第62話 『お母さんの実家』
「沙耶ちゃん雪ちゃん、ここだよ」
佐伯さんからいただいた週末のお休み、かねてからの約束を果たすべく、叔父さんの車に揺られながら、東京のお隣である神奈川の周防家本邸へとやって来た。
「うーん、何て言うか…、思っていたより小さいし新しいんですね」
「ちょっとお姉ちゃん、失礼でしょ!」
ついうっかり思っていたことが口に出てしまい、妹に叱られるかわいそうな私。
だって仕方ないじゃない、先祖をたどれば由緒ある血筋で、現在は大企業と呼ばれるほどの総本家。この土地もご先祖様から受け継いでいると聞いていたので、塀がずっと続くような古くて大きなお屋敷を想像していたのだ。
それがいざやってくると、家は比較的新しいし、大きさも民家の2軒分ほどしかないのだ。
いや、これでも十分すぎるほど立派なんだけどね。
「ははは、べつに構わないよ雪ちゃん。僕が小さかった頃はもっと大きかったんだけど、父さんが土地を切り売りしちゃってね。その時に家も建て替えたんだ」
聞けば何十年か前に、世界を騒がせるほどの新種のウィルスが蔓延したそうで、当時は国が不用意な外出を規制するほどの騒ぎとなり、不動産業をなりわいとする周防グループは、多大な経営不振に陥ったという。
その際祖父は、代々受け継がれてきた土地を切り売りし、その資金で全ての従業員を守り抜いたのだという。
口先だけで言うのは簡単だが、それを躊躇なく実行に移されたのは、他人ながら立派な人なんだなぁと、改めて感じてしまう。
まぁ、他人でもないわけなんだけど…
「じゃ入ろうか」
叔父さんの案内で、お屋敷の中へと恐る恐る入っていく私と沙雪。
見るからに立派な日本庭園に、これまた立派な日本家屋の建て物。これで玄関を開ければ、着物姿の使用人がずらりと並んでいたら、そっこうで逃げる自信があるが、生憎とそういった出迎えはなく、特に問題らしい問題もないまま一つの部屋の前へと辿り着く。
「父さん母さん、二人を連れて来たよ」
叔父さんの後に続き、部屋の中へと入ったところで挨拶をする私と沙雪。
部屋の中におられたのは祖父母と叔母さんの三人に加え、やや緊張気味にこちらに顔を向けてくる二人の子供。どうやらこの兄妹が叔父さん達のお子様なのだろう。
「良く来たわね、さぁこっちに来て座りなさい」
「えっと、はい」
何か言われるんじゃ無いかと身構えるも、挨拶のお返しに返って来たのは歓迎の言葉。思わず自分の耳を疑ってしまうが、あまりキョロキョロするのも失礼なので、勧められるまま席へと向かう。
「お姉ちゃんお土産!」
「あ、そうだった。これ、つまらない物ですが」
昨日のうちに買っておいた、普段では買わないようなちょっぴりお高い菓子折。和菓子にしようか、洋菓子にしようかと迷ったあげく、両方買うという第三の選択をしたお土産。
もともとパーティーを騒がせたお詫びと、先月の会議で助けてくださったお礼を兼ねているので、それぞれ1箱ずつという意味合いで2つ用意した。
「まぁ、そんな気遣いなんてしなくても良かったのに」
「いえ、そう言うわけには…。以前パーティーを騒がせてしまったお詫びもございますので…」
取りあえず本日の目的は謝罪とお礼。改めて二人揃って頭を下げ、以前騒がせたお詫びと、先月助けていただいたお礼を口にするも、祖母から帰ってきた言葉は自分の耳を疑うものだった。
「あなた達が謝ることなんて一つもないわ、むしろ謝罪するのは私達の方。先日のパーティーの件はこちら側が原因なのだし、あの事故の件も、ずっと謝りたいと思っていたの。本当にごめんなさい」
謝罪に来たというのに、逆に祖母から謝られ、戸惑いを見せる私と沙雪。
そんな私達の様子をみて、叔父さんが説明するように教えてくれる。
「沙耶ちゃん、僕の方から両親の弁明をさせて貰っても良いかな?」
叔父さんは辛い思い出を掘り起こして申し訳ないと言いながら、当時の様子を教えてくださった。
「父さん達が事故の連絡を受けたのは当日の深夜でね、それまで流れていたニュースでは、沙耶ちゃんのお父さんが悪い事になっていたんだ」
それは知っている。
なんでも相手のドライバーは軽傷だったとかで、集まった取材陣に正反対の事を話していたんだとか。
そのせいで当日の夜に流れていたニュースでは、私達家族が乗る車が、スピードの出し過ぎで車線をはみ出し、若い男性が運転をする車に、正面衝突をしたと報道されてしまった。
「その事は後で聞きました。全部お父さんの運転が悪いって言ってたんですよね?」
私が目を覚ましたのは事故の翌日。その後も何が起こったのか分からないまま、体を起こすことも出来ず、入ってくる情報もほとんどないまま、駆けつけた祖父母やその後に続く周防の関係者に、私の心は病んでしまった。
その後、警察の事情聴取で当時の状況を聞かされ、私は初めて事故の経緯を知ったのだ。
「事故当日は本当に大変だったんだ。沙耶ちゃん達は意識が戻らず、他に家族もいないようだったから、警察は姉さんの戸籍から実家に連絡を入れたみたいでね。姉さん達は亡くなったと聞かされるし、沙耶ちゃん達も大けがだというしで、急いで病院に駆けつけてみれば、姉さんの見るに堪えられない姿を目の当たりにしてしまい、父さん達も正常ではいられなかったんだ」
その状況の事は薄々考えてはいた。
父さんと母さんは、半ば駆け落ちのような状況で結婚した。そのこと自体、祖父母からはよく思われていなかっただろうし、娘を奪ったお父さんには恨みすら抱いていたはず。
そのお父さんが運転する車が事故を起こし、お母さんを死なせてしまったと聞かされれば、感情が抑えきれなかったとしても不思議ではない。
「もちろん両親が沙耶ちゃんに言った言葉は許されるものじゃない。だけどこれだけは分かってほしい、あの言葉は決して本心ではない。二人も突然の事態で混乱していて、溢れる怒りの矛先を誤ってしまったんだ」
「……」
そんな事を今更言われても……
正直今でも祖父母の事を恨んでいるかと問われると、答えに戸惑ってしまうというのが今の心境。
少し前までならハッキリと憎い、と答えていたであろうが、パーティーの帰り際に祖母から掛けられた言葉や、先月の会議で助けて下さった祖父の姿を見ては、心の底で抱いていた負の感情が和らいで来たのも事実だ。
でも…、だからといって、全てが無かった事に出来るほど私の心は成長しきってはいない。
「困ったな、そんな顔をさせる為に言ったんじゃないんだ」
私はさぞ複雑な表情をしている事だろう。恨もうと思っても恨みきれず、祖父母の事情を知った今は、この感情をどこへ向けていいのかもわからない。
叔父さんは本気で困ったように、こう続ける。
「ただ僕が言いたいのは、このまま変に誤解をこじらせると、姉さんの時みたいになるんじゃないかと心配してね」
「……お母さんの時みたいに?」
「父さんも母さんも、沙耶ちゃんのお父さんの事はずっと前に許しているんだ。だけど姉さんも父さんもあの性格だろ? 会ったところでまた喧嘩にでもなったら、今度こそすれ違っちゃうからね」
そうか、祖父が誰かに似ていると思っていたら、お母さんなんだ。
確かに自分の過ちを素直に謝れない、という点では二人は共通している。お父さんはそういうお母さんの性格を、上手くあしらってはいたが、お母さんと祖父がぶつかれば、お互いの主張を通し、ひたすらと平行線をたどることだろう。その癖、後で人一倍後悔するのだ。
息子である叔父さんの言葉を聞き、祖父の様子をチラリと見てみると、やはりと言うべきかこちらに顔を向けようとしない様子に、思わず気持ちがほっこりとしてしまう。
隣でお姉ちゃんとそっくりだね、とか言ってくる沙雪の言葉が胸に突き刺さるが、叔父さんの言う通り私も少しは心を開いてもいいのかもしれない。
「その…、すぐには難しいですが、一度ゆっくり考えてみたいと思います」
「うん、それで十分だよ」
叔父さんの話では、お父さんの事は許しているという話なので、もう少し私の方から歩み寄ってみるのもいいかもしれない。
私はいま、妹である沙雪のことを第一に思っている。それは恐らく祖父母も同じなのではないだろうか?
普通考えると、成人前の姉妹がたった二人で生活するなど、危険を通り越して無謀な状態。幸い私には生活費を稼ぐ手段が手に入り、叔父さんという頼れる存在があったからこそ、今の生活が送れているのだ。
そう考えると、随分心配を掛けているんじゃないかと考えてしまう。
「おい、いつまで孫を立たせておくつもりだ。いい加減座ってゆっくりさせてやれ」
「おっとそうだった。お客様をずっと立たせておくのは失礼だったね」
祖父の言葉に叔父さんは笑みを浮かべ私達に再び席を勧めてくる。
孫……か、私は祖父母の事をなんて呼べばいいんだろう。思えば今まで一度もお爺さんとかお婆ちゃんなどと呼んだ記憶がない。
まずは最初の歩み寄りとして、呼び方から考えるのもいいかもしれない。
「えっと、その…、ありがとうございます、……お爺ちゃん」
私はいま、顔が真っ赤に染まっていることだろう。勇気を出してお爺ちゃん呼びをしてしまったが、恥ずかしさの余りその場で穴を掘って入りたい気分。
叔父さんには笑顔を向けられて、沙雪は恥ずかしがるなら言わなきゃいいのにとつぶやかれ、祖父は聞こえないフリをして私に顔を向けてもくれない。
一件分かりづらい反応だが、祖父の性格を知った今だから分かる分かる、それはただのてれかくしなのだと。
その後、叔父さんから二人のお子様を紹介され、サインをねだられたので用意されていた色紙3枚に、私と沙雪のサインを書き込んだ。
なぜ3枚? とも思ったが、どうやら1枚は祖父がこの家に飾るためだと、あとでこっそり叔父さんが教えてくれた。
一通りの挨拶も終わり、叔父さんの子供達と家の中を探索したり、そのままにされていたお母さんの部屋を覗いたりと、なんだかんだと夕方までお世話になり、気づいた時には祖父母とも普通に話せるようになっていた。
「そう言えば私てっきり、仕事の事がバレたら叱られると思っていたんです」
叔母さんとお婆ちゃんと私の3人で、夕食の準備を始めようとしていたとき。ふと思い出して、以前から考えていたことを口にする。
「叱られるって、歌手活動の事?」
「はい」
こういった由緒ある家系では、アイドルだの役者だのといった、自分を売りにするような仕事は嫌われると思っていた。
それなのに叔父さんも叔母さんも私の仕事を認めて下さっているし、祖父母も私のCDを飾るほど、影ながらも応援してくださっている。
私はてっきり「そんな仕事なんて辞めなさい!」、的な展開を考えていたと言うのに、早速とばかりに私と沙雪が書いた色紙が飾られているのだ。
「ふふ、いつの時代よ沙耶ちゃん。アニメもゲームもアイドルも、今じゃ日本が誇れる立派な文化よ? 姉さん…、沙耶ちゃんのお母さんだって、イラストレーターだったじゃない。確か小さな頃の夢は漫画家になりたいんだって大輝さんが言っていたわよ」
「そうなんですか?」
なんか意外。私が知るお母さんは、いつもパソコンに向かってかわいらしい絵を描いていた。
前に一度、漫画は書かないのかと聞いた事があるのだが、返ってきた答えはイラストが描けるからといって、漫画も書けるわけじゃないんだよ、とのことだった。
「沙姫は昔から絵を描くのが好きだったわね。けれども私も主人も、一度だってダメという事を言ったことはないわね」
「それは……私の歌手活動も…ですか?」
「もちろんよ。沙耶ちゃんは立派に歌手活動をやっているじゃない。非難するどころか、近所にCDを配りたいくらいよ」
流石にそれはちょっと…。その様子を思い浮かべてしまい、若干恥ずかしくなってしまう。
でもそうか、祖母も祖父も私の仕事を認めてくださっているんだ。
応援してもらっているだけでも素直に嬉しいのに、二人に認めてもらっているというのが無性に心強い。
まったく現金なものね。さっきまではいろんな意味で複雑な気分だったというのに、話してみるとお母さんみたいに温かさも感じてしまう。
これは叔父さんや、休みをくれた佐伯さんに感謝しなければいけないだろう。
「沙耶ちゃん、今日はもう遅いから泊まっていく?」
3人で夕飯を作っていると、リビングの方から叔父さんが話しかけてこられる。
「泊まり…ですか? でも急に悪いんじゃないですか?」
「子供がそんな気を遣わなくていいんだよ。姉さんの部屋も空いているし」
うーん、思っていた以上に居心地が良く、叔父さんの子供達にもすっかり懐かれてしまい、泊まっていけと言われても、そこまで嫌悪する感じではないのだけれど…。
「お姉ちゃんそうしよう。今から叔父さんに送ってもらうのも悪いからさ」
「それは確かにそうね」
思いの他居心地がよかったのか、それとも叔父さんの子供達から、お姉ちゃん呼ばわりされたのが嬉しかったのか分からないが、沙雪の言うとおり、帰るとなれば叔父さんに送ってもらわないといけないので、この時間から東京と神奈川を往復させるのはやはり気が引ける。
お母さんの部屋に泊まってみたいという思いもあったので、ここは一泊泊めていただくのが正解だろう。
「わかりました、よろしくお願いします」
「じゃ、そうと決まれば二人が寝る布団をだしておかないと」
「あ、私も手伝います」
叔父さんが早速とばかりに部屋から出ようとすると、自ら手伝いを名乗り出る出来た妹。
生憎と私は夕飯の手伝いをしているので、率先して動いてくれたようだ。
だけど…
「えー、雪おねえちゃんゲームの続きしようよ」
「雪おねえちゃんは私と絵を描くの!」
どうやら叔父さんのお子さん達に懐かれてしまい、その場から離してももらえないようだ。
結局叔父さんに笑顔で断られてしまい、再び子供達の相手をする沙雪。
そんな時にリビングの方から聞き慣れたメロディーが流れてくる。
ルンルンランラン♪ ルンルンランラン♪
「あら、なんの音かしら?」
丁度ハンバーグを焼き始めたとき、リビングに響くAinselの曲。
「あ、ごめんなさい、私のスマホの着信音です」
私が返事をすると同時に、リビングの方から沙雪が「お姉ちゃん鳴ってるよ」と、スマホを持って来てくれる。
変わるわと言ってくれるので、焼き始めたハンバーグを叔母さんに任せ、受け取ったスマホの画面を見ると、そこには中学3年の時に親しかった美雪の名前が。
卒業してからは一度も会ってはいないが、時折LINEでお互いの心境を確認し合うぐらいはしている。
ちなみに、ドーム公演のあと真っ先に私の正体を見破ったのも彼女だ。
「どうしたの美雪? えっ!? ごめんもう一回言って。えっ? どう言うこと? 友達が警察に連れて行かれた?」
電話に出ると同時に、やたらと焦った様子で内容を伝えてくる美雪。思わず聞き間違いかと思いもう一度尋ねてみると、その内容はまったく予想していないもの。
私は一体どういう状況なのかと、更に詳しく聞こうとした時だった…。
「お姉ちゃんテレビ! テレビ見て!!」
電話中にもかかわらず、こちらも焦ったように私を呼ぶ沙雪。
普段なら電話中に話しかけるなんてしてこない沙雪に、焦ったように呼びかけられ、一旦電話中の美雪に断りを入れながら、沙雪が言うテレビが見える場所まで辿り着く。
するとテレビの画面には速報としてこう表示されていた。
『SASHYAに対し、誹謗中傷に関する一連の事件で、男女一組の未成年者を特定。現在警察署で任意調査中』であると。




