワクワクがとまらないんだけどぉ~!!
けど、まだ勉強しなきゃいけないんだと思うと……ちょっとヤダな。
『人生、生きてる間はずっと勉強』なんて、どっかで聞いたことあるけど……。
いやいや……。
それは、ただの過程であって。私には大事なミッションがあるではないか!
さあ、探すぞぉ~!
なんて気合い入れなくても、事務局で調べれば容易い事。
それよりアーちゃん本人を見つける方が、大変かぁ?
……が、両方とも簡単ではなかった。
ここにきて、私はアーちゃんの学部どころか、彼の事を名前以外何も知らなかったのに気づいたのだ。
”一条 歩”という名前だけで人探しをしている旨を伝えると。
『あなた……。ここの学生?』と、キッと私を見据える女性が眼鏡の端を持ち上げた。
その鋭い視線に気おくれし、『もういいです』と言って事務局を出た。
ひぇぇ~! マジっすかぁ。
自力で探せってかぁ~。
と、肩を落としてとぼとぼ歩いていると、声を掛けられた。
「沢田さん」
顔を上げると、入学式の時に隣にいた女の子がニッコリ笑って立っていた。
「池田さん……。あ、帰るの?」
「ううん、サークルを見て回ろうかなって」
「オリエーテーション明日じゃなかった?」
「うん。ちょっと見たいなってとこあるから」
「へぇそうなんだ……。で、何のサークル?」
「う……ん。ぶ、文学の……」
「文学の?」
彼女は顔を赤くして、急にモジモジし始めた。
「小説の……」
「小説の?」
池田……妙子? だったっけ。
縁の大きなメガネを掛けた……、一見大人しそうな感じだが、独特の雰囲気を持っている彼女が、目の前で物凄く困っいるように見えた。
どうしたんだろう?
「あ、あの……。実は……私」
「実は?」
へっ!?
な、何?
「わ、私……」
と、言った彼女は一旦唇を真一文字にきゅっと結び、モジモジしていた手で上着の裾を握りしめた。
エッ? 何が始まるの?
あっ、おデコに汗が……。
何だか尋常ではない空気が漂ってる感で焦った私は思わず彼女に声を掛けた。
「い、いいよ! ムリしなくても……。私、何も聞かないから」
「ち、違うの……。わ、わたし……実は」
ヒッ! この子泣くよ!?
どうやら私の一言は、一瞬で彼女の悲しみを誘ってしまったようだ。
強いて言えば……拒絶?
もちろん私にそんなつもりはなかった。
「やめて! 池田さんが何を言うのか分からないけど、もしかしたら今はその時じゃないのかもよ?」
「いいの! 聞いて! これは私が越えなければならない壁なのよ!」
なんと!?
なんだぁ? このグイグイ感はなんだぁ?
そんな壁、いきなり私に押し付けないでぇ~!
できれば、私の知らないとこで越えてよぉ。
「沢田さん!」
「はっ、はいぃ!」
いったい何なの? この緊迫した空気はぁぁ?
誰か助けてぇ~!
「あ……の……。実は、私……小説を書いていて……」
「へ? 小説?」
「う……ん」
「スゴイ……。池田さんって小説家なの?」
「ううん。そういうのじゃなくて……。趣味で……」
「でもスゴイじゃん!」
「そんなことないよ……。ただ……頭の中の言葉を書き出してるだけで……」
「ふ~ん。だけど、私には思いつかないなぁ。”頭の中の言葉”っていうフレーズだって出てこないしさぁ」
「そ、そうかな?」
「そうだよ。それを一字一句書き出すんでしょ? スゴイじゃん」
「え? そ、そう?」
「うん! スゴイ、スゴイ! じゃ、私行くとこがあるからぁ。またね」
「あ! 沢田さん……」
私はくるっと向きを変え、スタスタと歩き出した。
ちょっと酷かったかな? でも、あのままだったらいつまで話を聞かせられるかわかったもんじゃない。
多分、小説を書き出したきっかけまで遡ってしまう感がビンビン伝わってきたもんね。
別に悪い子じゃないとは思うけど……。
歩く速度を緩め、そっと振り返ってみると彼女が俯き加減に歩き出した所だった。
ゲェ~! やめてよぉ。まるでウチがイジメたみたいや~ん。
……。まっ、いいっか。そのうちに会うこともあるだろうし、その時に聞いてやってもいいさ。
と、あっさり割り切った私は、また歩き出したところで立ち止まった。
ふむ、小説ねぇ……。
もしかして、私の人生を小説にしたらどえらい面白いんでないの?
1、2秒考えた後、
「アハ。ないない」
片手を振りながら、独り言を声に出して吹きだした。
「やっぱ、居酒屋かなぁ」
部屋で寝ころびながら、アルバイト情報の飲食のタグに親指を滑らせた。
理由はやはり経験があるからだけど、何処でもいいってわけじゃない。
バイトは生活のためだけど、私にはアーちゃんを探す目的がある。
働くにかまけて彼を探す時間を削りたくもない。
う~ん……。どうするべかなぁ?
身体を大の字に投げだし天井を見上げ、どうしたらアーちゃんを探せるのを考えた。
パソコンって、いつになったら現れるのかなぁ?
アレがあれば学生の情報なんて、名前検索したらパパッて出てくるもんじゃん?
この時代、まだまだ紙ベースなんだよな。
ってか、携帯はいつだっけか? 最近PHSが出回ってるけど……。
私が持っても、相手がいないからなぁ。
小学生が持ち歩く時代は20年先。
まだまだだなぁ……。
翌週の日曜日、大学周辺を歩いてみた。目的はバイト探し。
今の時期、新歓コンパとかで学生たちがやたら酒を飲んでいるのに目をつけた。
大学の近くにある居酒屋でバイトすれば、何か分かるかもしれない。
もしかしたら、アーちゃんが来るかも知れないなんて思ったからだ。
でも……。アーちゃんってあんまりお酒は飲まないからなぁ。
歩いてみて思った事。
学生が多いせいか、やたら食べものやが多い。
喫茶店にしても、ちょっと足を延ばせば6~7軒はあった。
居酒屋も、小さい店を合わせれば5~6軒というところか。
うどん屋、カレー専門店、中華料理といった感じで、何でも揃っている。
今日は日曜日だから人が少ないけれど、平日は学生だらけになるんだろうなぁ。
店の前には『アルバイト募集』の紙が貼ってある店も少なくない。
私は居酒屋を見て回りながら、一軒ずつ中を覗いてみた。
時給750円か……。
喫茶店のバイトが、550円~600円。今の時代、こんなもんか……。
う~ん。生活しながら……。アーちゃん探しながら、勉強しながら……。
2年後には競馬があるし、貯金しなくてはいけない。
そう”競馬”あれは絶対に外せない! 10万円貯めて、ドカ~ンと当てて二世帯住宅♡
ビフォーアフターやっちゃうよぉ~!!
お父さんは死んじゃうけど、今度はお母さんを一人ぼっちになんてさせない!
よし! ここに決めた。
周辺の居酒屋は全て覗いてみた。大きい店に募集の張り紙があっても当たり前で、小さな店には貼っていない。中くらいの店は貼ってある店が少なかったけれど、この店だけに張り紙があった。
ってことは……、多分居心地がいい店なんだと思った。客足も少なくなく、途絶えない程度に忙しい店なのかもしれない。この規模なら客の回転もいいはず……。
そして店主と客との距離が近い店は、馴染みの客も多い。
私は店の扉を開けた__。
「ごめんくださ~い! 表の張り紙を見てきたんですけどぉ!」




