20.真夏日到来
「それじゃあマティアスさん。よろしくお願いします」
「はい、お預かりします」
鍋一杯分出来上がったカレーを全てタッパーに詰め、マティアスさんに渡す。
それと、手書きで書いたカレーのレシピも一緒に添えておく。
出来上がったカレーは、まずマティアスさんの職場の同僚さん達に試食してもらうことになった。そこで評価を得ることが出来れば、カレーがユミールでも受け入れられる可能性がグッと高くなる。竜騎士の皆さんを実験台に使ってしまうのは申し訳ないけど、もしかしたら食料不足改善の小さな一歩になるかもしれないことだからね。力を貸していただきましょう。
マティアスさんが所属する竜騎士団には王城と隣接して竜騎士団本部なるものがあるらしく、作戦会議室やドラゴンの宿舎がある他、医務室、仮眠室、食堂なども用意されている。マティアスさんは、その食堂に務める料理人にカレーの普及を手伝ってもらうつもりらしい。竜騎士が味見係、竜騎士団の料理人が宣伝係というなんとも豪華なラインナップだ。
何でも、その人は美食家であり、研究熱心な料理人らしく、このカレーの存在を知れば必ずミズガルド王国中に広めてくれるだろう、とのこと。料理人同士のネットワークが凄いのか、その料理人の情熱が凄いのかは分からない。
……でも、そんな料理熱心な人がいるなら、どうして今までスパイスの存在に誰も気付かなかったのだろうか。未確認の植物であったならまだしも、既に薬に使われる植物として認知はされていたのだ。それが料理にも使えそうだと考える人がいても可笑しくないんだけど。
そう思い、私はマティアスさんにミズガルドの料理人について聞いてみたんだけど、ミズガルドの料理人はその職名通り、料理を作る人間であり、それ以上でもそれ以下でもないと。
何度も何度も規定のレシピ通りに料理を作ってきたので、野菜の皮を剥くスピードや、火の通り加減の判断、細かい味付けなど、技術面において特化している。そういった部分では正しく料理人なのだが、そこに「新しい料理を創作する」というオリジナリティは生まれない。元々ある料理を改善することはあれど、無から有を作りだすことはないんだとか。
それって料理人としてどうなんだろうと首を傾げたが、そこには異世界であるユミールならではの理由があった。
ユミールは遥か昔から魔物との抗争を続けてきた世界だ。いつから魔物が存在しているかは分からないが、伝承によると人々が生活を営み始めた時から、常に魔物の脅威に晒されて来たとされているらしく、大昔から魔物が存在しているのは間違いないらしい。
ユミールでは長い歴史の中でも数回小競り合いがあった程度で、国同士の大きな戦争というものは起きたことがない。魔物という人類の共通する敵である存在が、戦争の抑止力になっているのだ。
人は集まれば集まるだけ、問題が生じる可能性も高くなる。
国同士の争いがない世界など奇跡にも等しく、それはつまり、それだけユミールの世界では魔物が危険視されているということである。
そんな危険な魔物が跋扈する世界で、果たして食の改善に務めようとする人がどれだけいるか。大半の人間は、日々生きることに精一杯で、余力を割いてまで食生活を改善しようとはしない。森の中を散策して新しく食べられる物を探し出すより、迫りくる魔物を退けるために体を鍛えることや、身を守る術を得ることを優先するのだ。
という訳で、竜騎士団の料理人も例に漏れず新しい料理を作り出すことはしないが、既存のレシピを改良することには特化しており、武骨な手から生み出される料理はとても美味しく、腕は確かなんだそう。
そんな料理人の力が借りられるならば、このカレーを広めるのに一役買ってくれそうだし、ミズガルド人に合うカレーを作ってくれそうだ。
私は少しの不安と期待を胸に、マティアスさんにカレーと手書きレシピを託した。
ヴァイスハイトに乗って颯爽と帰路へ着いたマティアスさんの背中を見送り、私はテレビをつける。まだ夕飯の支度を始めるには早い時間だ。
『――それでは続いてのニュースです。昨日夜七時半頃、〇〇市月笠町の国道を走っていた乗用車がトラックと衝突しました』
聞こえてきたアナウンサーの言葉に、私は驚いてテレビを凝視した。
月笠町は私が住んでいる地名だ。
『この事故で、軽乗用車を運転していた窪田雄大さんと助手席に座っていた窪田薫さんが頭を強く打って病院に搬送されましたが、その後死亡が確認されました。トラックを運転していた男性に怪我はありません』
テレビには事故現場が映し出される。そこは、大きなショッピングモールがある場所の近くで、私も何度か通ったことがある。家から車で片道一時間はかかるのだけど、あのショッピングモールはなんでも揃うので重宝していたのだ。
「確かにあの辺りは道路が入り組んでるからなぁ……」
テレビに映し出される乗用車はボンネットが酷い形に変形している。余程酷い衝突だったらしい。
近々ショッピングモールで、精霊さん用のちゃんとした小さなカップを買おうと思っていたんだけど、後日に延期しようかな。事故があったばかりの場所を通るのは、少し怖い。亡くなったご夫婦のご冥福を祈り、私は再びテレビから流れるニュースに耳を傾けた。
『続いては天気予報です。明日は35℃以上の猛暑日となるでしょう。熱中症には十分お気をつけください』
「うわ、35℃越えかぁ……」
思わずげんなりとした声が漏れた。
我が家は周辺の環境から、真夏であろうと窓を開けっぱなしにしておくことが出来ない。
この家に住み、初めて迎えたあの夏の日。私は暑さに耐えきれず、家の中の風通しを良くしようとして、家中の窓を全開にした。結果、外から入ってきた虫に全身刺されるという悲劇に見舞われた。私はあの失敗から学んだのだ。悲しい過去は繰り返さない。
エアコンに頼るのも手なのだが、エアコンの冷風を浴び続けるのってなんか罪悪感があるんだよね……。なので基本的には扇風機頼りなんだけど、そろそろ扇風機一本ではきついかもしれない。
エアコンの掃除しておかなきゃなぁ……と思っていた所で、ふと私は閃いた。
隣に暑さを凌げる絶好のスポットがあるではないかと。
翌日。いつものように我が家を訪れた精霊さんは、「リリリ!」と元気な挨拶を交わすより早く、私の姿を凝視しながら不思議そうに首を傾げた。
「精霊さん! 今日は私とかまくらを作ろう!」
完全防備の防寒着姿に、手に大きなシャベルと、山から拾ってきた枝を10本程持った私は、にこやかな笑顔を浮かべて精霊さんを出迎えた。




