第56話 『共演 光と影(後半)』
「沙耶ちゃん、お疲れ様」
無事Mステの出演を終え、バックヤードで待っていてくださった佐伯さんと合流。
もちろん周りに出演者がいないことを確認した上で、私を本名で呼んでいる。
「聖羅達はどうしてます?」
「先に控え室の方で待ってもらっているわ」
「そうですか」
一樹達と鉢合わせしても、とは思っていたが、聖羅達は出番が終われば、すぐに後ろへと下がる事が出来るので、いまごろ控え室に据え置かれているモニターで、番組の様子でも見てくれていたのだろう。
「佐伯さん、ちょっとCRISISさん達の楽屋へ行って来ますね」
「サインの件ね。場所は分かる?」
「たぶん…、すこし離れた方の控室ですよね」
「そう、あちらも個室だから、部屋前に名前が書かれているわ」
「分かりました、行ってきます」
「気を付けてね、先に戻って着替える準備をしておくから」
「ありがとうございます」
番組中に約束しちゃったからね。流石にすっぴんで行く自信もないし、廊下で一樹とバッタリ、なんて事もありえるので、SASHYAの姿のまま向かうのが一番良いだろう。
それにしてもこれだけ近くに居ると言うのに、元カノに気づかないとか、逆に落ち込むわね。
「ありがとう、家宝にするよ」
「わざわざ来てもらってありがとう、コンサート頑張って」
CRISISさん達がいる楽屋へと訪い、メンバー全員分のサインをする。
帰り際にお返しとばかりにCRISISさんのサインを頂き、佐伯さんが待つ控え室へと向かう。
「CRISISさん達、思っていた以上にいい人達だったわね」
誰かに聞かせるわけもなく、ただ思った事が自然と口からもれ出す。
CRISISさんも個人部屋が割り振られていたが、私の部屋からはだいぶ離れており、たどり着くまで若干迷子になりかけた。
ぶるる
メイクを落とす前にお手洗いに行っておこ。
割り振られた控え室へ戻る途中、ほんの僅かに生理現象が現れたので、進路を変更してお手洗いがある方へと向かう。
「…えな! …のってるん…ねぇ!!」
なに?
ここからじゃ良く聞き取れないが、私がいま向かっている方向から、男性の怒鳴る声が聞こえて来る。
こんな場所でもめ事? 学校じゃないんだから、トイレで喧嘩とか辞めてよね。
争いごとに巻き込まれるも嫌なので、一瞬別のお手洗いへと向かおうかと考えるも、被害を受けている人の事を考えると、見て見ぬ振りというのもなんだか目醒めが悪い。
少し様子をみて、無理そうなら誰かを呼びに行けば良いし、問題ないようであればそのままお手洗いをすませればいい。
騒いでいるのは男性っぽいので、流石に女子トイレまでは入ってこないだろう。
やがて騒ぎの方に近づくにつれ、男性の声がハッキリと聞こえて来る。
「お前ら、調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「調子になんて乗ってないって言ってるでしょ」
「はぁ? SASHYAのバックバンドに選ばれたからって、のこのここんな場所まで来てる時点で調子に乗ってんだよ! 大体SASHYAがお前らの事を認める筈がねぇだろ!」
この声、それに聞こえてくる内容を察するに、揉めてるのって一樹と聖羅?
そぉーっと、曲がり角から様子を見てみると、そこに居たのは聖羅を始めとするGirlishのメンバーと、対するのは一樹を始めとするSnow rainのメンバー5人。
先ほどまで共演していたので、初の顔合わせと言うわけではないが、今回新たに加わった見知らぬ男女が、一樹と聖羅の様子に怯えるよう後ずさりをしている。
「SASHYAはそんな人じゃないわよ」
「どうだかな、お前らなんて所詮使い捨ての道具。ちょっと有名になれたからって、ああいう女はどうせ裏ではあざ笑ってんだろぜ」
「一樹、いい加減にしなさい。私達の事はともかく、SASHYAのことを悪く言うのは許せないわ」
「はん! 許せないって言うんだったらどうするんだ? 他人の井を借る狐の分際で」
「いっくんもう辞めて!」
「うるせぇ綾乃、お前も同罪だ!」
まったく、相変わらずね。
他人の井を借る狐じゃなくて、虎の威を借る狐って言うのよ。
一樹は昔から無理に難しい言葉を使おうとして、いつも間違えるのよね。
それにしてもここでのもめ事はやはりマズイだろう。なんと言ってもテレビ局の…、それもミュージシャンにとって夢のステージでもある、Mステのスタジオがあるエリアだ。
今は番組が終了したばかりなので静まり返ってはいるが、いつ騒ぎを聞きつけ、スタッフさんがやってくるとも限らない。
それは一樹にとっても、聖羅達にとっても悪手だ。
「こんなところでもめ事とか、貴方達なにをしているの?」
隠れる事を辞め、SASHYAのまま皆の前に姿を現す。
すると聖羅達は驚き、一樹達は若干焦る様子を見せてくる。
「天下の歌姫様がなんのようだ」
「騒ぎ声が聞こえたから来ただけよ」
本当はお手洗いに来ただけなのだが、雰囲気を壊さないように黙っておく。
「さ、SASHYA、ごめんなさい」
「いいわよ別に、それよりもなんでこんな事になってるの?」
どうせ悪いのは一樹の方。聖羅達が自ら騒ぎ出すなんてこれっぽっちも考えていない。
「一樹が…、彼が少し難癖をつけて来て」
「聖羅は悪くないの。いっくんがSASHYAのバックバンドが出来て嬉しいのかって」
「いい加減な事を言うな、誰がいつ難癖をつけたんだよ!」
なるほど、僻みか。
今日の一樹達はホント陰のような扱いだった。一方聖羅達は、私のおかげという事もあり、見に来てくださったお客さんから多くのエールが送られていた。
一樹がもし、ひねくれたような表情をしていなければ、司会者の方もトークを振って来られただろうに、番組的に映してはダメだと判断されたのだろう。結局Snow rainの出番まで、ほとんどカメラが一樹達を捉える事がなかった。
「理由はわかったわ。あなたからすれば聖羅は元バンドメンバーなんでしょうけど、今の彼女達は私のパートナーよ。あまり悪く言われるのは気分がよくないわね」
「随分と上から目線だな、ちょっと売れてるからって」
「はぁ、どうしてそう言う言い方になるの? 売れていようが売れていまいが、いまその事に関係がある?」
彼はいつからこんな人間になったのだろう。私が付き合っていた時にはこんなに酷くはなかった、少なくともこうなる前に私や綾乃が止めていたはずだ。
「夏目君、九条君、あなた達も見てないで止めなさい。このまま騒ぎが続くと困るのはあなた達よ」
「俺?」
「なんで俺たちの名前を」
二人ともまさか私から名前を呼ばれるとは思ってなかったようで、慌ててこちらの方に意識を向ける。
まったく、ボーッと見てないで止めなさいよね。今のメンバーで一樹を止められるのは二人だけというのに。
「おい、お前! 勝手に二人へ話しかけるんじゃねぇ! そもそもお前には関係のない話だろ、部外者はすっこんどけ!」
「さっきもいったけど、関係ならあるわよ。聖羅達は私のバックバンドで友達よ」
「くだらねぇ! 天下の歌姫さんが、こんな奴らを友達だぁ? そんなにいい子ぶってまで人気を取りたいのかよ」
どうして彼はこんな言い方しかできないのか。
有名になったからといって、私が私でなくなるわけがないし、売れているからといって、調子づいたことなんて一度もない。
それを見てもいなかった人に勝手に決めつけられるとか、本気で不愉快極まりない。
「もう一度言うわ、聖羅達は友達、それもかけがえのない親友よ。私がもう一度夢を目指せたのは、彼女たちの言葉があったからこそ。SASHYAを誕生させたのは彼女達といってもいいぐらよ」
「……はぁ? お前何言ってんだ? 頭でもおかしくなったんだろ。そもそもこいつらとお前が何で関係してるんだよ」
「まったく、まだわからない? それともそんなに関心がなかったのかしら」
「ちょっと、SASHYA」
話の流れから私が正体をバラすと思ったのか、慌てて聖羅が止めに入るが、私は構わず付けていたマスクを引き外す。
これでどう? と、胸を張って素顔を見せるが、何故か微妙な反応を示す一樹。
「SASHYA、その…言いにくいんだけれど、それだけじゃ誰だかわからない…」
「………」
少しクールタイムを要請する。
聖羅に指摘され、ようやく一樹の反応の答えが読み取れる。
若干、いや、かなりの恥ずかしさで、顔が真っ赤に染め上がったのはぜひとも見逃してほしい。
だって仕方ないでしょ! お化粧は道具がないと落とせないのよ!
「で、結局誰なんだよ」
うぐっ、自信満々にマスクを取った手前、今更名前を名乗るのも何となく恥ずかしい。
「まて一樹、この話し方…、もしかして雨宮?」
「おい夏目、何言ってんだ? いや、でもこの少し抜けてる感じ、やっぱり雨宮か」
二人ともどこで私の事を認識してるのよ!
でもまぁ、助かったわ。
「久しぶりね、夏目君、九条君。さっきの演奏、随分腕を上げたんじゃない?」
「おい待て、お前本当に沙耶なのか?」
「だからそういってるでしょ。本当に私だって気づいてなかったのね」
「いや、ふつう分からないから」
綾乃、いまいいシーンなんだから茶々を入れない。
「嘘だろ、なんで沙耶がここに…。そうか、どこかでSASHYAと入れ替わったんだな。お前ら、ここまでして俺をからかいたいのか!」
あーもう、ホントめんどくさい性格ね。
一樹は常に他人より上に立たないと気が収まらないタイプ。それが近しい人間だと尚更見下さないと気が済まないのだ。
恐らく私が自分たちより遥か上にまで到達していることが、認められないのだろう。
「バカも休み休みいいなさい。SASHYAは私よ、皐月なんてVtuberの時に速バレしてたって言うのに、なんで一樹が気づかないのよ」
「ゴメン、私達も分からなかった」
ちょっと聖羅まで、いまいいシーンなんだからみんな茶々を入れない。
「バカな…、あり得ない…、沙耶がSASHYAである筈がない。だってお前は俺が居なければ…」
「それ、どういう意味? 私は一樹が居なくても何ともないわよ?」
「寧ろ吹っ切れてイキイキしてるわね」
「さーやん、前より楽しそう」
「うん、なんかこう、悪役令嬢的な?」
コラコラ、私をなんだと思ってるのよ。ついでに皐月、悪役令嬢ってどんな例えよ。
「貴女達、そんなところで何をしているの?」
帰りが遅いから心配になって様子を見に来られたのだろう。
佐伯さんと、Snow rainのマネージャーをされている五十嵐さんが、一緒になってやって来られた。
「すみません、少し話をしていまして。五十嵐さん、お久しぶりです」
「えぇ、お久しぶり雨宮さん。創立祭以来ね」
前にあった時は、なんだか犬猿の仲だったような気がするのだが、今みる限りではそれほど二人の仲は悪そうには見えない。一体どういう関係なのだろう。
「その様子だと、素顔を曝したって事でいいのかしら?」
人前でマスクを外しているのだ、佐伯さんなら大方の予想はついているのだろう。
私は一言「成り行き上で」とだけ答えておく。
「そう、いつかはバレることだしね。それじゃ帰りましょ、お化粧を落とさないといけないでしょ? 聖羅さん達もいらっしゃい、迎えの車を呼んであるから」
一樹も自分たちのマネージャーと、佐伯さんを前にしては何も言えないようで、視線だけ睨みを利かせて、私達が去っていく方を見つめている。
私は一樹から数歩離れてから、ふとある事を思い出し一度立ち止まる。
「一樹、私に話があるのならSASHYA宛にメールか手紙を事務所に送っておいて、目を通すようにしておくから。それじゃ」
一樹が私の住んでいた家まで来たという事は、何か話したいことでもあったのだろう。
これで私がSASHYAだという事はバレたし、学校まで押しかけられても困るので、連絡手段を伝えておく。
今日の一樹の様子からでは、とてもじゃないが連絡先を教える気にはなれないので、SASHYA宛に事務所へ送ってもらえれば、私の手元までは届くだろう。
ただし、第三者の確認は入るけど。
「それじゃ葵、そっちは任せるわ」
「えぇ、雨宮さんもまたね」
「はい、またどこかで」
そのまま振り向かず、全員でその場を後にする。
正直佐伯さん達の登場は助かった。
私が出たところで一樹を止められる筈もなく、かえって騒ぎを大きくしただけ。だけどこれで、一樹が私に関わる事はもうないだろう。
SASHYAが危険な橋を渡ってまで、Snow rainのゴーストライターをやるわけにもいかないし、私にあれだけ酷いふりかたをしておいて、今更頭を下げるような性格でもない。
帰り際、佐伯さんにメンバー一同お説教されたのはいい思い出である。
追伸、おトイレは我慢出来ずにちょびっと漏らしました。




