第40話 潔白の証明
ベルリールの毒素に触れた薔薇は青く変色する。
「……葡萄酒が毒入りだというのは、間違いないみたいですね」
ウィリアムがぽつりとこぼす。
「そのようね」
億劫そうに嘆息したアデラインが、伯爵を見やった。
「さて、伯爵。王太子の婚約者に毒を盛るだなんて、随分と大胆なことをするのねぇ。王家への叛逆と同義だわ。ベルリールの毒性は命に関わるものではないと聞くけれど。毒は毒。この罪は重いわよ?」
「笑えない冗談をおっしゃらないでいただきたい。我が家に謀反の意があると? ランドールは王家の忠臣。疑われること自体、心外ですよ」
「では、侍女が嘘をついていると?」
一同の視線が集まると、侍女は懇願するように主張する。
「信じてください。モニカお嬢様に指示されたのです。モニカお嬢様がレティシアお嬢様に悪意を持っていらしたことは、王妃様も殿下もご存じでいらっしゃるはず。モニカお嬢様に指示されたのですっ」
伯爵がぴくりと眉をひそめた。堪りかねたように、モニカが侍女へと詰め寄る。
「いい加減にしなさいよ! 嘘をつかないで!! あなたの顔なんて、私は知りもしないわ!」
掴み掛かろうとしたモニカを、控えていた衛兵が慌てて引き離す。伯爵が深々と嘆息した。
「このような妄言を、王妃様は真に受けるおつもりでいらっしゃるのか? 王家に仕える侍女が、なぜ娘の指示に従う必要があるのです」
「あら、伯爵は私の可愛い可愛い宮女が嘘をついていると? この子の言う通り、あなたの自慢の娘がレティシア嬢に卑劣な嫌がらせをしていたことは、周知の事実よ? 王宮に出入りしている者なら、みな認知しているのではないかしら」
伯爵がモニカを一瞥した。父親の鋭い眼光に、モニカは愛らしい顔を青褪めさせた。
「伯爵は知る由もないでしょうけれど。ここのところ、王宮は騒がしかったの。モニカ嬢がレティシア嬢に並々ならぬ悪意を抱いていることは、多くの者が証言してくれるでしょうね。それこそ、毒を盛ってもおかしくないくらいの悪意を、ね」
「それは、王妃様が……っ!」
「私が、何かしら?」
アデラインが、不思議そうに首を傾げる。
「レティシア様が殿下の婚約者であることに嫌気が差すよう仕向けてくれと、王妃様がおっしゃったんじゃないですか! 協力したら私を王太子妃にしてくださると。だから私は――!」
「何を言っているのかしら。記憶にないわね、そんな会話」
「王妃様!」
肩を竦めたアデラインは、憐れむようにモニカを見つめた。
「一つ言えることは、あなたはとても思い込みの激しいお嬢さんだということね。よく思い出してみて? 私はあなたに王太子妃になりたいかと尋ねただけ。王太子の婚約者にしてあげるとは、一言も口にしていないわ」
モニカが愕然と目を見開く。
「そんな……っ、悪い虫を退治したいって……、私を騙すための嘘だったのですか!?」
「あぁ、それは本音よ。退治したくて仕方がなかったわ。もっとも、その悪い虫がレティシア嬢だとも、ただの一度も口にしていないけれど」
ふらりとよろけたモニカから視線を外し、アデラインが伯爵に微笑みかける。
「宮女には、モニカ嬢の言葉に従うよう通達してあったの。大切なお客様だもの。もし何か希望があるなら、叶えてあげたいじゃない? だからね、伯爵。宮女がモニカ嬢の頼み事を断れないのは致し方がないの。私の厚意を悪用して息子の婚約者を害そうとするだなんて、夢にも思わなかったわ。あなたの娘は邪悪極まりないことね」
あぁ、と。アクアマリンの瞳に冷ややかな色が浮かんだ。
「悪いのはモニカ嬢じゃないわよね。もとを正せば、娘を王太子妃にだなんて夢想している父親のせいだわ」
アデラインは侍女の肩をそっと抱き寄せる。
「モニカ嬢の癇癪に従うふりをして、こうして物的証拠と共に告発してくれた私の侍女は、なかなか優秀でしょう?」
「…………」
「宮女たちはあなたの娘から、うんざりするほど嫌がらせの命令を受けてきたの。彼女たちはこの子の証言を信じ込み、モニカ嬢が毒を盛るよう命じたのだと思うでしょうね。レティシア嬢を蹴落とす企みが難航し、業を煮やしたモニカ嬢が強硬手段に出たに違いない、と」
じっと耳を傾けていたレティシアは、あっと気づいた。王妃と父がレティシアに期待した役割はこれだ、と。
モニカがしびれを切らし、強引な手段に出ざるを得ない心理状況に追い込む。あるいは、モニカが毒を盛ってもおかしくないのではという印象を、周囲に抱かせること。それがレティシアの役回りだったのではないだろうか。
「事実は三つよ。この杯には毒が入っている。そして、あなたの屋敷にベルリールが栽培されていることは諜報部が確認済み。モニカ嬢がレティシア嬢に明確な悪意を持っていたことは、王宮内で知れ渡っている。これだけの条件が揃っていて、ランドール家が潔白だと思う者はどのくらいいるのでしょうね?」
「こじつけ紛いの状況証拠で、我が家を裁くおつもりか?」
伯爵の顔は怒りで染まっていた。腹立たしそうに舌を打つ。
「貴族を裁く権利は、国王のみが有する特権。それを冤罪で行使しようとは、反吐が出るっ!」
「あら、冤罪と断定するということは、娘を信じているのね」
「私を愚弄する気か? 娘が王宮内に毒物を持ち込めるはずがないだろう! 疑う方がどうかしているッ」
「え……」
きょとん、と。モニカが呆けた顔になる。彼女の反応を見て、アデラインが可笑しそうに声を立てて笑った。
「あなたの方は、信じてもらえていなかったみたいよ? あのベルリールの粉が父親からの贈り物だと、本気で思っていたようね。まぁ、使わなかったようだけれど」
かつん、と。アデラインが杯を指先で弾いた。
「ご推察の通り、この葡萄酒に入っている毒は私の命令で仕込んだものよ。モニカ嬢の懸命な訴えは嘘じゃない。意地悪をしてごめんなさいね?」
「……っ」
情緒がぐちゃぐちゃなのか、モニカはしゃくり上げるだけで言葉を発さず、力なく椅子に腰を下ろした。
伯爵が軽蔑の目を侍女に向ける。
「王妃の命令であれば狂言にさえ付き合うとは、見下げた忠誠心だな。宮女はみなこうなのか? 倫理観の欠片もない」
「もういいわ、ありがとう。あとはこちらで上手くやるから」
伯爵の視線から庇うように、アデラインが割って入る。促された侍女は伯爵をひと睨みして、部屋から出ていった。
「倫理観ねえ。彼女はモーガン男爵の姪よ。倫理観が欠けているのは、果たしてどちらかしらね?」
アデラインの囁きに、伯爵がぴくりと眉を動かした。王妃が肩を竦める。
「伯爵の言う通りね。こちらの主張が苦しいのは認めるわ。毒物を王宮に持ち込めるものなのか。モニカ嬢が宮女を利用してレティシア嬢に毒を飲ませようとした。信じる者はいるでしょうけれど、疑念を抱く者も一定数は出てくる」
アデラインが双眸に鋭さを加えた。
「では、これはどうかしら? ランドール家が王太子の婚約者に毒を盛った罪で、王家は正当な裁きを下す。この決定に異を唱え、伯爵家の潔白を信じ、声を上げる貴族が果たして存在するものなのか。これについては、どう?」
怒りで赤く染まっていた伯爵の顔に、はじめて動揺が走った。アデラインがクスリと笑む。
「あなたも知っての通り、この国の権力者は損得勘定で動く者ばかり。冤罪の証明ができなければ、今度は王室への侮辱で自分たちの立場が危うくなるかもしれない。そんな危険を冒してまで庇う価値が、伯爵家にあると?」
唇をわななかせ、伯爵は黙り込んでいた。アデラインは瞳に酷薄な色を湛えながら、歌うように告げる。
「寧ろ、見捨てた方が得ではないかしら? だって、ランドール家の領地が手に入るかもしれないのよ? 豊かな土地に、豊富な資源。とっても魅力的だわ。王家を支持する方が得ではなくて?」
「……っ」
伯爵の顔が、忌々しげに歪む。
「わかってもらえたようね。伯爵の言う通り、こちらにあるのは状況証拠のみ。それだけで、ランドール家を裁くことは可能よ。血筋の古さに胡座をかき、懇意にしている貴族はいない。王家が反感を買うことはないでしょう。事実かどうかなど大した問題ではないわ。権力者にとってランドール家の凋落に得はあっても損はない。伯爵家の罪を信じる者はいても、擁護する者は出てこない。重要なのは、その一点のみよ」
王妃がにっこりと微笑んだ。
「それじゃあ、本題に入りましょうか。娘を王太子の婚約者に据え、王室と縁戚関係を持ちたがっていたのだもの。裏で政を操りたくて仕方がなかったのよね? 頭脳にも相当な自信があるのでしょう。そんな賢い伯爵だもの。私の要求は、すでに察せられているはずでしょう?」
伯爵を睨み据えるアデラインの眼差しには、色濃く嫌悪が滲んでいた。




