第30話 絡み合った事情
「学生時代、私には夢があったのね。国母だなんて大それたものじゃないわよ? もっと他愛ない――自分の子供と親友の子供が結ばれて、家族になること。友人なんて曖昧な枠組みじゃなくて、家族という確固とした繋がりがセレスとのあいだに欲しかったの。ただの友人ではいざという時、力になりたくても限界があるから」
レティシアの母親――セレスティアとアデラインが無二の親友だったというのは知っている。だが、これは初めて聞く話だった。
「あの頃は、私もまさか王妃になるだなんて思ってもいなかったの。王太子の婚約者という立場なら、口が裂けても言わなかったでしょうね。あんな世迷言……」
憤りに燃えた瞳をまぶたでそっと隠し、アデラインは嘆息混じりに言う。
「レティちゃんをあなたの婚約者に選んで欲しい。言い出したのはクラウスよ。レティちゃんが生まれてすぐのことだったわ」
「僕との婚約は、公爵の意向だったのですかっ?」
クラウスは本心ではこの婚約に反対しているのでは。ウィリアムはずっとそう思っていたから、衝撃は大きかった。
「おそらく……いいえ、間違いなくセレスの遺言ね。政界の均衡を保つ――なんて体よく響くただの後付けよ。それだけなら、候補は他にもいる。レティちゃんは私の親友が私のために遺してくれた宝物。あの子が大切か、なんて愚問だわ」
「…………」
なんとなく、わかった気がした。
王太子であるウィリアムには、ままならないことがたくさんある。王妃であるアデラインもまた、同様に相反する想いを抱えているのだろう。
「レティちゃんは変わったわね。笑顔の絶えない明るい子だったのに、今となってはあの子の素顔を知る者は無きに等しい」
困ったようにアデラインが眉尻を下げる。
「……公爵がレティに過剰な英才教育を施したのは、公爵の進言によって僕の婚約者が決まったからなのですか?」
「教養はそうでしょうけど……レティちゃんの立ち振る舞いに対しての口出しは、おそらく違うと思うわ」
「それなら、どうして……?」
「…………」
長い沈黙の末に、アデラインは緩くかぶりを振った。
「クラウスの真意がなんであれ、あの子から笑顔を奪ってしまった時、一つ決めたことがあるの」
おっとりと垂れたまぶたが持ち上がり、厳しい色を孕んだ瞳が真っ直ぐにウィリアムを見据えてくる。
「学園での些事を持ち出して、口さがない者たちが『レティちゃんは王太子妃に相応しくないのでは』なんて騒いでいるわ」
「ランドール伯もおっしゃっていましたね。アルトリウス公も、レティに……」
理事長室でのレティシアへの叱責を思い出すと、胸が痛んだ。
「伯爵のあれは純然たる嫌味でしょうけれど、クラウスはどうかしらね……。モニカ嬢の行為に加担した宮女を、レティちゃんは一度も非難しなかったわ。遠回しに事情があるのは承知だと仄めかし、理解ある姿勢を示してみせた。レティちゃんの如才ない采配に、彼女たちは感心しきりよ。ブライユ夫人も含めてね。夫人の社交界での影響力は絶大ですから、レティちゃんが社交界デビューした暁には大いに役立つことでしょう」
「あ……」
どうして思い至らなかったのか。レティシアが成果を残せば、それはそのまま人脈へと繋がる。後宮で働く女官も侍女も、良家の令嬢なのだから。
「クラウスは褒められた父親ではないわ。だからといって、レティちゃんのことを何も考えていないというわけでもないの」
「……」
父親としての情がちゃんとあると、信じてもいいのだろうか。多少気にかけているというだけでも、レティシアにとっては大きな意味を持つはず。
ウィリアム自身、似たようなことをレティシアに告げたことがある。レティシアにまったく興味がないというのなら、学園への入学を許しはしないと思ったから。あの時のレティシアは半信半疑の様子だったが、アデラインの言葉なら受け取り方も変わるに違いない。
ぱんっ、と。手を叩く音でウィリアムは我に返る。
「クラウスの話は、今は置いておきましょう」
両手を打ち合わせた格好のまま、アデラインが小首を傾げた。
「レティちゃんはさぞ立派な王太子妃になることでしょうね。この短期間で私にそう確信させてくれたわ。ウィル。あなたはどう? そんなレティちゃんに相応しい婚約者といえるのかしら?」
藍色の瞳が挑戦的に煌めく。
「皆があなたを立派な王太子だと褒め称えるわ。私も自慢の息子だと思っているけれど、レティちゃんにとっていい婚約者かどうかは別の話かもしれないわよね?」
それは、ウィリアムの長年の悩みで。敵わないな、と思う。アデラインは何もかもお見通しなのだ。
「……なれるよう、努力するつもりです」
「そう。なら、きちんと考えてみなさいな。私とクラウスがなぜモニカ・ランドールを王宮へ招いたのか。ウィルの答えではまだ半分よ」
半分ということは、方向性は間違っていないらしい。
レティシアは、王妃と宰相が望む結果にこぎつける為の布石。二人は何を望んでいるのか。ランドール伯爵の野心を挫くことだろう。
ウィリアムが考えるべきは具体的な手段だ。
「ベルリールの件は聞いたのでしょう? それなら情報は足りているわ」
アデラインがベルを鳴らすと、女官が入室してくる。話はこれで終わりということ。
一礼して執務室を出たウィリアムは、ふぅと息を吐き出した。
冷静になろう。たぶん、自覚している以上に今の自分は視野が狭まっている。
ベルリールの件、とアデラインは強調した。これがたぶんヒント。
今のところ、伯爵は異国から入手した毒を使うつもりはないみたいだが――。
あれ、と。違和感を抱く。
伯爵が所持している毒物の用途が、王太子の婚約者を害することだと仮定した場合。
「そもそも、ランドール伯はどうしてベルリールを……?」
確か、サーペント伯爵はこう言っていた。ランドール伯爵がベルリールを買い取ったのは去年の夏だ、と。
用途が懸念通りならば、伯爵は娘が王室の目に留まり、やがてレティシアに近づく機会が訪れると見越していたことになる。先の展望もないのに、わざわざ異国から毒物を入手したりするはずがない。違法ではないとはいえ、話が漏れた場合に王室から目をつけられてしまうのだから。
アデラインはランドール伯爵を慎重な人物だと評していた。やけに確信的な物言いで。
「もしかして……」
閃いたウィリアムは、諜報部の報告書を閲覧できないか、サーペント伯爵に掛け合ってみることにした。




